八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

謎多き 児島湾干拓事業

2013-03-30 03:02:53 | センチメンタル

 

岡山市藤田に、

伝三郎みち という道路あり。

Aimg_6664_2

 

伝三郎みち の先に、

藤田伝三郎 の偉業を讃える顕彰碑あり。

Aimg_6656_2

 

その地には、

藤田組 が境内地・諸施設を寄付した

藤田神社 という社あり。

Aimg_6654_2

 

藤田神社 の祭神は、

さすがに 藤田伝三郎 ではなく、

豊受大神 大国主命 少彦名命 である。

Aimg_6653_2

 

この神社はもともと、

児島湾神社 という名前だったが、

後に、 藤田神社 に改名したらしい。

 

たぶん、

藤田(2区)の干拓地が終わった頃は、

目の前が児島湾だったのだろう。

 

6区が完成して、

目の前の児島湾が消滅したので

藤田神社 と改名したのかもしれない。

Photo

 

 

ところで、

 

政商 藤田伝三郎! 

Fujita_2

 

この地(岡山市藤田)では、

偉業を成し遂げた人物であるが、

 

八浜の私から見れば、

海を奪った張本人である。

 

しかし、

 

藤田伝三郎 には、

政商らしい生々しいインサイダーな感じがしない。

 

事実、 

児島湾干拓という大事業にもかかわらず、

 

藤田伝三郎 本人が岡山を訪れたのは、

明治20年の視察の一度きりである。

干拓工事の起工式にさえ出席していない。

 

こんな大事業なのに、

本人の意志がまったく感じられないのである。

 

 

この大事業の資金は、

井上馨 の仲介で、

長州の旧藩主毛利家から出ている。

 

ひょっとして、

 

この大事業は、

毛利家から金を引っ張ってくるために

井上馨 が広げた大風呂敷だったのだろうか?

 

 

藤田伝三郎 は、

傀儡師 井上馨 の人形だったのか?

 

 

謎多き、児島湾干拓事業である。

 

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして、八浜に住む金谷と申します。 (daisuke kanatani)
2013-03-30 22:39:59
はじめまして、八浜に住む金谷と申します。
10年ほど前に隣の灘崎町から婿に参りました。
義母が高原さんのお母様とは親しくされているそうで。
先日我が家に宇喜多の末裔とおっしゃる方が訪ねて来られたそうですが、旧児島湾研究会の関係の方でしょうか?
いろいろ金谷家の先祖のことを調べていたようなので、ちょっと気になりまして・・・
突然のコメント失礼致しました。
返信する
はじめまして、よろしくお願いします。 (takahara)
2013-03-31 12:02:05
はじめまして、よろしくお願いします。
 
宇喜多の末裔というのは興味深いですね。
 
ひょっとして、宇喜多ではなく浮田で、
静岡か磐田から来た人だったら、
鳥人幸吉の末裔かもしれません。

旧児島湾研究会かどうかはわかりませんが・・・・
FBの記述に金谷九三郎さんという人の話が載ってました。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.431730513566267.97361.403716873034298&type=3

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