八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

九州遊行 その13

2012-10-16 11:37:21 | センチメンタル

 

9月11日。

 

臼杵 から 竹田 を通り、

久住高原 を抜けて 九重町 に入る。

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久住=くじゅう と 九重=ここのえ

読み方を理解するまで時間がかかる。

 

この日の夜は、

九重町菅原 の友人宅で、

久々に畳の上で寝る。 

  

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この家には、

鮮やかな 梅の紋章 がある!

 

ここの友人は、

十数年前に、 京都 から 九重町 に移住したツワモノだ。

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実は、

京都 と 九重町菅原 には、

深い関係性が見い出せる。

 

九重町菅原 には、

 

菅原道真 が、

京都 から 太宰府 へ左遷される際に

この地に立ち寄ったとされる伝説が残る。

 

その証拠に、 

九重町菅原 に 菅原天満宮 がある。 

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天満宮 とは、

太陰 星暦 に精通した社であることから、

  

九重町菅原 と 京都 を結ぶラインを検証してみると 

ドンピシャ 夏至の軸線 となっている。 

より大きな地図で 三大怨霊 を表示

 

何を隠そう、

この 夏至の軸線 は、

とても意味あり気な 怨霊の軸線 なのである。 

 

なぜなら、

この 軸線上 に、

   

菅原道真 を祀る 菅原天満宮

崇徳上皇 が眠る讃岐の 白峯御陵 

平将門 を鎮魂する比叡山四明ヶ嶽の 将門岩

 

と 日本三大怨霊 が並んでいるのである。

 

 

この 怨霊の軸線 ・・・・ 

 

京都の、

裏鬼門 と 表鬼門 を結ぶ 軸線 でもある。

 

 

もしかして、

 

友人は、怨霊を鎮めるために

やんごとなき組織からの指令で、

京都 から 九重町菅原 へ遣わされたのだろうか?

 

そういえば、

この家の 梅の紋章 が気にかかる。

 

 と 菅原道真 ・・・・

 

謎は深まるばかり。

 

 

  


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