9月11日。
臼杵 から 竹田 を通り、
久住高原 を抜けて 九重町 に入る。
久住=くじゅう と 九重=ここのえ
読み方を理解するまで時間がかかる。
この日の夜は、
九重町菅原 の友人宅で、
久々に畳の上で寝る。
この家には、
鮮やかな 梅の紋章 がある!
ここの友人は、
十数年前に、 京都 から 九重町 に移住したツワモノだ。
実は、
京都 と 九重町菅原 には、
深い関係性が見い出せる。
九重町菅原 には、
菅原道真 が、
京都 から 太宰府 へ左遷される際に
この地に立ち寄ったとされる伝説が残る。
その証拠に、
九重町菅原 に 菅原天満宮 がある。
天満宮 とは、
太陰 星暦 に精通した社であることから、
九重町菅原 と 京都 を結ぶラインを検証してみると
ドンピシャ 夏至の軸線 となっている。
より大きな地図で 三大怨霊 を表示
何を隠そう、
この 夏至の軸線 は、
とても意味あり気な 怨霊の軸線 なのである。
なぜなら、
この 軸線上 に、
菅原道真 を祀る 菅原天満宮
崇徳上皇 が眠る讃岐の 白峯御陵
平将門 を鎮魂する比叡山四明ヶ嶽の 将門岩
と 日本三大怨霊 が並んでいるのである。
この 怨霊の軸線 ・・・・
京都の、
裏鬼門 と 表鬼門 を結ぶ 軸線 でもある。
もしかして、
友人は、怨霊を鎮めるために
やんごとなき組織からの指令で、
京都 から 九重町菅原 へ遣わされたのだろうか?
そういえば、
この家の 梅の紋章 が気にかかる。
梅 と 菅原道真 ・・・・
謎は深まるばかり。