マツダのクルマは、欧州車テイストが強いクルマが多い。
’82年に登場し、日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得したこの4代目カペラは特にヨーロピアンテイストに溢れていた。
私の中では、カペラといえばこの4代目である。
当初は、セダンとクーペのみのラインナップだったこのクルマだが、’85年のマイナーチェンジで5ドア・ハッチバックが追加される。
あらためて驚くのは、このカタログが、セダンよりも5ドアの方を中心につくられていることだ。
うーん、さすが「血中欧州車濃度」の高いマツダですな。
・・・と、言いながらも、このカペラについては、私は4ドアセダンのスタイルの方が好きだったりする。
ローノーズ・ハイデッキで、ウエストラインも低く、視界も良好だった。ムダなラインの無いシンプルなこの造形は、じつにクリーンでよろしい
。かつてユーノス・ロードスターに乗っていた頃、12ヶ月点検の代車として、このクルマに乗ったことがある。
結構キビキビとしたステアリングフィールで、北海道の雪道をしなやかに走り、かつ、しっかりと安全に止まる。
実は結構いいクルマであった。
この当時のクルマには、クーペボディも用意されているのが常であった。
このカペラはもちろん、アコードにも、コロナにさえも、クーペがあった。
現在、国産車でクーペボディを持つクルマは絶滅したに等しい。
だが、かつてのプジョー406クーペのように美しいクーペがあれば、そこそこ需要があるような気もするのだが・・・
このようにヨーロピアンテイスト溢れるカペラだったのだが、その運命は錯綜し、バブル期の「クロノスの悲劇((C)徳大寺有恒)」により、一時その名前は消滅する。
しかし、多ブランド戦略の失敗に慌てたマツダは、その後国内販売テコ入れのために、なんだか凡庸な国産車的テイストで、また「カペラ」という名前を復活させる。
そんなこんなで、結局ブランドイメージを確立できないまま、数年後カペラという名はまた消滅し、「アテンザ」にとって代わられてしまった・・・
2度も消滅させられるなんて、なんと数奇な運命のクルマなのでしょう。合掌。