《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

川口大三郎君は映画『ゲバルトの杜』によって二度殺された

2024-07-23 06:39:26 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって


川口大三郎君は映画『ゲバルトの杜』によって二度殺された

水谷保孝(元革共同、第一次早大闘争無期停学処分)

【註】2024年7月6日「映画『ゲバルトの杜』を徹底批判するシンポジウム」(東京・新宿区角筈地域センター)は6人のシンポジストの方々から大事な諸提起がありました。それを受けて、機会を得て私が発言した内容を文字起こししました。意を尽くせなかった論点や時間の制約のため語れなかったことは、加筆しました。文字起こしに当たっては航思社に協力していただきました。ありがとうございます。
 なお、航思社から、同シンポの記録のほか、書き下ろし論考や関連資料などを加えた『「ゲバルトの杜」批判』の書籍が出版される予定です。大いに期待できると思います。

虐殺者の謝罪の証なき短編劇は虚構

 水谷と申します。自己紹介します。元革共同です。早稲田大学に入学した後、19歳の時に中核派になって42年間、革共同いわゆる中核派でやっておりました。ゆえあって中核派を離党してもう18年になります。1972年11月の川口大三郎君の虐殺にたいする早稲田解放闘争の時には早稲田にも駆けつけたりいたしました。
 長きにわたる中核派の対カクマル戦争の中では、いろいろな問題もありました。とくに1984年の1月と7月には第四インターの皆さんにたいして襲撃して重傷を負わせるという大きな誤りを犯しました。真摯に自己批判し、謝罪しなければならないと考えています。今日はそういう中核派の犯した誤りについて述べることは、お許しを願って、この『ゲバルトの杜』の問題点について一言申し上げたいと思います。

 鴻上尚史氏の脚本・監督による短編劇の問題なんですけれども、川口君をリンチする、殺害するという、その場面を「再現する」ということは本当に可能なんでしょうか。
 この間の紙媒体やネット上のいろいろなやりとりのなかではっきりしたことは、短編劇の根拠となっているのは、樋田毅さんが虐殺現場にいたカクマル派活動家、すなわち佐竹実(当時カクマル一文自治会書記長)本人から取材した取材メモを基にして作っているということです。その事実が「映画『ゲバルトの杜』代島治彦・森田暁対談」での代島発言(『週刊 読書人』2024年5月24日号)において発表されました。根拠は、これしかないんですね。密室の中の出来事なんです。殺した人間たちにしか事実はわからない。殺された川口君には、実はこうだったんだと反論することはできない。ところが、殺した側の言い分だけで「再現」劇なるものを作ったんですね。こういうことは許されるんでしょうか。
 映画のなかで、川口君に対してカクマル派は「中核派のスパイ」というふうに追及していますね。その拷問に耐えかねて劇中の川口君は、「おまえは中核派のスパイだろう」といわれて、頷いているんですね。「知っている仲間の名前をいえ」といわれて「山本」といったんですね。最後は虐殺者側のリーダー、多分これは村上文男(カクマル二文自治会委員長経験者)という人物が想定されていると思うんですけれども、彼が人工呼吸をほどこす。「川口、大丈夫か」と~。これらは、はたして事実なんでしょうか。
 映画というのは、映像って恐ろしいですよね。これがリアルだという、ああいう演出をやられたら、事実はこうだったんだなと思わされます。
 だけど、それは全部、佐竹という加害者の言い分なんです。しかし、川口君は反論できないんです。そういうものを、事実がこうだった、ということを映像という力を通して人々に植えつける。こういうやり方は許されるんでしょうか。

 その佐竹の証言についても検証、批判的検証を何もやっていないんです。だけど、それを検証することはできるんです。ところが、それを何もやっていないんですね。
 どのように検証できるのかといえば、佐竹が加害者であることを反省かつ謝罪し、その反省・謝罪が本物かどうかの証として、自分が何をやったのか、どこの位置にいて、どういう武器を持って、どんな風に川口君をリンチしたのか、川口君にたいしてどういう罵倒の言葉を浴びせたのか、何回殴ったのか、など自分自身を正直に洗いざらい告白しているかどうかを精査することなんです。では、樋田さんの佐竹取材メモにはそのような個別具体的な佐竹の行為の告白があるのでしょうか。非常に疑問です。
 はっきりしていることは、映画のなかの短編劇では、男1から男16までを演じる俳優の誰が佐竹を演じているのかさっぱりわからないということです。判決で主犯とされた村上文男も、比較的年長の若林民生も、それらに次いで刑の重い武原光志も、まったく特定できない劇なのです。抽象的な男が16人並べられているだけなのです。唯一はっきりしているのが水津則子なのですが、それも映画のなかでは女1とされているだけです。加害者側の、そんな個別具体性に欠けるものが「再現」劇などといえるでしょうか。 

 虐殺者側のカクマル連中が無内容に抽象化されている一方で、川口君の姿を描くこともしていないんです。
 例えば、当時、私もそうですけども、当時の早稲田のみなさんもそうだったと思うんですけれども、川口君はリンチに対して最後まで抵抗したんじゃないのかと、こういうふう思いますよね。川口君が理不尽で残忍なリンチにたいして、どのような気持ちで、どのように抵抗したのか、こういったことが何も描かれていません。川口君への想像力がゼロなんです。だから、あの映画には生身の肉体と精神をもった川口君が存在しないんです。描かれるのは抽象化されたカクマル派だけなんです。
 川口君の遺稿集には次の文章があります。
 「暴力テロリズムによる人間疎外/政治上の立場が違うからといって、相手の無防備に乗じて危害を加えるということが人道上、許されていいはずはないし、そういう行為から何一つ生産的なものは生まれない。こういう暴力に対して、現代のヒューマニズムは、勇敢に抗議をしなくてはならない。」(早大一文11・8編集委員会編『早大生・川口大三郎君追悼集/声なき絶叫』(1973年11月8日発行)。
 川口君はあの日、大学当局と一体化したカクマルの早稲田暴力支配とその残虐極まるリンチにたいして、まさしく「現代のヒューマニズム」を体現して、果敢に抵抗したにちがいありません。だから佐竹、村上、水津らカクマルは逆上し、川口君を8時間にわたるリンチの末に殺害したんじゃないのか。
 川口君への連帯も共感も何もない、こういうような「再現」劇というのは、はっきりいって、私はいろんな表現があってもいいと思いますが、道義的・倫理的に許されないんです。映画『ゲバルトの杜』は川口君を二度殺したんだ、そのことを強く感じました。





▲代島治彦著『きみが死んだあとで』(晶文社)「あとがき」から。
 傍線はすべて代島氏の作文=偽造。偽造は次ページを含め13カ所に及ぶ。

インタビューを偽造、警察の山﨑君轢殺デマを持ち上げる――代島氏のもう一つの罪

 実は代島さんは、前に同じような過ちをやってるんです。
 1967年10・8ベトナム反戦・羽田闘争において機動隊に撲殺された山崎博昭君の映画『きみが死んだあとで』を作った後に彼は、同じ題名の本を晶文社から出しました。このなかの「あとがき」で、とんでもないインタビュー偽造をしています。「あとがき」に出てくるアルファベットの「K」さんが日大の中核派のリーダーで、この人が装甲車を奪って、その車の指揮をした。そのKさんが、「もしかしたら、自分が乗った装甲車が山崎を轢いたのかもしれないと考えるとぞっとした。」と語ったと書いているんです。ところがこれは全部嘘なんです。偽造なんです。
 このアルファベットのKさんが今日もこの会場に来られていますけれども、日大全共闘副議長の酒井杏郎さん、法学部闘争委員会の委員長だった酒井杏郎さんなんです。酒井さんはこんなことをいってないんです。
 酒井さんは学生が奪った装甲車に、いったん最初は乗ったんですけれど、すぐに下りてるんです。装甲車の指揮もしてないし、運転もしてないんです。その人が、「自分が乗った車、装甲車が山崎君を轢いたかもしれないとぞっとする」といったと。こういうことをでっち上げたんです。偽造したんです。
 ということは、まるで山崎博昭君が学生の運転の車に轢かれてそれで死んだという警察のデマを再び持ち上げるような、しかもそれを当時現場にいた学生が証言したかのようなことをやっているんです。

 私は実は、2022年の1月5日に代島さんにお会いしました。次作映画、つまり川口君にかかわる今回の映画に協力をしてほしいと頼まれてお会いしました。その時に、この話をしました。山崎博昭君の死の真相を偽造した、そういうあなたに川口君の死を映画にすることはできないんじゃないですか、というふうにいいました。かなり長時間にわたって話し合い、代島さんは「轢殺の可能性があると思っている」とはっきりおっしゃったので、山﨑君の撲殺死の真相について詳しく説明いたしました。
 酒井さんは酒井さんで、代島さんを何度も何度も問いただし、追及し、抗議されてきています。そのなかではっきりしたことは、代島さんは酒井さんにインタビューの一部採録にあたって、原稿もゲラも酒井さんに見せなかったということなんです。本の編集・出版において絶対にやってはいけないことを、代島さんはやったんです。インタビュー偽造は、短い「あとがき」のなかで13カ所に及びます。その全部が代島さんの作り話なんです。
 結果として、次作『ゲバルトの杜』は危惧した通りの映画になりました。
 こういうふうにはいいたくないのですが、はっきり申し上げて、やはり「代島問題」というのがあると思います。代島さんは警察デマを持ち上げるという、とてつもない誤り、インタビュー偽造を行った。その代島さんがこの映画『ゲバルトの杜』で鴻上さんと一緒になって、本当かどうかわからないような、いや虚構としかいえないようなリンチ・殺害の場面を作る。こういうことは、あってはならないことです。その意味でいろんな問題がありますけれども、その問題に一番大きな誤りがあるんじゃないか。

 私は川口君を直接知りませんけれども、やはり川口君が勇気を持って早稲田のなかで大学当局とカクマル支配に抗して頑張っていた学生であるということが伝わってきます。そのありし日の川口君への思い、川口君の無念を思って、多くの早稲田解放闘争をたたかってこられた方たちが、いまだその思いを、いろんなところに書かれております。一文再建自治会副委員長・X団のリーダーである野崎泰志さんのブログ「私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争」(とくに長文の「X団顛末記」)だったり、今日も来られている田島和夫さん(当時WAC[早大全学行動委員会])のパンフレット『川口君虐殺糾弾 早稲田解放――あの日から50年、死んでも忘れるものか』やWACの亀田博さんの論考(「川口大三郎君虐殺とその後」)、旧早大政治思想研究会有志「川口大三郎君は早稲田に殺された」もあります。
 そういうものを全部もういっぺんきちんと捉えかえし、川口君の死とは何であったのか、早稲田解放闘争とは何であったのかということを、さまざまな資料をもとに再現していくということは、私たちの仕事ではないかなというふうに思っております。
 以上です。

主催者のシンポ報告記事から引用
 「最後に一言。本シンポに病躯を押して参加くださった1967年10・8羽田闘争参加者酒井杏郎さん(1968年日大全共闘副議長・法学部闘争委員会委員長)が、終了後の二次会で立ち上がり、代島治彦監督の前作映画『きみが死んだあとで』にかかわる同名の著書(晶文社)に対してきわめて重要な告発を、声を振り絞るようにしてなさいました。10・8の死者・山﨑博昭にかかわる重要な証言であり、それに応接する代島監督への血を吐くような告発でした。これについては、7・6パネリストの一人である河原省吾さんが、すでにX上で言及されており、また、詳細は別途公にされるとも聞いています。委細はそれにゆずりますが、思いもかけぬ体験であり、シンポの趣旨とも隣接する事態なので、あえて記しておきます。」
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