序破急

片足棺桶に突っ込みながら劇団芝居屋を主宰している爺です。
主に芝居、時々暮らしの中の出来事を書きます。

演出ノート1

2008-09-28 21:28:30 | アート・文化

2 先日次回公演の初顔合わせがありました。いつもの事ながら主だった出演者と久しぶりに対面し、サア、これからという気持ちの高まりを感じました。
その日は台本を配布し、それぞれの役名を発表し、そして台本の語句の確認をしました。そして演出方針の確認です。
その後は早々と稽古場を退散して酒場へ直行し「よろしく」の乾杯をして楽しい時間を過ごしました。
これから十月の稽古始までに役者となった俳優諸君には台本を読み込み台詞を入れるという作業が残されています。

次回公演は陸軍特別攻撃隊の話です。
戦後63年という時間は大変微妙な時間で、江戸・明治程には遠くはないが、かといってそれほどの近さで感じることが出来る時間でもありません。世代間のばらつきが大きな時間です。
私で言えば、私の父はまさしく戦前・戦中の世代です。つまり戦争体験者です。しかも職業軍人として戦った人でした。父と親子として過ごした時間は長くはありませんでしたが、父の子供に対する教育方針に軍隊の経験が色濃く反映されていました。つまり体罰教育です。当時父は三十代の男盛りで敗戦の混乱の最中で翻弄されどうしょうもない苛立ちを抱えていました。その苛立ちは身内の血を分けた子供に向けられました。あれは今で言う虐待だったのかもしれません。私の中では戦争の残滓がこの様な形でありました。

転じて特攻隊の兵士の役を与えられる二十代の俳優諸君にとって63年前はどの様に映るのでしょう。彼等達の親は私の子供の年齢です。つまりこれから特攻隊の兵士を演じようとする彼等にとって戦争は二世代前の出来事になるのです。
彼等にとって戦争は最早時代劇なのです。

この事を踏まえて次回作の演出的要求は若い出演者達がどの様に「時代を纏う」事ができるか、その成否が作品の出来と大きく関わってくる事になるでしょう。

では「時代を纏う」とはどの様な事か。それはまた次回。


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