妻の妊娠がはっきりしたのは夏も終わった頃だったと思う。以前は保母をしていたのだが、3月に流産したのをきっかけに仕事はしていなかった。
妊娠してからの妻は良く服を作っていた。もちろん子ども服である。
最初はよだれ掛けの様な簡単な物ばかりだったが、徐々に腕も上達し、つなぎみたいな服(ロンパースっていうの??)やおもちゃまで作るようになった。
子どもの性別がはっきりするまでは、かわいらしいピンクや黄色が多かった。多分女の子を予想していたんだろう。布もそういう色を中心に揃えてあった。何度かの検診で男の子だと判った時、私はその後妻がどうするのか楽しみだった。
妻は車や、熊の模様を縫い付けたり、ブルーの布を買い足したりして乗り切ったようだ。
妻が母親に変化していくのと比例して子どもの服のコレクションも増えていった。
生れるまでに本当にたくさんの服や手作りのおもちゃが妻によって作り出されていた。立派なもんだと思った。
そして一成は今日もお母さんの手作りの服に包まれて眠っていると思う。
初期の作品はどうも作りがよくなかったらしく、この間行った時はボタンがあと2つしか付いていない服を着ていた。
・・・まぁ、暑いからちょうどいいか。
妊娠してからの妻は良く服を作っていた。もちろん子ども服である。
最初はよだれ掛けの様な簡単な物ばかりだったが、徐々に腕も上達し、つなぎみたいな服(ロンパースっていうの??)やおもちゃまで作るようになった。
子どもの性別がはっきりするまでは、かわいらしいピンクや黄色が多かった。多分女の子を予想していたんだろう。布もそういう色を中心に揃えてあった。何度かの検診で男の子だと判った時、私はその後妻がどうするのか楽しみだった。
妻は車や、熊の模様を縫い付けたり、ブルーの布を買い足したりして乗り切ったようだ。
妻が母親に変化していくのと比例して子どもの服のコレクションも増えていった。
生れるまでに本当にたくさんの服や手作りのおもちゃが妻によって作り出されていた。立派なもんだと思った。
そして一成は今日もお母さんの手作りの服に包まれて眠っていると思う。
初期の作品はどうも作りがよくなかったらしく、この間行った時はボタンがあと2つしか付いていない服を着ていた。
・・・まぁ、暑いからちょうどいいか。