こういう交渉は、長いことかかった。ときたま意見が一致することもあった。こういうときは、書類が入れかわっていただけであるから、その役人は、自分の書類の一部を相手にさしだし、その埋合せにべつの書類を受けとった。しかし、従僕の証明によって窮地に追いこまれたか、、いつまでも口論をつづけていることに疲れたかして要求されている書類をみなあっさりと手放さなくてはならないような羽目になることもあった。
☆このような審理は長いことかかった。ときには同意見のこともある。大勢の人たちは外の一部の記録あるいは償いとして他の記録を混ぜて提示していた。誰かなどは従僕の証明によって窮地に追い込まれ記録の要求なしで全く放棄しなければならなかった。
具体的なことは不明であるが、明らかに何らかの装置の内部である。
これがどのような機能をもった物かを知らないが四本の線のうち一本がどこにもつながっていない、即ち遂行に不備がある。(左にある円筒形のものはコイルだろうか、熱源のように見える)
この起動(振動)は不明である、不明に伏していること自体が恐怖・震撼を含有しているように思えてならない。
不安、微かな疑惑。下の四つの部位にに刻印されているものは何だろう。
上部にある相似形の四角い板は下部の装置の蓋だろうか、大きさに差異があり、下の装置に合致するものではない。しかしネジが幾つも付いており、決して開けられない、開けてはならぬといった強固な意志が感じられるカバーである。
この合致することのない上下に示唆した図版は何を意味するのだろう。整合は決して許さないという抗議のようにも見えるし、不備への畏れとも。
若林奮は沈黙している。
表明という明確さを故意に外し、暗喩の領域で目を光らせている、そう思う。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
客が足を洗ッて了ッて、未だ拭ききらぬうち、主人は、
「七番へご案内申しな!」
と怒鳴ッた。
☆格(基準)、即ち千(たくさん)の霊(死者の魂)の魅(もののけ)の拭(拭いて汚れを取る)。
趣(ねらい)の図りごとは死地に伴う悟(悟り)の案(考え)である。
題(中心)は度(仏の世界に導き入れる)命(申しつけること)である。
従僕は、しかたなしに新しい証拠をとりに車のところへ走っていくか(廊下に傾斜がついているので、車は、すこしずつ先へころがっていた)書類を要求している役人のところへ行って、これまでの所有者の抗議とは逆の抗議をまた聞かされるかしなければならない。
☆従僕は更新した表示のある小さな計り(平等)のところへ走って戻り、大きな岩(何らかの象徴)の部分を少し押し下げた。
記録を要求している大勢の人は役人のところへ行き、来世では今まで(現世で)の所有を交換するように意義を申し立てた。
従姉からホーム入所のお知らせが届いた。いつ伺っても入念なお掃除、丁寧な食事、高齢の伯母さんにどこへでも付き添っていたのに・・・。
友人のKさんは骨折を機会に介護施設に留まったきり、いまだに外で会うこともできない。
サークルのOさん、そして講師の先生、骨折で欠席続きだった折、
「これで終わりにしてください」と、お二人のコメント。淋しいことしきり。
みんな一緒に年を重ね、誰が先でも納得の年齢。
今日頑張れれば、それが幸福と思う。
歯を食いしばり無理を承知で元気に行く、潔く行く!
1-4-1『LIVER OBJET No10.』
これは何だろう、1-4-d3『ドローイング1971-003』を見ると、横須賀港 原潜 19713.4入港 二週間停泊予定(3.28)とある。
原潜が事故を起こした場合、あるいは事故を起こしたまま帰港することも考えられる。その場合、放射能汚染の被害なども考えられる重大事項である。
1-4-1『LIVRE OBJET』の構造の具体的な意味は分からないが、危惧・疑懼を表していると思う。上部にある四角の平板は下部の構造に蓋をするものだと思うが、サイズが縦横とも縮小されている。つまり蓋ができない、隠蔽できないという揶揄ではないか。
若林奮の告発であり、主張である。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
それで何処かに気懊しいところが見えている。しかし正直なお爺さんだなと客は直ぐ思った。
☆禍(不幸・災難)の諸(もろもろ)の鬼(死者)の往(その後)が現れる。
償いの自記也。
核(中心)になる自記は死である。
役人は、その書類をいまのところはしっかりとにぎっていて、それをほしがっている従僕の眼にちらりとも見せてくれない。
☆任命された記録は返さねばならず、前もって不変の事柄を無雑作に支え、熱望する従者の眼差しにも少しも見せず、そこにそのままにしていた。
日の出、日没・・・日中であり、可視状態にある時間帯である。
(4線)の意味・・・点が同じ方向に連鎖していけば線になる。時間における空気中(存在を包むもの)の分解だろうか。
音波・光波・電波・熱波・風を言っているのだろうか。
身体に感じる振動は風あるいは音、そして光(熱)である。日照の変移は存在物の影が明らかにする。
風景(自然)に直線はないが、人工物もしくは光・音・電波などは直線的に伝導する。地中には地震波(S波・P波)が潜んでいる。
眼に見えない振動を雰囲気として受動するとしたら、これは観念である。教え込まれたデーターの集積によって予感する振動である。
日の出、日没には四季による時間帯の差異がある。年間を通し塊として感じうる相違を(4線)と称し印象を具象化したのだろうか。
それぞれの時間の総体を線状に置換したのかもしれない。説明困難なしかし確実に感じ得たとする置換は、一鑑賞者であるわたしには答えを出せないが、複合的に答を探求せざるを得ない作品である。断言・決定を拒む作品でもある。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
年は六十ばかり、肥満った体躯の上に綿の多い半纏を着ているので肩から直に太い頭が出て、幅の広い福々しい顔の目眦が下がっている、
☆念(考え)の謀(計画)の答えは秘(人に隠して見せない)。
瞞(あざむく)他意は句(ことば)で章(文章)が綿(細く長く続く)。
汰(えらび分け)判(可否を定め)転(ひっくり返る)記を兼ねている自記である。
他意を当て推しはかり複(重ねる)講(話)である。
複(重ねた)腹(心の中)を含む。
黙って詞(言葉)で化(教え導く)。