続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『誓言』

2015-08-17 06:42:18 | 美術ノート
 日の出、あるいは日の入りの赤い太陽。そして地上の岩石、岩石に支えられ立つ石化した巨大なリンゴ。

 この光景が、なぜ『誓言』なのだろう。
 リンゴは知恵の実とされている。一つの観念ではあるが、多くの人の心を捉え、納得・肯定された知恵/英知の象徴である。
 もちろん、人智の為せる業の象徴でもある。


 石化…この観念の象徴が果てしないほどの未来において硬直し、無機化している未来の想像図。
 しかし、太陽は泰然と世界を照らし続けているに違いない。

 この対峙物に誓言があるのだろうか。

 
 あるとすれば、自然の無言の誓言である。自然淘汰・・・。
 あるがままの自然は、リンゴ(信仰)からの約束を遥かに超えてしまうという自然の理にほかならない。

 神への誓言は永遠と同義語に思えるが(果たしてそうだろうか)、答えは明明白白ではないだろうか。


 イメージ・言葉・観念の巨大化に対する、マグリットの静観である。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『銀河鉄道の夜』50。

2015-08-17 06:16:52 | 宮沢賢治
この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈した巨きな蟹の甲らだのとなかいの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。


☆全て普く弐(弐つ)であり、愕(おどろく)講(はなし)の記を造(こしらえている)。
 拠(よりどころ)は解(部分部分に分ける)構(しくみ)で確かめる。
 混((まざっている)から表(明白になる)を翻(作り変える/形を変えてうつす)悉(ことごとくすべて)。

『城』2055。

2015-08-17 06:07:32 | カフカ覚書
 そう言ってからやっと気がついたのだが、オルガはいなかった。年をとった両親が、まえのときとおなじようにずっと離れたところにあるテーブルのまえに放心したようにすわり、戸口のところでなにが起こったのかもまだはっきりわからなまま、ゆっくりと顔をこちらのほうにむけた。


☆はじめて気づいたのだけれど、オルガ(機関/仲介者)はいなかった。老いた両親が、再びかなり離れたところに放心したように座っていた。企みの出来事もはっきり承知しておらず、ゆっくりとこちらに顔を向けていた。