続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『シェヘラザード』

2015-08-11 06:23:22 | 美術ノート
『シェヘラザード』というのは千夜一夜物語の粋物語の語り手である王妃の名前とのこと。
 真珠に縁どられた目と口だけの語り手、鈴(言葉)コップ(地球の水)オルメイヤーの阿房宮(多くの鳥が飛び交っている)、緑なす地面、空まで届くかのカーテン、彼方は海ではなく山(平地)に見える、そして雲の散在する青空・・・。これらの集合体が『シェヘラザード』と名付けられている。

 鈴やコップの水や真珠で縁どられた人型が乗っている台は、板ではなく石造のように見える。これは板の年輪をも超える相応の年月の経過を示すものだと思う。(しかしまだ地球は厳然と在るといった時空である)

 緑(植物)があるということは、未来における人の存在を示唆している。この時空を限定できないけれど、天の頂を見るまでもなく中断されてしまったバベルの塔が鳥の巣になるような廃墟になっている。
 鈴は光り輝き言葉はその座を譲っていない。コップの水も水平を保ち地球はどうやら安泰のようである。
 この真珠で飾られた女は当然、虚飾・虚栄・慢心の具現であり、それのみの存在に見える。(マグリットは「女は強い」と、どこかで笑っている?)

 これらオブジェの中で唯一コップの水だけがカーテンで遮られていない。つまりは真実あるいは現実ということだと思う。
 この天まで届きそうなカーテン(遮蔽)の意味するものとは何だろう。
 世々代々語り伝えられていくだろう人の創造物である信仰、虚飾による欲望・権威の物語、鈴の暗示する言葉の噂・風評・流言、それらは未来の時空にも残っているや否や。

 コップの水(地球の水)だけは、地球(緑)がある限り未来永劫その存在を失うことはなく唯一の真実である、という主張かもしれない。


 未来の地球人が語り伝える物語をマグリットは想像してみる。
《どこまでも時空は切れ目なくつながっているが、果たして行く末までも残る真実とは何だろう》と。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『銀河鉄道の夜』44。

2015-08-11 06:13:46 | 宮沢賢治
 ジョバンニは玄関を上って行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口の室に白い巾を被って寝んでゐたのでした。ジョバンニは窓をあけました。


☆現れると換(入れ替わる)章(文章)の講(はなし)である。
 簿(ノート)は新しい構(しくみ)の質(中身)であると吐く(言う)。
 襟(心の中)の秘(人に見せないように隠す)芯(物の中心)は双(二つ)である。

『城』2049。

2015-08-11 06:08:37 | カフカ覚書
しかし、これは、Kが自分をなぐさめるために考えだしたことにすぎないのだが、シュヴァルツァーは、それでもおれに借りを残したままだ。


☆しかし、これは、Kが自身のなぐさめのために先祖の心配をしているに過ぎない。シュヴァルツァー(影の人)は、自身の罪過に反抗し続けている。