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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『まなづるとダァリヤ』33。

2015-01-15 06:32:51 | 宮沢賢治
「えゝ、黒いやうよ。だけどほんたうはよく見えませんわ。」
「あらっ。何だってあたし赤に黒のぶちなんていやだわ。」


☆告(話し手聞かせること)を兼ねている。
 化(形、性質を変えて別のものになる)により、釈(意味を解き明かす)を告げる。

『城』1851。

2015-01-15 06:05:39 | カフカ覚書
どうもお父さんが引きとめているとしか言いようがないね。というのは、お母さんは、子供たちのことやお父さんのことがあって転地できないわけだろう。しかし、子供たちは、いっしょに連れていけばいいんだし、そんなに長期間にわたって家を留守にする必要もなければ、そんなに遠くまで出かけることもあるまい。早い話が、あの城山のうえだって、空気がまるでちがうからね。


☆お父さんが引き止めているとしかいいようがないね。お母さんはただ子孫のことがあって行かれないのだろう。でも子孫たちは一緒に行けばいいんだし、長いこと行き続けるわけではなく予言者ははるか遠いというわけではない。あの安全な終末だって、まったく死の空虚に過ぎないからね。

カントリードール。

2015-01-14 06:30:56 | 今日の一枚。
 NHK「すてきにハンドメイド」1月号に載ったカントリードール。(この放送はありません)とのことだけど、何とか作って見た。
 人形を見ていると心が和む、下手な手作り。わたしの死後ゴミで捨てるのもなんだから、お棺の中にでも入れて下さい。(今から頼んでおこうか・・・)

 子供の頃、お人形さんの洋服を作って着せ替えて遊んだ思い出・・・今もそのレベル。


『まなづるとダァリヤ』32。

2015-01-14 06:24:28 | 宮沢賢治
「まだ夜があけないからわかりませんわ。」
 赤いダァリヤはまるで泣きさうになりました。
「ほんたうを云って下さい。ほんたうを云って下さい。あなたがた私にかくしてゐるんでせう。黒いの。黒いの。」


☆選る釈(意味を解き明かす)を究(つきつめる)運/めぐりあわせである。
 苛(むごい)死を哭き、告げる。

『城』1850。

2015-01-14 06:13:08 | カフカ覚書
それにしても、どうも合点のいかないことがある。きみが言うように、病気の理由ははっきりとわかっているのなら、お父さんは、お母さんが転地療養されるのをなぜ引きとめているのだろうか。


☆それに反して、全く理解できないことがある。終末(死)の通風(空虚)が回復するのを、なぜ妨げているのだろう。

同感。

2015-01-13 06:14:51 | 美術ノート
 福岡伸一の連載『芸術と科学のあいだ』を読んでいる。「見えない光の記憶 ありありと」の項には全く同感(日経1月11日)。
 春爛漫。満開の桜の木の下に立って散る桜の花びらを身に受けたときの感想が、写真で見るとまったく薄い印象でしかない。人の眼の感受性とカメラアイの機会的・物理的な処理では差異がある。なぜかを考えていたが、鈴木理策の「SAKURA07,4-70」を見たとき、網膜の底で無意識に感じとった光の記憶を呼び起こしてくれたというのである。

 小さな写真だけれど、想像力を働かせればある程度は実感できる。《そう、この感じだ!!》わたしは、肯いた。

 桜を体感したときの感動を何か平面的なものに置換することは極めて困難であって、絵に描かれた桜を見ても(まあ、こんな感じであることは間違いないし、これを描くには大変なエネルギーを要したに違いない)という感想に留まることが多い。
 全くそのままを写し取る写真ならばと思っていたけれど、確かに(ありありと)という感動にまでは及ばないのが通例である。

 桜の写真・・・桜を引き立てるような背景・構図・空間の広がりをもって鑑賞者の桜に対する思い入れを喚起する。鑑賞者の脳・眼差しを持って記憶と結びつけるのである。薄い花びら、淡いピンク、風に舞うほどの軽さ、その恐るべき集合体の脅威は非情な優しさを持って心の奥深くへと感応させていく。痺れるような恍惚感。
 これを人工的な作意を持って移行させ、永遠の形に留め置くのは限りなく難しい。

 しかしこの「SAKURA07,4-70」という作品、手前のピン呆けの大きな花びらと遠景の小さな桜の差異が人の脳を刺激する。普通あんなに呆けるほど近くで桜を見ることはない、というか、見ること事態叶わない。これは眼の奥の残像とも言える。ある意味、人の視覚を超えた桜であるという印象を与える。
 この印象の大きな差異が視覚の脳の処理を烈しく揺さぶる、その結果の感動で、自分の位置が不覚にも失われるような錯覚に陥る。つまり桜の真ん中に立っている気分に錯誤する。不思議な体感としての作品の成就。
 
 福岡伸一は視覚の新しい切り口を教えてくれている。
 

『まなづるとダァリヤ』31。

2015-01-13 06:07:42 | 宮沢賢治
「ね、あたし、今日はどんなに見えて。早く云ってくださいな。」
 黄色なダァリヤは、いくら赤い花を見ようとしても、ふらうらしたうすぐろいものがあるだけでした。


☆襟(心の中)の陽(太陽)を兼ねた双(ふたつ)を運/めぐらせている。
 化(形、性質を変えて別のものになる)の講(はなし)の私記は、釈(意味を解き明かす)果(結末)で現れる。

『城』1849。

2015-01-13 05:45:32 | カフカ覚書
Kは、それをひとつ実験してやろうとおもって、お父さんがそんなふうにお母さんをどんな障害からも、守ってあげておられるのは、たいへん感心なことだね。と言った。このまえお会いしたとき、そういうことがおぼろげにでもわかっていたら、きみのお母さんに話しかけるような真似はしなかったにちがいない。いまからではあとの祭りかもしれないが、家に帰ったら、よろしくお詫びを言っておいてくれたまえ。


☆Kはそれを試してみようとおもって、父が母をあらゆる妨害から保護して上げられるのは、確実に予言者の理性的な存在だと言った。当時はただそんな予感をしていただけだが、そのため、きみのお母さんに思い切って話しかけることができなかったのです。今からでは遅すぎるかもしれないが許しを乞うている。

襟巻き。

2015-01-12 06:47:23 | 今日の一枚。
 もう編み物はしない!と決め、手持ちの残り毛糸はベストを作った。それを最後に終わりにしたのは十数年前のこと。
 編み物をすると時間を忘れて熱中してしまう。疲れ果てるまでやるから、食事の仕度もおろそかになるし、自分にも支障が出るという具合。その上家族はわたしの下手な手編みを敬遠し、着たがらない。しかも手編みの着衣は収納に嵩張る。

 何も良いことがなかったわたしの手編み歴。

 ところが古道具屋(引っ越し片付け業)の店先を覗いたら、(えっ、毛100%/アルパカ35%の毛糸5個入りが200円?あらっ、3個入りなんて60円なの?)
 揺れる心、迷いながら・・・手に取りそうになって(ダメよ、ダメダメ)

 でも・・・。
 そういうわけで購入したピンク(渋ピンク)の毛糸。帽子を編んだら童話に出てくる狼のお婆さんそっくりの態。でもって、解いてマフラーにした。(安く手に入れたものを放置すると、二重の損になるから)

『まなづるとダァリヤ』30。

2015-01-12 06:40:46 | 宮沢賢治
 夜があけはじめました。その青白い苹果の匂のするうすあかりの中で、赤いダァリヤが云ひました。


☆野(未開)の章(文章)を吐く(言う)。
 並んで和(争いを収める)仁王(仏法の守護神として寺の門などの両脇にある一対の金剛力士像)の忠(まごころ)の責(なすべき仕事)を運/めぐらせている。