続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)①

2020-06-15 14:34:49 | 飯島晴子

 枯蘆の流速のなか村昏るゝ

 枯蘆、冬である。
 流速、流れの速さを言う、つまり早いとも遅いとも言っていないということは《時間》、絶対的な時間、時の流れを指している。
 昏る、静かで賑わいがない、人がいるのかいないのか・・・人っ子一人見えない光景であるが、冬(農閑期)であれば当たり前かもしれない。
 昏るゝ。るゝは連体形だろうか、縷々、昔から代々の村は今も静かに息づいているに違いないが、それにしても物寂しい風景であり、枯蘆を刈り、簾などにする術は(安価な外国産に押され)すでに廃れてしまったのだろうか。
 冬である、村の時代にも冬の季節が到来しているのかもしれない。
 時代の流れの中でひっそり佇む村の光景が見えるようである。

参考:『飯島晴子の百句』奥坂まや著


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