
『埃の栽培』(撮影 マン・レイ)
埃を栽培するという営為はない。
埃は自然(歳月)の営みによる結果であり、有益であるとは言えず、払拭すべき負の産物である。
空気より重い埃(微塵)は空中を漂いつつ落下し、そこに留まる。風圧で他所に移動するかもしれないが、降り積もる埃は時間の集積でもある。
不可逆である時間の集積は、益ともならず不要の汚染と化していく。
希求されず、人知れず留まる埃の宿命。発見は即ち、消去を意味するかもしれない。
無・無益・打ち消されるべき行方の埃は人知れず、どこかしこ静かに留まっている。この悲哀にも似た存在物の宿命は、無空を凝視するデュシャンの眼に好機と映ったに違いない。
「真理は正にここに在ると!」
人の手に拠らないレディ・メイドである。
(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)
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