
『前兆』
何の前ぶれ、兆しなのだろう。閉ざされた空間(洞窟)から鷲が翼を広げた形状の山稜を見る構図である。人工的なものがない・・・原始(未開)を提示している。
鷲が翼を広げているという認識、見たものにもう一つの映像を重ねる・・・空想、イメージの始まりである。それは原初から人間の視覚に備わった機能、脳の働きであり、むしろ直感とも言える作用である。
浮遊の雲を何かになぞらえるという意識は、意図せず生じる感性であり、ごく自然な心理の流れである。
わたし達は、対象を否応なく見るが、その対象をまるで質の異なるものに変換して見ることは可能であり、潜在意識の中の交換である錯視は本能の領域にある。
イメージ、実像と虚像を行き来する心理。
AをBと錯誤すれば、それはB以外の何物でもなく、Aは主観的には否定され消し去られてしまう。客観的には明らかにAであるにもかかわらず。
『前兆』とは、原始の昔から人間の存在と共にある《見ることの曖昧さ=イメージ》に発しており、その前提のもとに人は対象を臨み見ている。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
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