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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)父母祖父母。

2020-10-18 05:46:24 | 飯島晴子

   父母祖父母はや赤蛙浮かぶ沼

 父母も祖父母も読んだ『赤蛙』(島木健作・著)。
 はや、赤蛙は沼に浮かんでいる…ああ、何てことだろう、あの赤蛙は浮かんでいる(もう死んでいる)流れなき沼の中に。
 幾たびも同じことに挑戦し、叶わぬうちに力尽きてしまう。力に余るものに挑む執念、激震が走る不条理。笑えるか?否、作者は精神の崇高さを称えている。

 父母祖父母はフ・ボ・ソ・フ・ボと読んで、普、簿、礎、二、募。
 はや(早)はソウと読んで、総。
 赤蛙はシャク・ケイと読んで、釈、経。
 浮かぶ沼はフ・ショウと読んで、二、章。
☆普く簿(ノート)には礎(基になるもの)が二つ募っている。
 総て釈(意味を解き明かすと)経(つね)に二つの章がある。

 父母祖父母はフ・ボ・ソ・フ・ボと読んで、腑、慕、祖、普、墓。
 はや(早)はソウと読んで、総。
 赤蛙はセキ・ケイと読んで、跡、継。
 浮かぶ沼はフ・ショウと読んで、譜、消。
☆腑(心の中)で慕う祖先(先祖)は普く墓のなかである。
 総て跡(あと)を継(つなぐ)譜(順序だてたつながり)も消えてしまった。