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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)たはやすき。

2020-10-07 07:24:14 | 飯島晴子

   たはやすき泪もありぬ諸葛采

 諸葛采などを調理した貧しい食卓に思わず涙ぐんでしまった。(諸喝采はオオアラセイトウという野草)

 たはやすき(容易)はヨウ・イと読んで、要、意。
 泪もありぬ(泪有)はルイ・ユウと読んで、塁、有。
 諸喝采はショ・カツ・サイと読んで、諸、合、再。
☆要の意(考え)に塁(よりどころ)が有る。
 諸(諸々)合わせ再(くりかえす)。

 たはやすき(容易)はヨウ・イと読んで、庸、委。
 泪もありぬ(泪有)はルイ・ユウと読んで、類、誘。
 諸喝采はショ・カツ・サイと読んで、緒、括、采。
☆庸(つね)に委(まかせる)類(よく似ている仲間)がある。
 誘(惑わす)緒(つながり)を括(一つにまとめると)采(姿・形)がある。


R.M『終わりなき認識』②

2020-10-07 06:44:07 | 美術ノート

 逡巡だろうか、否、結論である。『終わりなき認識』という答えである。屋内のわたくし(マグリット)は開口より見える謎の球体と同じ目の高さにいる。
 遥かに距離を置いた向こうは計り知れないほど高い山の彼方に位置している。見えているが、決して手の届かない時空は、しかし厳然として存在する、わたくし(マグリット)が認識の究明を手放さないかぎり目に前に立ちはだかるだろうと思われる。

 もう一人のわたくし(マグリット)である。考え(認識)があんなに手の届かない場所に浮遊している。球体の上のわたくし(マグリット)は地上の人ではなく、認識という世界の上に立ち、地上のわたくし(マグリット)を観察しているという関係である。

 大いなる誤解は時空の曖昧さにかき消され主観と客観は一致するかの錯覚を抱く。この関係性を正しく認識することが、本来の認識であるとするならば、決定的な正解は望めず、常に転落の危機を抱え込まねばならない。
 なぜなら、双方とも立脚点の不明を解消できないからである。
 証明は存在の本質への挑戦である。

 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』49.

2020-10-07 06:34:51 | 宮沢賢治

 なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどといふこんどは二人ともぎよつとしてお互いにクリームをたくさん塗つた顔を見合わせました。


☆律を把(手につかむ)省(注意して見ること)に頼る。
 掩(隠した)個(一つ一つ)の質(内容)は、字を認(見分けること)である。
 語(言葉)の図りごとが現れる。
 兼ねて合わせている。


『城』3511。

2020-10-07 06:22:08 | カフカ覚書

これは、事実です。でも、これは、フリーダだからこそ許されることだったのです。フリーダは、すでに一身に愛顧と人気を集めていました。たとえば、貴婦人が一度くらいよごれた、だらしのない身なりで人前に出ても、かえって魅力的に見えるようなものです。しかし、わたしのような新米の場合は、そうは問屋がおろしてくれません。


☆これは、確かです。フリーダはそうすることを許されているのです。彼女はすでに人気と尊敬をもっていました。マネキン人形が先祖の傷痕で汚れたりダメになる前兆があるでしょうか。わたしのような新米ではそれだけでダメだと思われてしまうのです。