goo blog サービス終了のお知らせ 

続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

Ⅱ-1-d11・Ⅱ-1-d12〔ドローイング〕

2019-12-05 06:56:34 | 美術ノート

   〔ドローイング〕

 色鉛筆か何かのスケッチ、緑色(草色)と朱赤の混合。
 若草色、濃緑、朱赤(紅葉)・・・緑(植物)の循環(生死)のようである。
 道(通路)は直線であり、自然というより人工的である。つまり人の道(人生)を暗示している。

 左の図では道は二本あるが、岐路であってつながっていない。二本のうち右の道は少し湾曲しており、自然に近い。ただ二本の道ともに行き止まりであって永遠ではない。

 整然と直線に描かれた道は上っているのか下っているのかが定かではない。急勾配なのか平らなのかも判然としない。
 手前は広く開放された空間であり、道は自らが選択すべく敷かれている。しかし、用意された道を進むしかない、生きるしかないのである。
 生老病死・・・終末は必至であり、人生という道はある意味閉塞である。

 広いのか狭いのか、上り坂か下り坂か、はたまた平坦であるのか。緑(植物)もまた循環を生きつつ人の道(生存)を支えている。この共存関係の中をわたし達は生きているし、生きなければならない。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』48.

2019-12-05 06:42:13 | 国木田独歩

「しかし、何時でしょう」
 と大津は投げ出してあった時計を見て、
「おやもう十一時過ぎだ」
「どうせ徹夜でさあ」


☆加(その上にかさねた)字の他意の真は等(平等)を推しはかることである。
 二つを継いで現わしている。
 重なるものが逸(かくれている)。
 字で化(教え導くこと)を綴る也。


『城』3317。

2019-12-05 06:22:08 | カフカ覚書

ただ読むようなふりをしているだけなのだ。この廊下に面したどの部屋の役人に届けてやっても大喜びしたことだろうが、彼はべつな決心をした。配達はもう飽きたのだ。彼は人さし指を唇にあてて助手の従僕に、だまっていろという合図をするとーKは、まだまだ近くまで行っていなかったー紙きれを粉々に引裂いて、ポケットにねじこんだ。


☆紙片の分配を喜んだようにふるまったが、彼はほかの決心をした。分配はすでに信条であり、人さし指を口にあて案内人に沈黙の合図をした。Kは長くは彼のそばに留まらず、氏族の紙片はバックへと差し込んだ。