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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『1-1-5〔無題〕』

2019-09-02 06:35:30 | 美術ノート

   『1-1-5〔無題〕』

 

 明らかに人型である、椅子にでも腰かけているようなポーズではあるが、重心は腰と背後に重なった何物かにある。
 背後の何物かは不明であるが、物理的な根拠はなく精神的な思い…後ろ髪惹かれるというが、未練・後悔などの想念であり、それに打ち克つ前向きな希望や意欲とのせめぎ合いの混沌。
 自身の身体は、自身の足・腰あるいは全身(仰向け・伏…)が床に着地し重心が釣り合うことで存在(静止状態)を可能にしている。

 しかし、この作品では膝を曲げた足を宙に浮かせており、自然体ではない。相当にエネルギーを必要とするポーズである。このエネルギーを背後の何物かが負担している。
 負担というよりは、存在を不安に陥れている。不安(マイナス要因)を背負うことで、正しい着地を阻止している。(背後の何物かは生きることへの執着であり、人は常に揺らいでいる)

 人は自身の機能によって歩き生活していると思っているが、必ずしもそうではなく、背負う《業の深さ》によって、動かされているのかもしれない。不可視の想念(百鬼夜行が取り付いている?)

 この作品に関して言えば、相当に苦しい形態であり長くは続けられない。しかし、その形相は削除されているし、さりげなく常態にさえ見える。
 まさに《生きている人》のリアルであり、精神的揺らぎ(振動)は生の証である。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展より・神奈川県立近代美術館)


『セロ弾きのゴーシュ』92.

2019-09-02 06:20:30 | 宮沢賢治

首尾よく第六交響楽を仕上げたのです。ホールでは拍手の音がまだ嵐のやうに鳴って居ります。


☆主(中心となるもの)を備(あらかじめ用意しておき)代(入れ替えて)録(書き記す)。
 講(話)は教(神仏のおしえ)の玉(すぐれた)詞(言葉)は、常に博(大きく広がる)趣(ねらい)を隠している。
 覧(よく見ると)冥(死後の世界)への意(思い)である。


『城』3256。

2019-09-02 06:06:03 | カフカ覚書

これはもうよけいなお節介になるかもしれませんが、念のための申しあげておきますと、こういう小さなことででもあなたが見あげた人だということになれば、ときとしてあなたの今後の生活にも役だつことがあるかもしれませんよ。あなたにお伝えしなくてはならないことは、これだけです。


☆この詳細は真価を発揮し、先へ進むためにわたしが述べることは、さらに多くを必要とするでしょう。これがわたしが言うことの全てです。