『1-1-5〔無題〕』
明らかに人型である、椅子にでも腰かけているようなポーズではあるが、重心は腰と背後に重なった何物かにある。
背後の何物かは不明であるが、物理的な根拠はなく精神的な思い…後ろ髪惹かれるというが、未練・後悔などの想念であり、それに打ち克つ前向きな希望や意欲とのせめぎ合いの混沌。
自身の身体は、自身の足・腰あるいは全身(仰向け・伏…)が床に着地し重心が釣り合うことで存在(静止状態)を可能にしている。
しかし、この作品では膝を曲げた足を宙に浮かせており、自然体ではない。相当にエネルギーを必要とするポーズである。このエネルギーを背後の何物かが負担している。
負担というよりは、存在を不安に陥れている。不安(マイナス要因)を背負うことで、正しい着地を阻止している。(背後の何物かは生きることへの執着であり、人は常に揺らいでいる)
人は自身の機能によって歩き生活していると思っているが、必ずしもそうではなく、背負う《業の深さ》によって、動かされているのかもしれない。不可視の想念(百鬼夜行が取り付いている?)
この作品に関して言えば、相当に苦しい形態であり長くは続けられない。しかし、その形相は削除されているし、さりげなく常態にさえ見える。
まさに《生きている人》のリアルであり、精神的揺らぎ(振動)は生の証である。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展より・神奈川県立近代美術館)