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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞デュシャン『9つの雄の鋳型』②

2019-05-24 07:01:48 | 美術ノート

 鋳型の外側は、本体に関係しないから無雑作・無作為であるのが普通ではないか。
 にもかかわらず、外観こそが鋳型の中身であるかと錯覚させるような造りである。

 しかも、何かを連想させない、連想することを拒否するような形態である。二本脚のような物はズボンを連想させるがズボンを鋳型で作るなど聞いたことがない。
 倒立不可であり、中(鋳型)と外観が酷似(相似形)したものである確証もない。むしろ関連(酷似)などないと考えるのが妥当である。
 一つ確かなことは、鋳型であれば、内部(本体)は、これら外観より小さいということだけである。

 結論から言えば、9つの鋳型の中身(本体)は不明であり、有無さえも断言できない。
 鑑賞者は作品に対峙した場合、極力作者の意図をくみ取ろうとし、想像力を働かせる。目に見える形から手掛かりを掴もうとする。
 しかし、《鋳型》である。
 何の、という説明がないかぎり、鋳型の中身は決して言及できない。

 デシャンは《無/想像不可/想像拒否》を狙い、あたかも想像を許すような無意味な形態を示して鑑賞者を迷路に誘い込んでいる。
 目にも見え、明らかに有る状況から《無》を垣間見せている。経験上知覚し得たあらゆるデータの抹消を図っている。

『9つの雄の鋳型』は、見えないものを見せるための創意を凝らした作品である。


 写真は(www.tauschen.com)より


『セロ弾きのゴーシュ』24.

2019-05-24 06:51:33 | 宮沢賢治

 夜中もとうにすぎてしまひはもうじぶんが弾いてゐるのかわからないやうになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄い顔つきになりいまにも倒れるかと思ふやうに見えました。


☆夜の自由な談(話)であり、信仰の釈(意味を明らかにする)が現れる。
 質(内容)は総て仏の済(救い)の願いである。
 禱(祈り)の詞(言葉)が現れる。


『城』3189。

2019-05-24 06:41:16 | カフカ覚書

片方には担当の秘書がいて、他方には担当出ない秘書がいる。眼のまえには、多忙多端な陳情者たちの群れがいる。それでも、おれは、深い眠りの海の底に沈んでいき、こうしてあらゆるものからのがれ去るだろう。


☆一方では、権限のある秘書と権限のない他の人たちがいる。その集団に対して深い眠り(死)に入りこんだ関係者たちは、巧妙にもこれらすべてから免れるだろう。