野に咲く花も冬に入り枯れて行く昨今、わたし達70代の友人仲間にも病の兆しが見え始めていることを認めざるを得ない状況である。
風邪を引くまい、転ぶまいと強く心に刻んでも不測の事態は起きてしまう。
風邪や転倒だけで済むならいいけれど、それがきっかけで認知などという症状に転移していくことがママある。
そうした症例を目の当たりにすると(ああ、次は自分の番)などと悲観してしまう。
覚悟・・・枯れていく覚悟である。
明日は分からない。
今日できることをなるべく今日の内に、と思う。
ところが象が威勢よく、前肢を二つつきだして、小屋にあがつて来ようとする。
☆章(文章)の意(考え)は、照(あまねく光が当たる=平等)が全(すべて)である。
試(こころみる)字(文字)は、照(あまねく光があたる=平等)也、の記である。
この額は微妙に傾いている。熟視しないと判別できないほどの歪みである。
いかにも整列されたように見える馬の鈴(口承、伝説、命令、意見など)にもわずかなズレが生じている。それを隠蔽(曖昧)する雲の散在、額縁の中の景色にみえる統制と反乱の潜在・・・。
額縁の中は一国の象徴、それ(額縁)を支える背後あるいは周囲の石は大衆であり配下ではないか。
明るさは富や権力を、暗さは窮乏や不平を暗示しているのかもしれない。この大きな差…『大潮』と呼ぶべくして名付けたのだと思う。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
三疋はぽかぽか流れて行くやまなしのあとを追ひました。
三疋はサン・ショと読んで、散、諸。
流れてはリュウと読んで、留。
行くはコウと読んで、講。
追ひましたはツイと読んで、対。
☆散(バラバラになった)諸(もろもろ)を留める講(話)は、対になっている。
Kは、うなずいた。どうもおれを知っている人間が多すぎる。これは、おれの行く手をさえぎる主要な障害のひとつだと言えるくらいだ。
☆Kは、うなずいた。わたしを知っている人たちが少なくない。それどころかそれは手段の主な障害になっている。