紙芝居(幼児向け)の合間に手遊びをするという。
「かぼちゃをそれぞれ持って順に廻して歌うのよ」
「で、あなた縫物が得意でしょ。だから・・・」
「ええっ~!」
FAXで送られてきた作り方を頼りに何とか・・・作っているうちに愛着も沸いて、(何でもやってみることだわ)と、独り言。
四分割・・・しかし、なぜ喪章のような黒枠で縁取られているのだろう。
1928年制作とある、1928年は正しく父親の没年である。
社会的地位、然るべき仕事への情熱は、必ずしも家庭内へ向けられる視線とは合致しない。同じような日々、繰り返される日常の室内に父親の存在がいかに希薄であったかという追想である。
仕事一途、真面目な人物であったことは想像がつく。しかし家庭内に於いての存在の薄さ…家庭のなかに在っても、新聞(外/社会)を読むばかり。
四分割の上方に父を描いたのは、尊敬の念もあるかもしれないし当然感謝もしていたに違いない。にもかかわらず、「お父さん、あなたは…」息子であるマグリットはもの言いたげである。
「お父さん、あなたは物のようにそこに在るだけの人でした。しかも不在の方が多く、母の死にも・・・」
静かに物言わずコツコツと描き続けたマグリットの心境がいかなるものであったか知る由もないが、(この絵の通りでございます)という彼の言葉が聞えてくるようである。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
ひとはあぶなつかしいセレナーゼを口笛に吹き
雪はセツと読んで、説。
移動はイ・ドウと読んで、意・同。
口笛はコウ・テキと読んで、講・適。
吹きはスイと読んで、推。
☆説(話)の意(考え)は同じ講(話)から適(あてはめて)推しはかる。
それが、ほんの二、三時間ほど眼をはなあしたばかりに、もっとも、これはきみの誠実さを信じればこそだったし、また、教室のドアはかたく錠がかかっているし、助手どもは永久に逐電してしまったとおもっていたからだが
☆わたしは衰弱し、ほんの少しの時間しかないが、きみの誠実さを信用していたので、一族の期待は閉ざされたが、助手ども(頭脳)は最後まで有効であるからだ。