続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『屈折率』

2018-07-30 07:16:22 | 宮沢賢治

    『屈折率』

  七つ森のこつちのひとつが
  水の中よりもつと明るく
  そしてたいへん巨きいのに
  わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
  このでこぼこの雪をふみ
  向ふの縮れた亜鉛の雲へ
  陰気な郵便脚夫のやうに
    (まtアラツデイン 洋燈とり)
  急がなければならないのか


☆窟(洞穴・岩や)の説(話)の律(決まり)、
 死地の真(まこと)を推しはかる。
 宙(地面から離れた空間)にある冥(死後の世界)は、虚である。
 悼(死を悲しむ)を接(つなぐ)講(話)であり、粛(謹んで)吾(わたくし)は、(それを)掩(隠して)運(めぐらせている)。
 隠れた記は幽(死者の世界)を弁(語る)。
 客(訪ねてくる人→これを読む人))は普く要である等(平等)を究める。

※屈折率とは《現世と来世の》それである。


🈞マグリット『夏』

2018-07-30 06:34:45 | 美術ノート

   『夏』

 同じ窓が縦横に並ぶ建物の壁面、ポールに掲げられた旗は空(青空に散在する雲)が描かれている。それっきり・・・。

 夏といえば開放的なイメージがあるのに、カーテンで閉ざされ閉まったままの窓というのは奇妙である。建物には当然内部に人がいるはずなのに、多くの人が並べて窓を閉じている。
 灼熱の季節である『夏』に閉ざされた窓は納得がいかない。ここにある理由は何だろう。
 抑圧された忍従だろうか。
 それとも人は不在なのだろうか。石造りの頑強に見える建物の画一化された窓の距離間(上下とも)が非常に短い。各人がぎゅうぎゅう詰めになっている印象がある。それに日射しが届かないのか窓の中は暗く、見える物がない。
 風景の中の建物ではなく、建物の中の建物という感じである。どこまでも判で押したように同じであり、並べて暗く陰鬱と沈黙が座している。

 ポールに掲げられた旗には同年に描かれた『呪い』と同じ作画があるが、その一辺は直線ではなく切り取られたあとのような感がある。(平和な日常を返して)とも取れるが、《自由》の象徴とも思える。

『夏』、ここに本来の夏のイメージはなく、夏を喚起させるものはない。にもかかわらず、『夏』であるのは不条理である。
 あえて『夏』と題した理由は、凍りついた世情への告発、反発、皮肉ではないか。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『小岩井農場』68

2018-07-30 06:12:18 | 宮沢賢治

  これらはあるいは天の鼓手 緊那羅のこどもら
   (五本の透明なさくらの木は
    青々とかげろふをあげる)


☆展(広がる)己(わたくし)の趣(考え)は、襟(心の中)に納めた裸(包み隠さないこと)の語(言葉)にあり、翻(形を変えてうつすと)答えがある。
 冥(死後の世界)に、黙って照(あまねく光が当たる=平等)を唱えている。


『城』2995。

2018-07-30 06:03:46 | カフカ覚書

それに、あなたは、あの夜このアルトゥルをなぐって、ほとんど半殺しになさいました。あの一撃は、わたしたちの幸福をもこわしてしまったのです。


☆それに、あなたは、あの小舟を握り拳で打撃を与えました。それは、わたし達の幸福をも破壊したのです。