『与えられたとせよ:⑴落ちる水⑵照明用ガス』
女はガス燈を掲げているが、火を用いることは総ての生物の中での優位を占めた証である。
火をつないでいくこと、すなわち文明社会の進化であり、山川海の自然を支配できるという錯覚を抱く根拠かもしれない。
羞恥を放棄し、照明用ガス(ランプ)をかざす光景の意図は何だろう。
ランプは、他の生物には決してない人類の誇りの象徴である。本来、秘密であるべき裸婦の淫靡なポーズは性欲なのか生命連鎖の誕生を果たした光景なのか不明である。ランプやレンガ(板戸)の他に時代を明らかにする手掛かりはなく、ランプは単なる象徴だとすれば《人類の始まり》に遡ってみた光景かもしれない。
恥部を隠すのは本能であるが、露わにするのも本能である。
デュシャンがまざまざと見せたもの、それは《本能への刺激》であり、生きる糧にほかならない。
羞恥と欲望への衝動は、太陽系(ガス)の中の水地球の春であり、荒廃した板戸の穴から覗く小さな物語は、未来には霧消していく人類の性の小景である。
その空からは青びかりが波になつてわくわくと降り、雪狼どもは、ずうつと遠くで焔のやうに赤い舌をべろべろ吐いてゐます。
☆悪の世は頗(公平でない)考えにある。
説(はなし)の労(ほねおり)は、掩(隠した)縁(つながり)にある。
釈(意味を解き明かす)は、舌(言葉)で図っている。
お役人たちが村へ出かけたり、お城へ帰ったりするのは、遊びごとじゃないんdすもの。村でもお城でも、仕事が待っているのです。だから、あんなに大いそぎで車を走らせているのです。
☆終わりに来世にいくこと、あるいは城(本当の死)へ再び戻ることは愉快なことではありません。来世でも城(死界)でも、現場不在が留まっているのです。だから、激しい速さで死ぬんです。