続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』

2017-04-07 07:12:36 | 美術ノート

 『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』

 この作品本体と作品名は共通する要素を持っている。
 同値であり、分散空無・霧消の現存ともいえる不思議な関係は、リアルであり、意味を消滅させる作用を持つものである。

 作品の下部は『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』『9つの雄の鋳型』『チョコレート粉砕機』などを含めた《在るが無い》という総合版であり、上部は『花嫁』の部分と三枚の四角の形が寓意性をもった雲状の中に位置している。
 アルミの枠で仕切られている上下の世界は、それぞれの作品名から女と男と考えられる。それは枠の仕切りをもって切断されているようでもあり、一枚の大ガラスという枠内で接合されているともいえる。(花嫁を含む位置が鑑賞者の目線より上にあり、手の届かない浮上に憧憬が隠されているかもしれない)
 作品内の個々の作品を検討すると、それぞれが《在るが無い》という構築であり崩壊を内包するものである。ガラスという有るが無い(透過性)素材の中での展開である。
 復元に困難をきたすほどの大きさは制作における物理的極限であるが、それをもって、現存否定の世界を出現させるという矛盾を成している。

 作品の経由も説明も受けずにこの作品の前に立てば、理解不能の拒絶を感じてしまう。しかも鑑賞者自身が映り込み、この作品に参加するわけである。自分自身もこの作品内に映るが、作品(ガラス)の向こうの景色も一体化する。
 わたくし(鑑賞者)と他者の間をこの作品が遮断している。
 通り抜けることは出来ないが、共有の空間内に存在するわけである。

 この曖昧模糊とした景の中に立てば、実存というものを問い直さずにはいられないと思う。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『水仙月の四日』2。

2017-04-07 06:55:20 | 宮沢賢治

 猫のやうな耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけてゐたのです。


☆描かれた字を解(バラバラにし)発(明らかにする)説(はなし)である。
 場(空間/景)は、逝(死にゆく人)を惨(痛ましく思う)脈(筋道)を接(つなぎ)、閲(調べて)演(述べるもの)である。


『城』2603。

2017-04-07 06:44:24 | カフカ覚書

父が立てていた計画というのは、お城の近くの街道の。お役人の車がよく通る場所に立っていて、どんな車でも通りかかったら、赦してほしいという請願をするというのです。


☆父が準備した計画というのは、死に近づいたら国(束縛)から追い出し、あえて終わりにし、何とかして(死に)逝くことを願い赦しを頼みこむというのです。