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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

悲喜こもごも?

2016-09-11 08:12:02 | 日常

 息子の家の庭には以前の持ち主が植えた椿の木が二本ある。枝が伸び放題だってので部分的に切り落とした。
 椿につく茶毒蛾のことは、聞き知っていた(賢治の作品にもある)。なのに夢中で草取りなどをした結果、夕方になると赤い斑点が…翌日になるとかなりの範囲に増え、さらに赤く・・・。
 悲しいまでに身体を脅かした茶毒蛾の猛威、かゆくてかゆくて一日中かゆみ止めの軟膏を塗り続けた。二日、三日…四日、今日で五日目である。退きはじめてはいるものの、まだまだ・・・。

 しばらく空き家だったところをリフォームして住んでいるので椿の消毒などは関心外だったに違いない。

 でも考えてみると第一の被害者が何の用もない高齢者であるわたしで良かったと思う。息子たちや孫であれば聞くだけでも辛い。わたしで良かったのだと言い聞かせて薬を塗り続けている。
 

 でも、それを払拭するほど嬉しかったのは孫が、
「おばあちゃん、一か月くらいはいるの?」と聞くので「明日には帰るよ」と言ったら、さめざめと泣いてくれたことである。
 (ありがとう・・・)

 学童保育の児童クラブへは行かず、真っ直ぐ集団下校で早く家に帰れたことも嬉しかったに違いない。
 次男が入院している間、たぶん一か月余は、最長時間の7時までをクラブでお世話してもらうキヨちゃん、淋しいけど頑張ってね。
 児童クラブで覚えたという将棋、どんどん強くなってお父さんと勝負している。
 三男のケイちゃんもチョコマカ動き回って、可愛らしさが増している。

 いろんなことがあるけれど、いつかは笑い話になるから、健康に留意していい家族でいて下さい。
 


デュシャン『チョコレート粉砕機』③

2016-09-11 07:28:54 | 美術ノート

 『チョコレート粉砕機』

 カタログにある粉砕機(右下の写真)と比べると一目瞭然、粉砕機であるための機能を除外している。簡略にし、イメージを描いたということとは全く違う。
 意図して機能を外し、ローラーを三つ、あたかも回転するかのイメージだけを浮上させたのである。
 ローラーが一つであれば、単に転がるだけであり、二つであればそれに対する支柱があって回転を可能にするもの(実物の写真)である。
 作品では三つのローラーがあり、円を描くかのイメージで中心を一つにしている。明らかに回り続けるかの印象を受けるが、実物はどういう動きなのだろう。デュシャンが作品に被せたイメージの動向とは異なるのではないか。
 つまり、チョコレート粉砕機(実物)のイメージを借用したが、似て非なるものである。

 この作品を見ると、実物(レディ・メイド)を想起し、単に実物のイメージ化であると感受する可能性が高い。
 しかし、このローラー三つは何をもって回転するのだろうか。このローラーは軽くはあるまい、それが三つとなるとかなりの重量が予想されるが、こんな貧弱な猫足で支えられるのだろうか。
 ローラーはほんの少しずれてもバランスを崩すに違いないし、そうなれば薄いテーブル版の上のローラーは落下・崩壊の危機である。

 実用的な機能を除去し、イメージの複製を描いている。本来の粉砕機の機能はまるで粉砕されているのに、粉砕機としてのイメージが前面に提示されているという仕掛けである。

 鑑賞者の抱く経験上のデーターには、粉砕機は粉砕する機能を持つものであると、しっかりインプットされてる。それを静かにもゆっくり崩壊させていくこの作品の持つ破壊力に肯かざるを得ない。


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)