特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

妻への手紙

2005-09-13 23:08:17 | 祈り
 朝のうち曇りのち雨一時雷雨。一日の降水量90.5mm。最低気温16.7度。最高気温24.6度。

 この本を読んだ(本書に登場する浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟についてはこちらを参照のこと)。
 下の写真は私が実際に読んだ一九九六年三月発行の第三刷のもの(消費税率が3%だった)。
 


 本文中に紹介されていた妻・咲子宛ての手紙が実に良かった。下の二通は京城にいる巧が、一九二九年の秋に京都にしばらく帰った妻へ宛てたものである(以下太字引用pp78-80)。
 
 御手紙をよみて無事を喜ぶ。当方心配無用。内外多忙にて淋しきことなく不自由の生活も修行と心得れば尊き恵。地上遠く距れて我為に祈るものありと思へば、励まされもし自重の念も起る。夏に冬を慕ひ冬に夏をのみ思ふは愚者なり。夏ありて夏を楽しみ冬来れば冬を味ふ、この心を神は嘉(よみ)す。自然に於ける草木の如く、正しき成長はそこにのみある。(後略)                                    十一月八日 巧

 離れて暮す淋しさよりも、殆ど体の距離に正比例して思ひの接近、心の触れ合ふことに喜を感じたし。心と心を接触せしむる秘訣は次の一事あるのみ。
 相離るゝもの御互に勝手の思ひを懐くとせんか、その思は宙を迷ひて接触することなし。故に心の宿所を一定するの要あり、御互に打合せを守らば、思は常にその場所にて逢ふべし。その場所はすなはち神を辿るの途上にあり。常に心の休場をその途上に置かば迷子にならず廻り合ふべし。波長合へばラヂオで話が通ずる如く、吾々の意義を神の波長に合せ置かば思ひは通ふ。如何なる思ひが先方に通ずるかを熟慮し、通じさうな事柄を念ずる、これ修養の第一。右により波長を整へ置かば、日夜放送する朝鮮よりの便りすべて聴き取れる筈。
 万事に無駄の心配をせず楽しく有益の日を過す様祈る。                                      十一月十三日 巧生


 これらの手紙を読むと、クリスチャンであった浅川巧氏の人柄が実に良く表われていると思う。
 朝鮮の土地を愛し、庶民を愛し、民俗を愛し、妻をそして家族を愛した日本人の先達が一九三一年までこの土地に暮らしていたという事実を忘れてはならないと思う。現在もソウル郊外の忘憂里(マンウリ=망우리)にある共同墓地に眠っているそうである。時間があれば、今度の秋夕(チュソク=추석)にでも訪ねてみたい。

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