特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

教会からの葉書

2005-03-17 21:54:22 | 祈り
 今日(3/17)、私の母教会であるキリスト品川教会から葉書が届いた。嬉しい
 牧師先生をはじめとした教会職員の朝の礼拝で、韓国にいる私のことを覚えて祈って下さったとの由。本当に感謝である。

 毎主日の週報である『泉のほとり』には日本国内をはじめ、世界各国で暮らしている教会員たちが、近況を伝える文章を交代で執筆している。私も『ソウルだより』として何度か書かせて戴いた。他の教会員の方々は「教会」や「イエス様」に関した日常の話題を非常に上手くまとめていらっしゃる。それに対して私はソウルで暮らしていて身の回りに起こった個人的な出来事を、単に並べるだけのいわば『雑記帖』に限りなく近い駄文だ。従って、せっかく原稿を送ったのにもかかわらず、そのまま「お蔵入り」になる文章もたまにある。結局、このブログに書いているような内容とさして変わりない。

 私は洗礼は受けているものの、クリスチャンとしてはまだまだだ。だから他の教会員の方々とは違い、イエス様に手を引かれてやっとこ歩いているおむつをつけた赤ん坊のようなものだ。赤ちゃんは何も立派な仕事はしないが、周囲の人たちを自然と“笑顔にしてくれる”という素晴らしい力を持っている。

 だから、私も決して背伸びせずに、自分の思ったことをそのまま文章にしようと思って今まで書いてきた。逆に教会の週報だからこそ私が書いた「フツーの文章」が、読む人をして多少なりとも惹きつけるのではないか?と勝手に思っている。

 何より、このように母教会の群れから遠く離れていても、“イエス様のこども”である私を主は豊かに祝福し、用いてくださっているということは何物にも勝る喜びであると同時に、大いなる恵みに他ならない。

 どんな時も共にいて下さる主に心から感謝し、主を賛美してゆける者として韓国での学びの日々をこれからも大切に過ごしてゆきたい。

 写真は今日(3/17)教会から届いた絵葉書。感謝。絵葉書に書かれている“み言葉”は以下の通り。

 『子どもを祝福なさる主』
 イエスは言われた
 「心をいれかえて幼な子のようにならなければ
 天国にはいることはできないであろう
 幼な子のように自分を低くする者が
 天国でいちばん偉いのである」(新約聖書:マタイによる福音書18章より)

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