終戦の年、昭和20年に私は満州で生まれました。
生まれて間もなく、ロシアの襲撃にあい、私の左の耳は、聞こえなくなり、ろくに言葉も話せない小学校時代でした。
「いじめ」られた経験もあり、貧乏な家に育った私は、3年間アルバイト2か所をかけもちで、高校を自力で卒業しました。
卒業して私にも夢を抱き、希望に胸を膨らませた時もありました。
その夢も22歳の時、中耳炎の手術の失敗で消えてしまいました。
左の耳と目と口の神経の束を切られてしまったのです。一瞬にして地獄に落とされた気持ちでした。
目は寝てても開けっ放し、耳は神経はないし、口はギュッと曲がりっぱなし、醜い顔でした。
人の前で食べても垂れるから恥ずかしくて、口を押えながら食べていました。
こんな顔でももらってくれたダンナを一生感謝しています。
お店をやりながらも、私に何ができるか、
気がついてみれば、登校拒否の高校生を何十人と、そしてシンナーを吸ってる高校生を何十人と育てたでしょう。
今は立派になり、多くの子が「ママー!お蔭でオレ子どももできたよ!」と正月、お盆と必ず店に来てくれます。
私が最高に幸せに感じるのはこの時です「アーよかった!みんな立派になって良かった!」 だから今も続けています。
今は、「うつ病」で悩んでいる人10人の方のお話を、4時間、5時間と涙を流しながら聞いています。
心の中のものを、全部はきだし、それを聞いてやる。それを続けて、相手は見る見るよくなっていきます。
先日は、高校生の登校拒否の男性です。4時間の話から、苦しんでいる彼、でも絶対大丈夫。
中学校から学校に行けない本人の心は、どんなに苦しかったでしょう。
今、手を貸さなきゃ彼がかわいそう。これからの人生に大きな影を残しちゃう。
親は「学校に行け!学校に行け!」と、強く言うだけ。
今の親は世間体を考え、今の教育は早くから小さく完成させようとしてます。
ひとつの型にはめようとすれば、いつかは無理が現れると思います。人生は長いのに。
むしろアルバイトでもいい、大樹と育つための根を張らせることが、大事だと思うんですけど。
一人一人と、大事にゆっくり時間をとって、いいほうに向かっていきます。それが私のしあわせに思う時間です。
わたしにも運が向いて、2年前、荘内病院の形成科の「工藤」先生と出会い、目を閉じる手術が成功して、
今は、45年ぶりに目を閉じて寝ることが出来ました。
口も3回手術の結果、元の位置にだいぶ戻りました。笑えば曲がるけど、このくらい平気です。
目を閉じて寝れること、人の前でこぼさないで食べれること。本当に幸せです。
苦労し頑張った分だけ、喜びも倍になりました。これを、これからも多くの人に「生きる喜び」を伝えていきたいと思います。
みんなが幸せになってもらいたい、そのことを強く思っています。