わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

飛び散る汗

2010-08-24 21:25:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

アリス「ジョニーの子守唄」



黒谷友香と同じ潜在能力で、武田鉄矢と並びフォークソング界のスケベおやじで、さだまさし、松山千春と並び「御三毛」のひとり、「ありがとう」な谷村新司、

辺見えみりと同じ潜在能力で、高校の同級生にやしきたかじんがいて、バンド売り出し中の頃、会う機会があり、「アリス」を知らずにたかじんはエロ本出版会社(アリス出版)と勘違いし、「いい年してちゃんと働けや」と言われた事があり、TVドラマ「はぐれ刑事純情派」で「連続年主題歌」でギネス認定されたことがある、チャールズ・ブロンソンばりの髭がトレードの「サンキュー」な堀内孝雄、

スター高橋(徹郎)と同じ潜在能力で、10代からドラマーとして活躍し、谷村、堀内と合流し、アリスのメンバーになり、バンド解散後は、串焼き屋、ギターショップを経営したり、再結成には元気にドラムをたたいている矢沢透

のメンバーで、1972年デビューし、1974年には年間303公演というハードスケジュールでライブ活動を行い、その成果で1975年シングル「今はもう誰も」のスマッシュヒットと谷村新司のラジオ番組で冠を貰い、徐々にファンが増え、1977年から始まるニューミュージックブームに乗っかるかのようにシングル「冬の稲妻」がオリコンチャートのベスト10にチャートイン、そこから快進撃が始まり、

この曲はその頃にリリースしたナンバーでオリコンシングルチャート最高6位、年間(1978年度)18位を記録していて、メンバーの堀内が出した「君の瞳は10000ボルト」とともにチャートのトップ10に入りアリス人気絶頂を印象つけるものとなった。

アップしたものは2001年に行われた再結成ライブより


JK

2010-08-24 21:20:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

ウィングス「Girls School」

言うまでもなくビートルズのメンバー、ロック界偉大なベーシスト、世界一稼いでいるシンガーソングライターであるポール・マッカートニー、妻のリンダで結成したバンドであるが、

この曲は1978年アルバム「ロンドンタウン」に収録されたナンバーである。

ブヨンセ渡辺直美と同じ潜在能力のポール・マッカートニーですが、
彼の音楽性として、親しみやすく美しいメロディの作風に特色があり、ビートルズ時代においては「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」など、ビートルズの代表曲と言われる楽曲の多くを作詞作曲した。解散後の1970年代には、ウイングスのリーダーとして、1980年代以降はソロ・アーティストとして活動し、全米チャートの首位に9曲、トップ20に20曲以上を送り込んでいる。現在もコンスタントに作品をリリースしており、近年ではポピュラー音楽にとどまらず、クラシック音楽をも手がけている。

ビートルズ時代から現在に至るまで、バンドでの演奏では主にベースを担当している。ベーシストとしての評価は非常に高く、彼の弾くメロディアスなベースラインは、後のロックバンドのベーシストに多大な影響を与えたと言われる。他にもアコースティック・ギターやエレクトリックギター、ピアノ、キーボード、ドラム、また管楽器をも扱うマルチプレイヤーである。
「タックスマン」「涙の乗車券」などビートルズ時代のいくつかの曲でリード・ギターを担当し、また「バック・イン・ザ・USSR」「ディア・プルーデンス」「ジョンとヨーコのバラード」などでドラムを叩いている。ウイングス時代の代表作『バンド・オン・ザ・ラン』では脱退したメンバーに代わってギターやドラムスを自ら演奏し、ソロアルバム『マッカートニー』や『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード』に至ってはすべての楽器を一人で演奏(マルチレコーディング)している。
ヴォーカリストとしての才能も稀有なものがある。ビートルズのメンバーでは最も高い声域を持ち、楽器を演奏しながらリトル・リチャードなどの難易度の高いロック曲を難なく歌いこなしている。一方でバラードにおける甘い歌声や、「レディ・マドンナ」あたりから披露した、エルヴィス・プレスリーを思わせる唸りを効かせた歌唱法など、多彩なヴォーカルを聴かせる。またその声を生かしたコーラスの一人多重録音も盛んに行っている。
デビュー以前のビートルズ(スチュアート・サトクリフ在籍時)はギタリストであり、また時折ドラマーを務めたこともあった

1999年、ビートルズがメジャーデビュー前にハコとして使っていた「ギャバーンクラブ」でポール
が37年ぶりにライブを行った模様をテレビで観ましたが、下を向かずベースを弾きながら真っ正面で歌うのは難しいものであるが、ポール・マッカートニーはもろともせずすんなり歌っている姿は凄すぎましたね。


おい、パンツ見せろ

2010-08-23 21:15:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

サザンオールスターズ「HOTEL PACIFIC」

この曲は、サザンオールスターズにとって45枚目のシングルで、懐かしの歌謡曲風サウンドな仕上がりで、前作「TSUNAMI」の驚異的ヒットの勢いが残っている中でのリリースとなり、オリコンシングルチャート最高2位と年間(2000年度)20位と大ヒットした。

この曲はWOWOWCMのタイアップとなり、桑田佳祐の同CMではコスチューム(小川ローザが出演した丸善石油のCMのパロディ)や、サザンの曲としては初めてとなる本格的にダンスを取り入れた。ダンスはわざと“ダサさ”を強調し、盆踊りの要素も取り入れたという。また桑田の提案で、ビートたけしのギャグ「コマネチ!」も加えられた。

PVはヒール(悪役)であるサザンのメンバーが、パシフィックホテルのプールサイドで開かれていたアマチュアバンドのライブに突然乱入し、ホテルごと乗っ取ってしまうという内容。ラストで大森隆志(その後ソロに専念するために脱退)が撮影中のプールに飛び込むシーンは、全くのアドリブだったとのこと。

2004年発売のPV集『ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)』に収録されているが、同DVD発売に先駆けて公式サイトでファンを対象にもう一度観たいPVのアンケート調査を行った際、1位に輝いたためである。

桑田はこの曲に関してアレンジ面では何度も不安を訴えており、最終マスタリングが終わった段階で、既にプレスが始まっていたにも関わらず再三に渡り手直しをしたという逸話が残っている。そのことから桑田自身アレンジ面は同2000年に行われた伝説の『茅ヶ崎ライブ *あなただけの茅ヶ崎*』で初めて完成版を披露できたと語っている。

2010年7月下旬、メンバーの桑田さんが健康診断で初期の食道がんが見つかり、治療に専念するということで、予定されていたソロライブは中止、アルバム発売は延期となった。現在のところ、がんの摘出は成功し、今はCTUから一般病棟に移り、リハビリをしている。

で、アルバム発売は延期になったが、先行シングル「本当は怖い愛とロマンス」は8月25日にリリースされる。


夏の叫び

2010-08-23 21:10:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

Janis Joplin 「Summertime」

今生きていれば67歳であるが、彼女の姿は永遠の27歳・・・

女性ロックシンガーとして初めて卑猥語を言った彼女であるが、

1943年1月19日生まれ、小さな頃からベッシー・スミスやオデッタ、ビッグ・ママ・ソーントンなどのブルースを聴いて育つ一方、地元の聖歌隊に参加していた。

1960年に、ポート・アーサーのトーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業し、テキサス大学オースティン校に入学。高校では、他の生徒から孤立しがちであったが、仲の良かったグラント・リオンズという生徒にレッドベリーのレコードを聴かされたのを契機に、ブルースやフォーク・ミュージックにのめり込むようになった。

大学をドロップアウトしたジョプリンは、1963年にサンフランシスコへと向かった。フォーク・シンガーとして生計を立てていたが、この頃から麻薬の常習が始まったとされる。覚醒剤やヘロインの他にアルコールも大量に摂取していた。

当時の女性シンガーについて当てはまることであるが、ジョプリンの外的なイメージと内面には大きな隔たりがある。後に彼女の姉妹が著わした手記『Love, Janis』には、彼女が知的でシャイ、繊細な家族思いの人物であったことが記されている。

一時静養のためにポート・アーサーへ帰郷したが、1966年には再びサンフランシスコへと戻っている。ヘイト・アシュベリーを中心としたヒッピーたちの間で際立って目立っていた彼女は、ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーに参加する。バンドは、独立系レーベルのメインストリーム・レコードと契約し、

1967年にバンドの名を冠したアルバムを発表したが、売れ行きは不調でレコードは早々に倉庫にしまい込まれた。
しかし、このバンドはモントレー・ポップ・フェスティバルにおける演奏で大きな注目を集めるようになった。ジョプリンは、ビッグ・ママ・ソーントンの「ボール・アンド・チェイン」を荒々しい歌声で歌いこなしてみせた。D・A・ペネベイカー撮影のドキュメンタリー『モントレー・ポップ』では、群衆の中に紛れたキャス・エリオットが”Wow, that's really heavy”と呟く姿が撮影されている。
1968年のアルバム『チープ・スリル』では以前に増して生々しい歌声を披露し、その評価を決定づけることになった。

スタンダード・ナンバーをブルース風にカバーした「サマータイム」や、前述の「ボール・アンド・チェイン」等、迫力のある歌が多く収録されている。

ビッグ・ブラザーから離れた彼女は、新しいバンドであるコズミック・ブルース・バンドを結成。
1969年に『コズミック・ブルースを歌う』をリリースして、伝説のウッドストック・フェスティバルにも出演したが、このバンドもすぐに解散した。その後、ジョプリンは新しいバック・バンドであるフル・ティルト・ブーギー・バンドを結成する。

1970年になり、6月のTV番組に出演、彼女は高校の同窓会に出席する予定だと述べ、自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったとも語っている。

一躍スターとなり彼女は同窓会に出席したが、その際も疎外感の中、孤独な表情がカメラに押さえられている。

この一件は、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。

そんな中、6月29日から7月3日、「フェスティバル特急」と呼ばれた電車に乗って、カナダ・ツアーを行った。ザ・バンドやグレイトフル・デッド、バディ・ガイ等が同乗した豪華なツアーで、この模様は、後に映画『フェスティバル・エクスプレス』として公開されている。

10月4日、アルバム『パール』の録音のため滞在していたロサンゼルスのホテルで死亡しているのが発見された。死因はヘロインが致死量を越える摂取が原因であるとされる。

録音中だったアルバムの収録曲のうち、「メルセデス・ベンツ」はアカペラの仮録音、そして「生きながらブルースに葬られ」は本人の歌が録音出来ないまま演奏だけが収録されている。

ジョプリンの死後制作された1971年発表のアルバム『パール』は、彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。このアルバムからは、クリス・クリストファーソンのカバー曲「ミー・アンド・ボビー・マギー」と、ビートニク詩人マイケル・マクルーアとジョプリンにより作曲された「メルセデス・ベンツ」がヒットしている。

アップした曲「サマータイム」を歌う彼女の姿は、化粧もせず、スッピンで雰囲気が老女な気配を感じ、

もし67歳の彼女がこの曲を歌えば、姿は映像とそのままに歌っているかもしれない。


彼女の生年月日から潜在能力とラッキーカラーを出した結果、「8月21日のパンクな出来事」で登場したクラッシュのジョー・ストラマーと同じ結果ですので、詳細はそちらをご覧ください。

で、続きとして、同じ潜在能力の有名人(点火法数字821)

・・・ヒラリー・ハーン(米国のバイロリニスト)、アダム・ダン(ワシントン・ナショナルズ;特徴として、ぶんぶんと豪快に典型的なアッパースイングで振り回すバッティングが持ち味の選手で、全打席ホームランを狙っていると言われつつ、三振をやたら多いのでホームラン連発と思いきや三振連発と波が激しい)、庄司隆弘(阪神タイガース;通称ぼんち)、杉山祥子(NECレッドロケッツ:スピードを生かした攻撃、読みのよい安定したブロックが持ち味で2008年北京五輪出場、柳本JAPANで活躍;中学校時代姉の影響で大手モデル事務所オーディションを受け合格したことがある。また県大会で走り高跳びで優勝したことがある。絵が上手で柳本晶一氏の誕生日ケーキに下書きなしで似顔絵を描き周囲を驚かせた。北京五輪閉会式でデビッド・ベッカムが蹴り上げたボールをとり損ねた)、川久保賜紀(バイオリニスト)、ノルベルト・ゴンザレス(キューバの野球選手;2004年アテネ五輪金メダル、2008年北京五輪銀メダル)、佐藤仁美(ホリプロ所属の俳優;酒豪でスロット好きで羽目を外すことが多くそれをバラエティ番組で報告していてハスキーボイス化している)、藤村恵理(岐阜放送)、吉田知加(ゆらゆら帝国に影響を受けたシンガーソングライター)、前田啓介(レミオロメンのB:兄はプロ和太鼓奏者前田タクヤ、バンドメンバーとは小中高の同級生で、自身はベーシストになるため高校を中退し、上京、しばらくイギリス滞在、バンド結成まではスタジオミュージシャンだった、愛称は兄貴、ライブMCでは下ネタを混ぜたトークをする)、キンバリー・スチュアート(父親がロッド・スチュアートのデルモ;豊胸手術を受けたことがある。恋多き女性としてタブロイド誌で賑わいを見せている。パリス・ヒルトン、ニコール・リッチー、キム・カーダシアン、オズボーン家の子供たちなど自分と同じように有名で資産家の親を持つセレブリティと交友がある。また、そのほかに音楽関係者だとコートニー・ラブ、俳優だとバイ・リン、ビジュー・フィリップス、リンジー・ローハンらと交友を持つ。)、小野智吉(横浜FCのDF)、D.J.ホールトン(福岡ソフトバンクホークス;非常に手のひらが大きく、30センチを越える。その影響もあるのか、日本に来て箸の使い方に戸惑っていると語っている)、飯山裕志(北海道日本ハムファイターズ;クールなイメージとは裏腹に無口でありながら面白い性格であり、日本ハムOBで野球解説者の岩本勉に選手の面白いネタを提供するのは飯山(と武田勝)らしい。妻思いで、2006年の優勝旅行の時は双子の子供が誕生したばかりということもあり、「1年間頑張ってくれたし、手伝いがしたいから」と行くことを断った。
かつては、ホームゲームで打席に入る際の登場曲は、『勇次』をファンが熱く合唱していた。鹿児島出身で、曲と同じ名前の飯山本人も気に入っているらしく、打席に入るタイミングを考慮している。現在の登場曲はAqua Timezの「プルメリア~花唄~ 」である
)、井川慶(3Aアクラントン・ウィルクバリヤンキース:最速151km/hのストレートとチェンジアップスライダーが武器で日本を代表する左投手、もともとは阪神タイガース投手で防御率、奪三振の好成績、特に2003年は大活躍しセ・リーグ最多20勝投手とチームの18年ぶり優勝に貢献、2006年に5年連続2桁勝利を達成し、ポスティングシステム制度で松井秀喜のいるニューヨーク・ヤンキースに入団するも3年連続成績不振でマイナー行き通告を受け現在に至る。エピソードとして、小学中学時代少年野球チーム大洗野球スポーツ少年団に所属してて今でもオフには顔を出し野球を教えている。茨城県出身であるが茨城といえば「水戸納豆」、ヤンキース入団が決まった時、チームメイトになる松井秀喜からニューヨークでも水戸納豆あるのでご心配なくとアドバイスを受けたが納豆は大の苦手。茨城といえばサッカーJリーグ「鹿島アントラーズ」があり中学校時代野球部がなかったらサッカーをしていたほどサッカーも好きで地元ということもあり好きなサッカーチームは鹿島だったがプロ野球入りし関西を拠点にしてからはガンバ大阪のファンである。高校時代は簿記2級、英検3級を取得。2万円のダーツを持っていて新人時代コントロールが悪い時当時監督だった野村克也氏から「ダーツを的に当てるイメージで投げろ」とアドバイスを受けたことがある。将棋初段で2007年に日本将棋連盟から将棋親善大使の任命を受けた。体のケアには敏感でアルコール類、コーヒー、炭酸飲料は口にしない。デーゲームが苦手で登板時はサングラスをかける。)、坂本頼光(サイレント映画弁士、声優、クリエーター:特技はイラスト、声帯模写)、ピート・ウェンツ(フォール・アウト・ボーイのB、作詞家;妻はアシュリー・シンプソンでベジタリアン)、高樹千佳子(セントフォース所属のタレント:愛称はチカちゃん、趣味はピアノ、ギター、音楽鑑賞、映画鑑賞、美術鑑賞、旅行、横浜散策、食べること、特技は絶対の音感を持っていること。屈指の洋楽や邦楽マニアで自他共に認めている。洋画への造詣が深く、海外ドラマにも精通している。板チョコとねばり物が好き。自身初の写真集のタイトル「Tapstory(つづれおり)」で彼女の好きな洋楽アルバムだそうで、好きなバンドは「ミューズ」で、特にギターのマシューが大のお気に入りで結婚したほどである。そのことを「ごきげんよう」で語ったら、周りはつぼをつかめず、薬用石鹸とボケられ困惑した。もっともの私服は15000円のワンピースでファッションには金を使わないタイプ。有名芸能人としては庶民派で100円ショップやお菓子を買いに行くのが好き。高校時代は当時はやっていたアムラーに身を投じていた。2009.1「BS熱中夜話」でムッシュかまやつ、ROLLY、安齋肇といった日本ロックの大御所、筋金入りの洋画クロックマニアらと共演、洋楽知識を惜しみなく披露しピンク・フロイドが好きであること、学生時代バンドを組みギターを担当していたことを告白、賞賛された。学生時代東京から鳥取まで高速道路を使わず下道だけでドライブに行った事がある)、平野恵一(阪神タイガース:オリックスから移籍し2008年それまで怪我に悩まされ一転し47犠打を記録しセ・リーグのカムバック賞を受賞した)、エイドリアン・ベルトレ(シアトルマリナーズ;フルスウィングでどんな球でも打ちにくいタイプの選手、打席でハーフスウィングをしたとき、ストライクになるかどうかを自ら一塁線を求める風変わりな癖を持っている、主に三塁を守っているが当初は評価が低かったもの経験を積むにつれ飛躍的に守備が上達し2007,2008年ゴールドグラブ賞に選出された。)、上原ひろみ(ジャズピアニストで海外ではHiromiで通している;静岡県浜松市出身で6歳からピアノを始め、ヤマハ音楽教室で作曲を学び16歳の時来日公演のためリハーサルを行っていたチック・コリアと対面し、ピアノを弾くよう弾いたところ、彼女の技術に感銘を受け、即興でのコンサート共演となり賞賛を受け、その後海外留学をし、大学生時代に卒業前に米国でデビュー、卒業後日本でもデビューをして、そのことが「情熱大陸」で取り上げられたり、CMソング提供で知名度を上げ、2004年日本ゴールドディスク大賞のジャズアルバムの最高賞を獲得、その後は「堂本兄弟」でバンドのピアノ担当、フジロックフェスティバル出演、チック・コリア、矢野顕子、絢香などコンサートや歌番組で共演を果たしている。)、平野弥里(グラビアアイドル、俳優)、神田義英(千葉ロッテマリーンズ)、高島彩(フジテレビ;通称アヤパンでバラエティから報道までオールラウンドに活動しているアナウンサーである。父は「くいしん坊!万才」の2代目レポーターで悪役の顔だった故竜崎勝で、命日では墓参りは欠かせない。成蹊大学出身で小学校から一貫で通っていた。学生時代は読者デルモをしていた。同僚の中野美奈子と仲がいい。酒好きだが早朝番組を担当することになり量が減った。料理が好きでイラストや似顔絵が上手。アドリブが利く人で放送での仕切りには定評がありタレントを立てることも忘れない。オリコン「好きな女子アナウンサーランキング」で5回連続1位になり殿堂入りを果たした。)、秋山真一郎(JRAの騎手;デビューから毎年30勝以上の成績を上げコンスタントに活動しているが中央競馬場でのG1勝利はまだない。男前で女性ファンが多くサインを書くなどサービスを見せるもの中身は孤独を愛する人で遊んでいる話は聞いたことがない。中京との相性がよく重賞16勝にうち中京で6勝していて2004年中京競馬記者クラブ賞を受賞。)、REN(デルモ:趣味はサイクリング、ドライブ、スノーボード、スポーツ観戦、音楽鑑賞、写真)、岩村明憲(MLBインディアナポリス・インディアンズ;元々はヤクルトの選手でゴールデングラブ賞、シーズンフル出場で打率3割越えでベストナイン選出、自身シーズン最多ホームラン44本、日本人新記録となる173奪三振記録を残し、2007年メジャー移籍、2008年ワールドシリーズ出場、2009年WBC日本代表として内野リーダーとしてチームを引っ張り1次ラウンドではヒットせず不調だったもの、2次ラウンドでは復調し、チーム最多7打点でイチローと並びWBC日本2連覇に貢献した。最近では怪我で離脱するも近日復帰予定である。)、降谷建志(Dragon AshのV、G;父は古谷一行、妻はMEGUMI、愛称は「kj」、「フルケン」など。雑誌インタビューは受けるがメディア露出をあまり好まない。苗字を降谷にしている理由は親の七光りで評価を受けたくなく自力で評価されたいから。大変な愛犬家である。バンドの作詞作曲を手がけるが歌詞において友情や家族愛のこと、キリスト教の精神を心の糧として生きており、人生において最も重要な所「聖書」であるキリスト教の影響を受けていると思われる歌詞も多く書いている。渋谷陽一、甲本ヒロト、岩尾望など交友がある)、安西ひろこ(タレント、ギャル系デルモ;特技は水泳、柔道初段で中学校の時神奈川県大会でベスト8まで進んだ実績がある。1990年代後半にグラビアアイドルとしてデビューし、10代向けファッション雑誌でカリスマ的ファッションリーダーとして人気を集めたもの、川畑さんとの破局とともに芸能活動に歯止めがかかり一時期はショップ店員として働いて生活に当てたりもしたが最近になり、タレント活動を再開し今に至る。芸能活動休止期間、パニック障害であることを告白している。)、春日俊彰(オードリーのボケ;中学校から一貫し日本大学出身でインテリ系番組ではかなりの正答でインテリ色も魅せる。一人称は「春日」、「わたくし」、「オレ」と言う事もある。衣装のピンクのベストはユニクロ製でさわやかなアメリカの大学生をイメージしていて、映画「Back To The Future」に影響だとか。中尾彬のマネが得意。精神的タフな性格で公私とも相方若林正恭同様悩む姿を見たことがないが、2006年K-1出場経験があり結局敗戦したもの失神癖がついたと言っている。売れず何度か解散しようと考えたこともあるが「時代が追いつく」と論じていた。授業態度はまじめで中高皆勤していた。業界ではおとなしく、丁寧で謙虚。ネタでは気持ち悪いと言われるが、女性有名人を中心に女性ファンが多く、そのほとんどは芸人としては好きだが恋愛対象では彼氏にしたくないほど。「ロンドンハーツ」のドッキリ企画で2回仕掛けられたが、引っかかることなく、企画を潰し、経費を無駄にさせたことがある。相当のどMである。趣味はバイク、グルメ番組鑑賞。最近では一人野球、芝生の上で寝転がって死んだフリをしどのくらい気づかれずに済むか試すこと。大の電気グルーヴの大ファンで電気以外の歌手は聴かないほど。大の西武ファンで学生時代西武ドームでアルバイトをしたことがある。好きな女性はひとりでハロプロライブに行くほどモーニング娘。以来からの矢口真里、大学生時代チアリーダーをしていた以来の皆藤愛子のお宝を持つほどのファンであると同時に太った熟女がタイプで一番は森公美子で落合信子、中尾ミエ、たかの友梨、冨士眞奈美、若林正恭の母も気になる。お笑い、インテリでなく女性週刊誌も注目されている倹約家としても定着している。トレード衣装の一部は学生時代の制服、仕事用バッグは小学校の頃のカバンなど自分にとって投資しなくてもいいものには徹底的に制限している。倹約の理由として一軒家を建てるための資金を貯めるため。その倹約振りは春日の学生時代から付き合いが長い相方若林も承知で学生時代から有名である。学生時代アメリカンフットボール部に所属していて、ルールでは口にマウスピースをつける義務があり、本体の値段が高いため、春日はそれをケチって同様そっくりに作り、つけて試合出場した際、それがバレテ審判から宣告を受けたことがある。隠れた趣味として、女性用下着を身につけて番組収録を行うことがある。また様々な競技で使うファールカップを装着する事に興味がある。本人曰く、身に着けていることを誰も知らないことが自身に高揚感を与え、テンションを上げるという。また、男の尻を後ろからワシ掴みすることも好む。理想のお尻を持っているのは同じ事務所に所属しているハマカーンの浜谷健司、松坂大輔など。よくウィキペディアを利用してるらしく、他の芸人の情報などをよく知っている。)、小泉深雪(パリコレなどで活躍しているデルモ)、川畑要(ケミストリー;中国では化学超男子、デビュー当初はポッチャリ体系で頬のふくらみを生かしサングラスをぶら下げていた。それから肉体改造し今は細くなっている。結成前は建築関係の仕事をしていた)、キム・ビョンヒョン(韓国の元メジャーリーガー;フリスビーと呼ばれる斜め上へ伸び上がるスライダーを投げていた。現在はサンディエゴで寿司屋を共同経営している)、堂本光一(KinKi Kids;天然ボケ炸裂であるが歌、俳優、作詞作曲、舞台演出をひたすらこなし周囲からも絶賛されている。父親は身長180cm以上あるが本人は168cmでもう少し身長がほしかったとか。性格として仕事人間で今までの人生に後悔はなく、支えてきた人や育った環境には敬意が深い。仕事に対してはストイックと言われるが何事もしっかり事前準備してしっかり挑みたいと言っている。通称「王子」でかつて王子と言われた及川光博は彼に譲るほど。視力がすごく悪い。乾燥肌、花粉症、ビンボーゆすりの癖がある。無類の車好きでF1など造詣が深い。憧れの人はアイルトン・セナ。好きなアーティスト:Bon Joviなど幼少の時は母の影響でTOTOを聴いていた。音好きのためオーディオやヘッドフォンにこだわっている。お気に入りの曲:串田アキラ「宇宙刑事ギャバン」。好きな飲み物:コーラで氷をグラスの半分まで入れて飲むのが定番。野球好きで巨人ファンで好きな選手は川相昌弘であるが最近の野球のことをそんなに知らず、2006年日本ハムが日本一になり当時ハムに在籍していた新庄剛志が引退することすら知らなかったとか。ゲーム好きでファイナルファンタジーシリーズ全てクリアしている。理科好きでF1など車両構造や科学的反応など知り尽くしているほど。無類の子供、動物好きで特に猫に関しては好きであるが体質上猫アレルギーである。自身が担当していた「ピカイチ」の様々な資格を取るコーナーで食品衛生責任者、一級小型船舶操縦士、大型特殊自動車免許、1t未満のフォークリフトなど20種ほど取得している。スペースシャワーTVの番組「MUSIC UPDATE」で「イブに一人で過ごしてそうなミュージシャン」で6位に選ばれた・・・)・・・


甘い唇

2010-08-23 21:05:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
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RCサクセション「SummerTour」

前回の音楽祭では、「よぉこそ」をアップしての登場。

1982年、ボーカルの忌野清志郎が、テクノポップで音楽、ファッションと一大ブームを起こしたグループ「イエロー・マジック・オーケストラ」の坂本龍一と組んで、シングル「い・け・な・いルージュマジック」(わしやま音楽祭1.5でアップしましてます)をリリースし、資生堂のキャンペーンソングCMの効果もあり、オリコンシングルチャートで1位を獲得し、一躍人気者となり、その熱気の中、バンドとしてシングルリリースしたのがこの曲であり、アルバム「BEAT POPS」に収録されている。

その頃に、ルージュマジックで、今まで住んでいた風呂なし部屋から、風呂あり部屋に引っ越しをし、充実したライフスタイルを送ろうとした時に、肝臓を悪くし、医師から「治らない」と宣告を受けていた。

その後、日常で摂取していた酒とタバコを止め、お灸と漢方薬治療で治ったとか。

この曲で初のオリコンシングルチャートベスト10以内に入り、「ザ・ベストテン」にも入り、バンド出演(清志郎さんは教授と出演しているので二回目)を果たしているが、メディアが取り上げるバンド特集の際、あまり取り上げないことが多い。

パンクロックをひた走っているバンドにはチャートなど名誉はふさわしくないもので、バンドは違和感があったかもしれない。

歌詞がちょっとエロチックな夏の夜を。

夜のヒットスタジオに出演した模様より


宿題はすでに終わったかな?

2010-08-23 21:00:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

THE WHO「summertime blues」

今日はドラム担当だったキース・ムーンのお誕生日ということと夏休みも終盤に近づいている ということでアップしました。

ロック界において、破壊的伝説を残しているドラマーであるが、そんな加藤紀子と同じ潜在能力である彼を紹介すると、

1946年8月23日、イギリス、ウェンブリー出身のムーンは、10代になるとトランペットを始めるが上達せず、やがてドラムに転向。

1964年のある晩、グリーンフォードのホテルでライブを行ったハイ・ナンバーズのドラマー、ダグ・サンデンを「オレの方がドラムが上手い」と挑発。メンバーが試しに演奏させてみたところ、彼の言うことが本当であったので、彼はそのままハイ・ナンバーズの正式ドラマーとして迎えられた。これがキース・ムーンとザ・フーとの出会いだった。

ザ・フーはその経歴の初期に、「Auto Destruction(ステージでの楽器の破壊)」で有名になった。ムーンはこの楽器破壊のパフォーマンスで特別の熱意を示し、ドラムセットを激しく蹴り、打ち付けることに熱中した。

テレビ番組「スマザーズ・ブラザース・ショー」に出演したとき、彼はドラムセットに火薬を多量に仕込み、「マイ・ジェネレイション」の演奏終了時に爆破させた。それによってピート・タウンゼントは聴力障害を負い、大女優ベティ・デイヴィスを気絶させた。
ムーンのおどけた仕草は「Moon the Loon」の愛称をもたらした。
ムーンのプレイの真骨頂は、1971年に発表された5作目『フーズ・ネクスト』に見事に現れている。「Bargain」での鋭く切り込むフィルイン、歌のバックで効果的に鳴るタムとツー・バスのコンビネーションは、現代のハードロック、ヘヴィメタルのひとつの手本として高く評価されている。

ムーンはその生涯を通じて「変人」「壊し屋」としての名声をほしいままにした。

彼はホテルの窓や友人の家、あまつさえ自分の家ででさえ、高窓から家具を投げ捨て配管に爆竹を仕掛け、廃墟にしてしまった。彼の隣人だった荒野の七人のひとりスティーブ・マックイーンが、彼の悪戯があまりにひどくてノイローゼになったという逸話も残っている。

彼自身が開いたパーティでもそうでないパーティでも、必ず彼が参加しているパーティはむちゃくちゃに破壊され、本人は必ず全裸になった。
ミック・ジャガーがとあるパーティに招待されて会場に行ったところ、ムーンの姿を見かけた瞬間逃げ帰ったという逸話もある。車をプールに沈めたという噂もあった。また、多くの女装、ヌード写真が残されている。

1975年、唯一のソロ・アルバム『ツー・サイズ・オブ・ザ・ムーン』を発表。リンゴ・スター、ジョー・ウォルシュ、ジェシ・エド・デイヴィス、ハリー・ニルソン等の豪華ゲストに囲まれ、楽しそうに歌っている。

順風満帆に見えたザ・フーだが、1976年ごろからムーンは多量のアルコールとドラッグに蝕まれていた。

1978年9月7日、ポール・マッカートニー夫妻らとバディ・ホリーの生誕記念日パーティーに出席したムーンは、その夜の帰宅後、アルコール依存症の治療の為に服用していた薬を過剰摂取してしまい急死する。32歳であった。

同年発表の『フー・アー・ユー』が遺作となった。

リズムの中核としてだけでなく、類まれなパフォーマーとしての個性を失ったザ・フーには解散の噂が持ち上がったが、、元スモール・フェイセスのケニー・ジョーンズを後釜に迎え、活動するも、結局1982年10月から12月に行われた北米ツアーを最後に解散する。(その後1985年以降、再結成と活動停止を繰り返している)
ムーンはレッド・ツェッペリンのライヴに飛び入り参加したことがあり、その日のブートレッグがfor badgeholders onlyというタイトルで出ている。

アップしたのは、1969年8月14日に行われたロック史上歴史に残り、これからのロック界を左右する出来事「ウッドストックフェスティバル」からで、

マイクコードを猿芸みたく回し歌う小池栄子と同じ潜在能力のロジャー・ダルトリー、

楽曲のほとんどを手がけ、天才的才能を発揮し、ライブでは、手を大きく回し、最後はギターを床に叩きつけ、音を絞める新山千春と同じ潜在能力のピート・タウンゼント、

パフォーマーな三人とは対照的に、物静かに四弦を奏で、意外にピート・タウンゼットに負けじと作詞作曲した作品を残し、「レッド・ツェッペリン」の名を提案したのは俺と主張しつつ、高級娼婦がフェラチオしている途中で他界した仲里依紗と同じ潜在能力の偉大なベーシストジョン・ケイトウィッスル、

彼らの音楽的才能とパフォーマンスはのちに出てくるパンクロックへの影響へとつながっていく…


暗い君に口づけ

2010-08-22 20:45:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

稲垣潤一「オーシャン・ブルー」

広末涼子と同じ潜在能力の彼ですが、

この曲は1984年リリースしたナンバーで、

作詞作曲は松任谷由実、編曲は松任谷正隆という

ユーミンサウンドに稲垣さんのボーカルが乗っかる形になっていて、サーファーがオーシャンブルーにうまく乗っているようなもので、車で海辺を走る時にはちょうどいい物になっている。

コーラスにこの曲を作ったユーミンが参加していて、ユーミンもセルフカバーしています。


降り注ぐ日の粉の盾になろう

2010-08-22 20:30:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

ポルノグラフィティ「アゲハ蝶」

広島県因島市(現在尾道市)出身、地元高校でのバンド活動が原点て、大阪でのアマチュア活動を経て、ソニーレコードとアミューズと契約を結び、1999年シングル「アポロ」でデビューし、勢力でメディア露出で徐々にファンを増やし、現在のところ累計100万人を超えるライブ観客を集め、人気をものにし、第一線で活躍しているグループですが、

メンバーは

冨士真奈美と同じ潜在能力の岡野昭仁(ボーカル)、

泉ピン子と同じ潜在能力の新藤晴一(ギター)

で活躍している。

アマチュア時代は4人で活躍していたが、メジャーデビューが決まった時は3人、2004年の赤と青のベスト盤を出してから今の状態になる。

この曲は2001年6枚目のシングルでリリースし、オリコンシングルチャートでは見事1位を獲得し、年間チャートでは10位を記録していて、彼らにとって最大のヒットとなっている。

ジャケットのベースに用いられた蝶は、セラム島特産のGraphium stressmanniという蝶で、日本にも生息するアオスジアゲハと近縁である。




ずーずー

2010-08-22 20:15:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
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蓮井朱夏「愛をください」

本日は蓮井朱夏名義でリリースした菅野美穂氏のお誕生日ということでアップしました。

この曲は菅野氏にとっては1996年にシングルリリース以来4年ぶり、5枚目のシングルで、2000年TVドラマ「愛をください」の挿入歌。

このドラマのあらすじは、児童養護施設で育ったヒロイン・遠野李理香(菅野)は、愛を知らない女の子。18歳の時、施設での虐待や、世間からの差別から逃げるため自殺しようとしたところ、長沢基次郎(江口洋介)という見知らぬ男性に助けられる。

日中は保育園の保母として働き、夜は下北沢で蓮井朱夏という名義でストリートライブを行っている李理香だが、そのライブで月密中也(伊藤英明)という青年と出会うことで李理香に変化が起こる。

ストリートで歌った「愛をください」をリリースし、チャートの1位を獲り、100万枚を突破という流れになっている。

この歌は、ドラマ脚本を手がけた辻仁成が、在籍していたバンドEchoes時代の1988年川村かおり(当時)に楽譜提供しリリース、バンドも1989年にセルフカバーでリリースしていた。

ストーリーはこの歌の歌詞に沿って作られている。

第1話「本当の気持ちを隠しているカメレオン」【カメレオン】
第2話「白鳥になりたいペンギン」 【白鳥になりたい】
第3話「片足でふんばるフラミンゴ」 【失恋しても…】

第4話「おしゃべりな九官鳥」 【こんな猛暑でも愛と感動と涙贈ります!】

第5話「遠慮しすぎのメガネザル」 【最終回に向けて幸福の予感】

第6話「誰とでも上手くやれるコウモリ」 【話題騒然!今夜も泣けます】

第7話「そっくりなサルが僕を指さしている」 【函館へ!!愛と感動の旅立ち】

第8話「徹夜明けの赤目のウサギ」 【Zoo100万枚大ヒットへ】

第9話「ヘビに睨まれたアマガエル」 【死なないで!愛する人よ…】

第10話「どこか似ている僕と君のように」 【感動の対面!止まらない涙】

第11話「吠えてばかりいる素直な君を」 【今夜、テレビで歌います!】

第12話「どこか隅の方で僕も生きているんだ」 【あなたの愛をありがとう!】

で、蓮井バージョンでは辻さんによるプロデュースで2000年9月にシングルカットされ、オリコンチャート最高3位を記録、再発売していたEchoesバージョンとともにチャートのTOP10に入るヒットとなり、「HEY!HEY!HEY」で一度だけ蓮井名義で歌っている。

以後、菅野氏は2010年までの10年間、歌を歌ってない・・・


エコーォ

2010-08-22 20:00:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
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ピンクフロイド「Echoes」

横浜銀蠅の翔またB'zの稲葉浩志とは大学の後輩で、セントフォース所属高樹千佳子が絶賛するプログレシブロックの代表格バンドで、1973年アルバム「狂気」は20年にわたりビルボードチャートの200位内に健在という大記録を更新、現時点では200位以内長期滞在記録は破られてない。

この曲は、1971年アルバム「おせっかい」に収録されたこの曲は23分に渡る大作で、バンドのメンバー4人全員の共同作品であり、ギターのデヴィッド・ギルモアとキーボードのリチャード・ライトがヴォーカルを取っている。
冒頭からしばらく聴かれる「ビィーン!」という音は、1971年1月から始まったアルバムのレコーディングセッションにおいて、リック・ライトが偶然発見したものだった。レコーディングセッションにおいては24近いテーマを作り出し、バンドはそれらを「Nothing Parts 1 to 24」などと呼んでいた。
1971年5月からコンサートで披露され、当初は「Return of the sun of nothing」と呼んでいた。1971年夏頃に「エコーズ」になったとされている。
23分強という大演ながら、1975年までライブで演奏されており、リック・ライトはコンサートにおいても演奏しやすくかつスタジオテイクともさほど変わらないとコメントしている。ギルモア体制になってからの初のツアーとなった1987年のコンサートでも、最初の数公演でも「エコーズ」が披露された。
2001年にリリースされたバンド初のベストアルバムのタイトルにもなり、「Echoes」も収録された。こちらは「2001年にバンドがエコーズを作るとしたら、1971年と比べて演奏力や技術も上がっているから23分より短くできるはず」との趣旨で、16分強にカットされたバージョンで収録されている。
デヴィッド・ギルモアは2006年からの『オン・アン・アイランド』ツアーにおいて「エコーズ」を披露している。
5月15日のロンドン公演が初演奏とされる。

アップしたのは、超大作な曲なので、PartⅠとⅡに分かれていて、最初見る人は、長すぎて眠くなるかもしれないが、見れば見るほど音楽の質がわかる曲であり、メンバーひとりひとりの楽器の上手さと音を追いかけ(ベースだけとか)見て聴くと面白いものであり、特にバンドをしている学生諸君には腕を磨くため、音にこだわり持つため見て欲しいものである。
Part I

Part II



エロ社員ラブ

2010-08-21 19:30:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
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Erectric Light Orchestra「Shine A Little Love」

1979年アルバム「ディスカバリー」からの一曲で、わしやま音楽祭では「ロンドン行き最終列車」、「コンフュージョン」に続き3曲目、でアーティストとしては4曲目の紹介です。

コアなビートルズファンである磯山さやかと同じ潜在能力のジェフ・リンを中心に、ロックンロールにバイオリンなどクラシックなサウンドを融合し、古臭くないより進化し続けている音源の良さで数々の最高傑作を残している。

楽曲に関して、ほぼ作詞作曲プロデュースにいたるまでジェフ・リンが行っていて、すごい才能発揮し歌も歌えるし、

で、

顔見たら、サングラスをかけた子門真人で、このアルバムのころは31,2歳(子門氏が「およげ!たいやきくん」を大ヒットした時は31,2歳でした。)で、老けた感じのおじさん。

このPVではレイバンのイカしたサングラスとシャツを胸までボタンを開け、ペンダントをつけて、ギターを弾くジェフ・リンの歌いっぷりをご覧ください。


8月21日のパンクな出来事

2010-08-21 19:00:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
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The Clash「I Fought the Law」

本日はバンドのボーカルのジョー・ストラマーのお誕生日ということでアップしました。

1952.8.21、トルコのアンカラで生まれる。

父親は外交官で、各国へ転勤したため彼はその幼年期を多くの国で過ごした。彼は10歳の時兄のデヴィッドと共にロンドン近郊のサリーにある私立学校、シティ・オブ・ロンドン・フリーメンズ・スクールに寄宿生として入学する。学生時代彼は両親に会うことはほとんど無かった。この頃彼はビートルズやビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズ、ウッディ・ガスリーのレコードを聴くようになり、ロックへの興味を持ち始めた(この影響からか、彼はクラッシュを結成して名前を“ジョー・ストラマー”に改めるまで、“ウッディ”と名乗っていた時期もあった)。

在学中、兄のデヴィッドが自殺。彼とデヴィッドは兄弟として決して親しい間柄ではなかったようだが、デヴィッドの自殺は彼の人生観を決定的に変えた出来事であった。白人至上主義を標榜するイギリス国民戦線にデヴィッドが入党していた事、そしてそれが何らかの形で彼の自殺につながったのではないかと当時のジョーには思えた事が、後にクラッシュが反ファシズムの姿勢を明確に打ち出す一因になったと考えられている。

高校卒業後、プロの風刺漫画家を目指し、ロンドン・セントラル・スクール・オブ・アート&デザインに入学。在学中は、ロンドン北部のパルマーズ・グリーンでクライヴ・ティンパレイ(Clive Timperley)とタイモン・ドッグとともにフラットシェアをしている。

1973年、ウェールズにあるニューポートに転居し、ニューポート・カレッジ・オブ・アートに入学するが、まもなく退学。この頃、彼は友人たちとザ・ヴァルチャーズというバンドを結成。正式なメンバーとしてではなく、時々ヴォーカルとリズム・ギターとして活動していたが、1974年に解散。

解散後、ロンドンに戻り、ドッグと再会。しばらくの間、路上で演奏をしていたが、当時のルームメイトたちと新たなバンド "The 101'ers" を結成する。

バンド名は、彼らの無断居住していた住所がウォルタートン通り101番地であったことに由来する。

バンドは主にロンドン市内のパブでR&Bやブルースのカバー曲を演奏していた。1975年、それまでは“ウッディ”・メラーだった通名を“ジョー・ストラマー”に改め、友人にもその名で呼ぶよう強要した。

この“ストラマー (Strummer)”という呼び名はサイドギターという彼のポジションを示すものだが、自虐的な面もある(左利きの彼にドッグが右利きとしてギターの演奏方法を教えたため、結局コードをかき鳴らす (strum) 程度にしか上達しなかった)。

バンドではリード・ヴォーカルだった彼は、この頃から作詞・作曲を始める。その中の一曲 "Keys to Your Heart" は、後にスリッツのドラマーとなるパルモリヴことパロマ・ロマーノとの恋愛に触発されたものであり、この曲は "The 101'ers" の1stシングルとなった。

パンクブーブー佐藤哲夫が生まれた日に、"The 101'ers" はそれまで無名であったパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズとともにロンドンのナッシュビル・ルームでライブを行う。セックス・ピストルズのパフォーマンスに強い衝撃を受けた彼は、しばらく後に、後のマネージャーとなるバーニー・ローズとギタリストのミック・ジョーンズに接触した。

以前からジョーンズにバンド加入の誘いを受けていた彼は、"The 101'ers" に見切りをつけ、ポール・シムノン(ベース)、テリー・チャイムズ(ドラム)、キース・レヴィン(ギター)を加えた5人で、

"ザ・クラッシュ" (命名はポール・シムノンによる)を結成。

東京事変伊澤一葉が生まれた日、ピストルズとともにシェフィールドのホワイト・スワンで初ライブを行う。

ゆってぃが生まれた日に、CBSレコードと契約する。尚、契約当時には既にレヴィンは解雇、チャイムズは脱退しており、契約後に正式メンバーとしてトッパー・ヒードン(ドラム)が加入する。

クラッシュは音楽性が多岐に渡るバンドであり、同時に政治的姿勢を明確にしたイギリスで最初のバンドであった。彼らの楽曲は社会腐敗、失業問題、人種差別、警察の横暴、政治的・社会的抑圧や軍国主義に対して強烈な批判を加え、時には性に対して言及することもあった。

また、彼はアンチ・ナチ・リーグやロック・アゲインスト・レーシズムといった活動へも積極的に参加している。

クラッシュはイギリスにおいては、1stアルバム『白い暴動』から非常に高い人気を獲得していたが、アメリカにおいては3rdアルバム『ロンドン・コーリング』で高い人気を得る。

このアルバムはアメリカの音楽雑誌『ローリング・ストーン』によって1980年代最高のアルバムに選出され、2003年には同誌によってグレイテスト・ロック・アルバム500枚の第8位に選出されており、楽曲への評価も非常に高い。

他のミュージシャンへの影響も非常に大きく、

ジェネレーションXを始めとする同時代のパンク・ロックバンドのみならず、U2やニルヴァーナ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、グリーン・デイといったミュージシャンにも影響を与えている。また、ヒップホップミュージシャンのパブリック・エナミーでさえ、大きな影響を受けたミュージシャンにクラッシュの名前を挙げている。更に、1980年代・90年代のガレージロックブームにも彼らの影響があると言える。

彼はクラッシュの一員として活動していた期間に、バンドのメンバーと共に何度か逮捕されている。相川梨絵が生まれた日には、トッパー・ヒードンと共にホテルの壁に "The Clash" とスプレーで落書きしたために逮捕され、1980年代初めには、ドイツ・ハンブルクでのライブの際、暴れた聴衆をギターで殴ったとして逮捕されている。

1982年、アルバム『コンバット・ロック』発売前に、バーニー・ローズの発案で、アルバム売り上げを増やすための話題づくりとして、彼は姿を消す。しかしこの行動がメンバーの怒りを買い、メンバー間の緊張が高まり、クラッシュの崩壊が始まる。『コンバット・ロック』発売直前にトッパー・ヒードンがヘロイン中毒により脱退を申し出、鹿女こと市川円香が生まれた日にカリフォルニア州サンバーナーディーノで開催されたUSフェスティバルを最後にジョーンズはクラッシュを解雇された。

1985年11月、新たなメンバーを迎えたクラッシュは結果的にバンド最後のアルバムとなる『カット・ザ・クラップ』を発売するが、ファンと評論家の双方からこき下ろされる結果となり、彼はクラッシュの解散を決意。およそ10年に渡る活動はこうして幕を閉じた。

1年後の1986年、彼は再びジョーンズと共に活動し、アメリカ映画『シド・アンド・ナンシー』に楽曲を提供している。ジョーンズとはこの映画の後にも活動を共にし、ジョーンズの結成したバンド"ビッグ・オーディオ・ダイナマイト"の2ndアルバムに参加している。

1987年にはアレックス・コックス監督の映画『ウォーカー』に出演し、映画のサウンドトラックにも楽曲提供。同じ年に上映された映画『ストレート・トゥ・ヘル』にも出演している。

1987年秋から1988年にかけては、病気のフィリップ・シェヴロンに代わってギタリストとしてザ・ポーグスのツアーに参加。1989年にはジム・ジャームッシュ監督の映画『ミステリー・トレイン』に脇役として出演。1990年にはアキ・カウリスマキ監督作品『コントラクト・キラー』にも出演を果たし、作中ではパブで演奏をするギタリストとして、ザ・ポーグスから提供された2曲を歌っている。

この時期、彼は映画での仕事を主に行っており、俳優としての仕事のみならず、上記以外の複数の映画への楽曲提供を行っている。

1989年、バンド"ラティーノ・ロカビリー・ウォー"と共にソロ・アルバムの作成に取り掛かるが、その後発表したアルバム『アースクエイク・ウェザー』は商業的に失敗に終わり、ソニー・レコードとの契約を失う。

この前後10年間ほどは鳴かず飛ばずの時代であった。

1990年にはザ・ポーグスのアルバム『ヘルズ・ディッチ』のプロデューサーを努め、1991年にはシェイン・マガウアンの脱退を受けてバンドに加入し、ライブツアーのヴォーカルを務めた。

1994年4月16日には、チェコ系アメリカ人のバンド"ダーティー・ピクチャーズ"と共にプラハで開催されたユーゴスラビア紛争難民のためのチャリティーライブに出演。このライブでは再びクラッシュ時代の楽曲を披露している。

彼自身はクラッシュ解散からこの時期までを、「荒野の数年間」(The wilderness years)と評しており、クラッシュ解散以後、華やかな世界からは姿を消していたが、1995年には"レヴェラーズ"、1996年には"ブラック・グレープ"といったイギリスのヒットチャートに登場するミュージシャンたちと活動し、再び華やかな音楽の世界へと姿を見せた。

その後は、トップミュージシャンたちを集めてバックバンド“ザ・メスカレロス”を結成し、1999年には1stアルバム『X-レイ・スタイル』を発売し、イギリスと北米でライブツアーを開催。

2001年には2ndアルバム『グローバル・ア・ゴーゴー』をリリース。北米・イギリス・アイルランドでツアーを行う。

2002年11月15日、ロンドン西部のアクトン・タウンでストライキ中のロンドン消防組合のためにチャリティーライブを行う。このライブでは、群集の中にかつてのクラッシュのギタリスト、ミック・ジョーンズがいて、突如ステージへと上がり、クラッシュ時代の曲「バンクローバー」を演奏し、アンコールでは「白い暴動」と「ロンドンは燃えている!」を演奏。

このライブは1983年以来、ジョーとミックが同じステージ上に立った初めてのライブであり、そして最後のライブでもある。

2002年11月22日には最後となるライブをリバプールで行う。この頃、彼はU2のボノと共にネルソン・マンデラが主催するアフリカでのエイズ撲滅運動のために共同作曲を行っており、
2003年2月にはロベン島でチャリティーライブを行う予定であった。

2002年12月22日、サマセット州ブルームフィールドにある自宅で死去。死因は当初の発表では心臓発作だったが、解剖の結果、先天性の心臓疾患だったことが判明した。バンドのメンバーであったポール・シムノンとミック・ジョーンズによれば、トッパー・ヒードンを加えた4人でクラッシュがロックの殿堂入り授賞式で再結成することを検討している最中の死去であったという。

また、彼自身は、死後に発売されることになる3rdアルバム『ストリートコア』を制作している最中であった。亡くなる前の晩には、クラッシュの殿堂入りに合わせて発売されたベスト・アルバム『エッセンシャル・クラッシュ』の収録曲を選ぶ作業をしていた。

2003年2月に開催されたグラミー賞授賞式では、エルヴィス・コステロ、ブルース・スプリングスティーン、スティーヴ・ヴァン・ザント、デイヴ・グロール(元ニルヴァーナ、現フー・ファイターズ)、ピート・トーマス、トニー・カナル(ノー・ダウト)によって「ロンドン・コーリング」が演奏され、3月にはクラッシュはロックの殿堂入りを果たした。

栄誉あるものの前に消えるパンクな人生ってミュージシャンにとって大きいものがあるね。この曲は、1979年アルバム「コスト・オブ・リヴィングEP」に収録した、ボビー・フラー・フォーのカバー曲で、2003年日産X-TREALのCMに起用され、聴きなじみのある一曲ではないでしょうか・・・

彼の生年月日から潜在能力点火法で、潜在能力やラッキーカラーを出したら、数字「821」で、

「8」・・・直感・テレパシー・おしゃれ、

「2」・・・感情・基本的人が好き・物の好きと嫌いがはっきりしている、

「1」・・・信念・トップ意識

で、感受性が豊かで、好きなことがあれば直感と信念で才能発揮する。また意外な持ち主の有名人がいたりする。ラッキーカラーは「赤」。

ジョー・ストラマーと同じ潜在能力とラッキーカラーの有名人(数字821)

能登有沙(ハロプロエッグのメンバー:通称のっち①、趣味は使用済み切手集め、長所は物事を寛容に受けとめることができる、短所は飽きっぽい、優柔不断、書道、絵が得意)、森田彩華(美少女クラブ31:子供頃から芸能活動に励んでいて地道にがんばっている)、ニッキー・ブロンスキー(2007年映画「ヘアスプレー」で歌って踊れるぽっちゃり10代として主役を果たしゴールデングローブ賞主演女優賞ノミネート、放送映画批評家協会賞若手女優賞を受賞した俳優、歌手)、ケビン・デュラント(NBAオクラホマシティ・サンダースモールフォワードのスモールフォワード、シューティングガード:抜群な得点力を誇り多彩な得点方法と広いシュートエリアの持ち主)、大石達也(西武ライオンズ;福岡大附属大濠→早稲田大学を経て、2010年ドラフト会議で6球団の1位指名を受け話題になった。藤川球児;阪神が引き合いに出されるほどの伸びを誇る最速155km/hのストレートと縦のスライダー、フォークボール、フォークボールの握りから投げるチェンジアップを武器に三振を奪い、2010年春までの奪三振率は13.12を誇る。性格はピッチャータイプよりキャッチャータイプといわれていた。)、大本彩乃(Perfumeのメンバーで一番背が高い人:通称のっち②、出身が広島県福山市で広島市とは方言が異なるため、メンバーでは広島弁が出にくく口数が少なくクールなイメージがあるが涙もろい、髪型がショートで私服、ステージ衣装はパンツスタイルであるがたまにスカートを履く、人見知りする人で美容院予約ができないほどで予約の際メンバーに頼んでやっていたが大学入って改善した、好きな音楽は男性ヴォーカルものばかりで一人でも足を運ぶほどで2009年交流のあるバンドメンバーとのマンションでのお泊り熱愛が発覚し、自身初のスキャンダルとなった、カラオケ18番は椎名林檎「丸の内サディスティック」、YUI「LIFE」、椎名林檎に関しては東京事変から入ったとのこと、普段から靴が壊れるのでアロンアルファを携帯している、大のTV好きで余暇があったら部屋でTV観るほど、好きなTV番組「アメトーーク」、放送していた「内村プロデュース」、ゲーマーでPSPを常に持っている、『ほぼ日刊イトイ新聞』の連載漫画『TVウォッチャーの逆襲』第241回で、同郷出身の久保田智子(TBSアナウンサー)に似ていると、ネタにされたことがある。 内村光良(ウッチャンナンチャン)をはじめ、中田敦彦(オリエンタルラジオ)や徳井義実(チュートリアル)、道重さゆみ(モーニング娘。)などファンであると公言。最近お気に入りの動物はアルパカ。ミュージックステーションのMステ国民投票「来月から新学期!担任の先生として赴任して来たら嬉しい女性アーティストは!?」で、10位中9位だった )、佐藤千亜妃(ホリプロ所属の俳優;書道2段で好きな言葉は「誰の存在だって世界ではとるにとらないけど、誰かの世界はそれがあってつくられてる」byバンプオブチキン「supernova」より)、佐藤ありさ(ダレント、デルモ;趣味はドラム、特技はバイオリン、好きなアーティスト:バンプオブチキン、RADWIMPS、木村カエラ、大塚愛、好きな漫画:「スイッチガール!!」、「マーガレット」)、加藤慶祐(仮面ライダーキバ、メイちゃんの執事に出演した俳優)、JYONGRI(早稲田大学在学のシンガーソングライター:趣味は音楽に関すること、特技は英語と日本語をまざてしゃべること、ディズニーの曲なら何でも覚えられること;名前の由来は性別不明でインターナショナルな名前を両親がつけたかったから。人物像:幼少時代からインターナショナルスクールに通ったことで様々な文化、音楽に触れ、刺激を受けたことで感性を磨き、18歳で独自の世界観と発想力を形成、メジャーデビューへと繋げた。大阪のインターナショナルスクールの同期に青山テルマがいてお友達である。)、クリスタル・マイヤーズ(クリスチャンロックシンガー:ポストアヴリル・ラヴィーンと言われるが、クールなアヴリルとは対照的な印象と端麗な姿とエネギリッシュなポップやロックの楽曲が魅力)、遠藤舞(アイドリング!!3号:通称まいぶる、自称どM、動物好き、音楽的素質が高い、好きな漫画は「ドラゴンボール」であるが、親友クリリンがフリーザに殺され、怒りこめる悟空が1000年に一人しか出てこないスーパーサイヤ人になるまでには興味あるがそれ以降は興味がない。天津飯のことを天さんと呼んでいる。メンバーの中では最年長、大人しく控えめなタイプ、運動オンチ)、吉高由里子(通称:ゆりりん、なアミューズ所属の俳優、左利きで左手の小指が小さい、休日の過ごし方として、お友達とカラオケ行ったり、買い物することかな。後はドライブ。クラシックのクロード・ドビュッシーとか聴きながら夜中にラーメン屋巡りもしている)、典子女王(曾祖父が大正天皇の皇族で学習院大学学生)、保泉沙耶(舞台俳優:将来はミュージカルスター、趣味は映画、舞台鑑賞、特技は早口言葉、モノマネ、歌、ダンス)、キム・グァンヒョン(SKワイバーンズで2008年北京五輪、2009年WBC韓国代表の投手で出場、本国韓国では「第二の柳賢振」「微笑みサウスポー」、日本では「韓国の田中将大また成瀬善久」と呼ばれている;本格的投手として、調子がよければ三振を狙い調子が悪ければ打たせてとるピッチングをする。ストレートは最速154km/h、平均146km/hほど、ほかにスライダー、カーブ、チェンジ、トクシュチェンジアップと変化球は多彩である。目地アーリー具のように足を高く上げ、腕を大きく振るフォームが特徴で、モーションが大きく、クイックが苦手であるため盗塁されやすいのが欠点。顔が日本のプロゴルファー石川遼に似ている)、玉嶋龍(米国出身の日本人バイオリニスト;趣味は空手2段、ギター音楽でのボランティア活動)、片岡飛鳥(美少女クラブ31のリーダー;趣味は食品サンプル、憧れの人:樹木希林、野際陽子、室井滋、目標:観月ありさ、上戸彩、ドラマではえなりかずきの彼女役ということでプライベートでも付き合っているかの質問に対し、思いっきり否定した)、村中聡美(AKB48の研究生で最年長、一度はオーディションに落ちたもの4ヶ月で返り咲きした)、石坂友里(デルモ;趣味ビーズで何かを作る、特技は水泳、書道)、長渕文音(父:長渕剛、母:志穂美悦子の俳優;長渕剛「NEVER CHANGE」は彼女の誕生を歌ったもので小学生の時コーラス参加したことがある。)、マックス(東方神起のハイパート;好きな音楽はアコースティック音楽、R&B、コブクロ)、山本裕典(俳優、デルモ;趣味は音楽鑑賞、特技はサッカー、鉄棒、マット運動、跳び箱、取得資格;ガス溶接作業者、アーク溶接作業者、技能検定、旋盤技能検定、情報技術検定3級、英検3級、計算技術検定3級、ランニングが好きで毎日夜走っている、憧れの芸能人;福山雅治、SMAP、WaT、一週間に一度は美容院で髪を切る、クマのプーサン好き、好きなタイプ「母性にあふれていて支えになってくれる人」、性格は人見知りするため自分から相手に向かっていけない、涙もろい、一番の自慢「家族・友達」)、光上せあら(料理が趣味でフードファイターなシンガー)、原紗央莉(セクシー俳優;1月1日広島生まれ。母親が『NHK紅白歌合戦』を見ている時に陣痛が来て生まれた。出身高校は堀越高校で長澤まさみ、鈴木杏などと同期。同じ趣味はホットヨガ、ゴルフ、ゲームで、特技はバリ舞踊とダンス。クールな容姿が特徴的である。2010年スカイパーフェクTV!の「スカパー!アダルト放送大賞」の女優賞を受賞する。写真家篠山紀信のもと野外全裸撮影で、篠山氏とともに警視庁に書類送検を受けた。)・・・つづく

ベツニ・・・ドーデモイーデスヨ・・・

2010-08-20 18:30:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
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Led Zeppelin 「Rock & Roll 、 Sick Again」(1975年5月25日London Earl's Court .avi LIVE)

本日はボーカルのロバート・プラントのお誕生日ということでアップしました。

「めざましテレビ」の司会者大塚範一と同じ潜在能力の声とルックスがセクシーな彼ですが、

彼の甲高い声について、

プラントの声やその歌唱法は他のロックボーカリストと比べるまでもなく独特で圧倒的なものであった。特にレッド・ツェッペリン初期(レッド・ツェッペリン IVまで)の桁違いの声量と凄まじい高音で歌うスタイルは、音楽界に衝撃を与え、レッド・ツェッペリンはたちまち世界のトップバンドとなり、以後確立されることとなるハードロック・ヘヴィメタルの歌唱法のスタイルに多大な影響を与えた。

後続のスティーヴン・タイラー、ボン・スコット、デイヴィッド・カヴァデールなどの同世代のロックボーカリストから、アクセル・ローズ、クリス・コーネル、セバスチャン・バック、ジャスティン・ホーキンス、日本でも人見元基や稲葉浩志などにも多大な影響を与えた。

ジミー・ペイジはプラントについて「もし声帯を使ったオリンピックみたいなものがあれば、間違いなく全種目金メダル」と言っていたこともある。しかしながら長いツアー生活による酷使により喉を痛めてかつてほどの高音は出せなくなり、1972年のUSツアー以降からは楽曲によりキーを下げて歌っている。

ブルーズの歌唱法はスモール・フェイセスのスティーブ・マリオットの影響が強い。初期の歌唱法には多くの類似性が認められる。プラントは彼のファンで彼のステージを追いかけていた時期がある。彼は「スティーブ・マリオットになりたい」と言っていたこともあるほどである。

BURRN!誌のインタビューでエルヴィス・プレスリーをアイドルの一人にあげている。 ハニードリッパーズ時代の「シー・オブ・ラブ」などでその影響が垣間見える。

因みに、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは「俺の耳にはいささかアクロバットじみて聞こえる。」と彼を評している。

アップしたのは1975年5月25日のLondonでのライブより。

タイトルの意味は、

この日は吉本興業所属のだいたひかる氏が生まれた日ということで、彼女の持ちネタ「どーでもいーですよ」と

2007年、ツェッペリンファンの沢尻エリカが出演映画試写会の挨拶でのインタビューでの発言「別に」が問題視され、沢尻をバッシングしてる時に、バンドは20年振りとなるライブ開催を発表、同時にベスト盤をリリースし、それらを抱え、フロントマンのジミー・ペイジが来日、その時のインタビューで、報道陣のひとりが沢尻エリカについての質問で、ペイジは、通訳者を通じ、そのとおりに「ベツニ・・・」と言ったエピソードを、掛け合わせたもの。



少年少女

2010-08-20 18:00:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

SADISTIC・MICA・BAND「Boys&Girls」

今日はミカバンドのボーカルを務めた桐島かれんさんのお誕生日ということでアップしました。

彼女は、上智大学在学中にデルモの仕事を始める。

1989年、サディスチックミカバンドの2代目ボーカルに抜擢

で、この曲はMAZDAファミリアのCMに起用、

作詞は、

石田純一と同じ生年月日でアニメ「キン肉マン」、「ドラゴンボールZ」などアニメソングなどを手がけている森雪之丞とベースの小原礼、

作曲は、

小原、リーダーでリズムギターの加藤和彦とドラムとこの曲において桐島とツインで歌っている高橋幸宏

「夜のヒットスタジオ」より。

彼女は生年月日から潜在能力点火法で「基本的人が好き・物に好き嫌いがはっきりしている」、「信念・トップ意識」、「ロマン・器用」の毒舌系な潜在能力の持ち主で、異性であるメンバーの理想像をズバズバと言っている。


こちらは、2日間限定での再結成ライブで、その一日の模様



それから、1990年ソロデビューし、

1993年、写真家上田義彦と結婚し、4人の子を持つ母親となる。

2008年、自身プロデュースのブティック「ハウスオブロータス」(houseoflotus.jp/)をオープンしている。

自由に空を飛べるけど中村勘三郎じゃないよ

2010-08-19 17:30:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

古田喜昭「パーマンはそこにいる」

この曲は1983年TVアニメ「パーマン」のエンディングテーマ。

作詞は、

「パーマン」の作者藤子・F・不二雄の同作品「ドラえもん」のアニメ版の「浪曲ドラえもん」や沢田研二、郷ひろみ、堺正章など手がけた小谷夏ですが、

この方は、TVドラマ「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」など演出を手がけた久世光彦のペンネーム。久世さんは1986年単発TVドラマ「藤子不二雄の夢カメラ」の演出を担当している。

編曲は

フジテレビアナウンサー高島彩と同じ潜在能力で、「パーマン」の音楽担当を務め、TVアニメでは「ドクタースランプアラレちゃん」の主題歌の編曲、アニメ以外では「8時だよ!全員集合」、「ドリフの大爆笑」、「志村けんのバカ殿様」などドリフターズ出演の番組のテーマ曲など音楽担当、CM「エバラ焼肉のたれ」、「セブンイレブン」、映画「野獣死すべし」のテーマ曲などを手がけた、たかしまあきひこ

という偉大なメンバーである。

作曲を手がけ自ら歌った古田氏ですが、

彼が手がけた作品も偉大なところがある。

☆Time「82才のおじいさん」作詞(共作)、作曲(共作)

☆詩織「メゲメゲルンバ」作曲

☆シュガー「ウェディング・ベル」作詞、作曲(わしやま音楽祭でアップしてます)

☆かまやつひろし「なんとなくソクラテス」(テレビドラマ『アイコ十六歳』主題歌)作詞、作曲

☆加茂晴美「ときめきトゥナイト」(『ときめきトゥナイト』オープニングテーマ『super love lotion』エンディングテーマ)作詞、作曲

☆八木美代子「男と女のWALTZ」(『西部警察 PART-II』『西部警察 PART-III』挿入歌)作詞、作曲

☆田中真弓「いただきマンボ」(『イタダキマン』オープニングテーマ)作曲

☆太田貴子「デリケートに好きして」(『魔法の天使クリィミーマミ』オープニングテーマ)作詞、作曲

☆WELCOME「地球にI LOVE YOU」(『特装機兵ドルバック』オープニングテーマ)作詞、作曲

☆山野さと子「とんがり帽子のメモル」(『とんがり帽子のメモル』オープニングテーマ)作曲

☆ポプラ「SHOW ME YOUR SPACE~君の宇宙を見せて~」(『OKAWARI-BOY スターザンS』オープニングテーマ)作詞、作曲

☆MiMa「おしゃれめさるな」(『魔法の妖精ペルシャ』オープニングテーマ)作曲

☆セイントフォー「ハイッ! 先生」作詞、作曲

☆憂歌団「YOU ARE MY ANGEL」作詞、作曲

☆三浦洋一「ギヤを入れろよ」作曲

☆紳助&バスガス爆発楽団「ニャロメのROCK」(『もーれつア太郎』エンディングテーマ)作曲

☆畑中葉子「丸の内ストーリー」作曲

☆Jolly Dog「DAISUKI!!」(ヴィクトリアCMソング)作詞、作曲


アニメからロック、ブルースにいたるまでの功績は大きいものである。

タイトルはこの歌の歌詞をちょっと変えてみました。

意味は、自由に空を飛べる歌舞伎役者がいると聞き、飛べるのは中村勘三郎じゃないことをぼやいている報道陣の言葉。

当初のタイトルは

「ぼいんなそらをいれるけどなかまでだしちゃだめよ」