わしやま

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裸の街

2010-08-25 21:35:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

Kiss 「Naked City(裸の街)」

今日は、ベース担当であり、フロントマンであり、来日時出演した番組で進行役の釈由美子にはぐをした、火を噴き、宙吊りになり、血を口から流すジーン・シモンズのお誕生日ということでアップしました。

この曲は、1980年アルバム「仮面の正体」に収録されたナンバーで、ボーカルはベースのジーン・シモンズ。

1980年代初期にLAメタル、NWOBHM(ニューウェイブオブブリティッシュヘビーメタル)といったカテゴリーのポップ系へヴィメタルバンドが流行していた。 キッスも負けじと、外部作家を多く取り入れて前作からよりポップな音楽性へ移動したが、売上は下降したが、現在では“隠れ名盤”と見なす向きもある。

「シャンディ」こそシングルヒットしたが長続きはせず、本作発売に伴うツアーは比較的短めに終了する。

なお、ピーター・クリスは本作ではレコーディングと曲作りに一切関わっておらず、「シャンディ」のPV撮影を最後に脱退。

コミック風のジャケットはポール・スタンレーの発案だが、メンバー内の評判は今一つだったとのこと。なお、ジャケットは“キッスの素顔に迫る”というストーリーである。

それまで一貫してハードロックに弾けたものとは違い、当時流行っていたディスコやAORを意識し若干のイメージチェンジを図ろうとするも不当たりになったとはいえ、聴いてみて、あれほど大暴れして弾けたバンドがこういう曲をやるって音楽的面白いのが感想です。

大沢あかねと同じ潜在能力のベースのジーン・シモンズについて。

1949年、イスラエルでハンガリー系ユダヤ人の子として生まれる。本名、ハイム・ヴィッツ(Chaim Witz)。

9歳のとき、イスラエルからニューヨークに移り住み、

1970年、Richmond Collegeの教育課程で学び、卒業後はマンハッタンの小学校で教壇に立つ。

1972年それまで活動していたバンドをポール・スタンレーと共に脱退し、その後KISSを結成。

以後、主にKISSのベース&ボーカルとして活動。ほかに、KISSのプロデュースやレコードレーベル経営、俳優業も手がける。

キッスの主な権利関係は彼が管理しているといわれている。プロフェッショナルとしての意識が非常に強い。

日本のバンドEZOのデビュー・アルバムをプロデュースしたこともある。

2008年日本公開の映画デトロイト・メタル・シティにジャック・イル・ダーク役で出演。

息子のニック・シモンズはコミックアーティストとして活動中だが、2010年2月に、発表した作品に久保帯人の漫画『BLEACH』からの盗作があったとして、コミックス『Incarnate』が絶版になる騒動を起こしている。

この件に関して久保はツイッター上にて、盗作事件以上にジーンの息子が漫画家だった事の方が気になるという旨の発言をしている。

名言として

「俺たちが、どこから来たのかは、重要じゃない。どこへ行くのかが、重要なんだ。」(バンド育成を通して、シモンズと不良少年少女との心の交流を描くイギリス チャンネル4 TV番組「Rock School」での、本人の一言)

「タバコの代わりに乳首を吸い、アルコールの代わりにラヴ・ジュースを飲む」



ライオンさんが出している青状のチューブ形のフッ素入りの歯磨き粉って???

2010-08-25 21:30:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

Elvis Costello「Veronica」

1989年、アルバム『スパイク』からのシングル・カット。全米チャート(ビルボード)で、コステロにとって初のトップ20入りを果たした。元ビートルズのポール・マッカートニーとの共作で、ポールは演奏面でも、ビートルズ時代の愛器であったカール・ヘフナーのベースを弾いている。

ミュージック・ビデオは、MTV Video Music Awardsの最優秀男性アーティスト賞を受賞。

1999年4月から2003年3月まで、日本のテレビ番組『情報プレゼンター とくダネ!』でテーマ曲として使用された。

Mr.Children桜井和寿氏の歌いっぷりは彼を意識しているのはいうまでもないですが、当初のコステロはパンク調の作品が多く、「怒れる若者」とも言われた。初来日時東京にてプロモーションのために、トラックの荷台に乗り日本の学生服を着てライヴ・パフォーマンスを行った。

ファースト・アルバムは『マイ・エイム・イズ・トゥルー(My Aim Is True)』であるが、日本ではセカンド・アルバムの『ディス・イヤーズ・モデル(This Year's Model)』から発売された。このアルバムからは自身のバンドであるジ・アトラクションズを率いるようになり、その後もソロやオーケストラとのコラボレーション等、多彩な活動を展開。代表曲として「ヴェロニカ(Veronica)」、「アリスン(Alison)」、「She」など。

2003年に「エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ(Elvis Costello & the Attractions) 」名義でロックの殿堂入りを果たした。