労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

聞く人が違っている!

2007-05-13 01:46:11 | Weblog

 われらのマルクス主義同志会に気の早いネット右翼が「もうすぐ日本は軍国主義化するのだから、戦争のやり方を教えてください」と教えを請っている。
 
 このバカ右翼はとんでもない非国民だ。日本軍国主義の下僕をやりたいというのであれば、「戦陣訓」を百回読んで暗記せよ。わが帝国陸軍には戦術も軍事学も必要ない。突撃あるのみだ。何も考えるな、国のために銃を持って敵に向かって突っ走れ。
 
 兵隊なんぞは、一銭五厘の赤紙でいくらでも徴収できるのだから、その命はゴミのようなものだ。ゴミにできることはその骸(むくろ)を積み上げて塹壕となす事だけであろう。
 
 軍神乃木希典を愚弄するにもほどがある。そもそも、この何とかいうバカ右翼は、大元帥安倍晋三閣下の「国のために命を捨てよ」という大号令を何も聞いていないではないか、愚か者め。日本国憲法を改正したら一番最初にお前のような愚かな不忠者は軍法会議にかけてみせしめのために死刑にしてくれる。
 
 それにしても笑えるのは、マルクス主義同志会に軍事学を聞く人があるということだ。
 
 マルクス主義同志会の今日の姿はまさに、彼らに戦略的な思考がないからに他ならない。
 
 1990年代の長く、暗いわれわれの“退却の時代”、マルクス主義同志会の代表林紘義氏は、マルクス主義そのものに絶望し、社労党(社会主義労働者党)はちりぢりになってマルクス主義から逃げ出した。
 
 こういう苦しい時代こそ、われわれは隊伍を組んで整然と一歩一歩退却すべきであったが、そうできなかったところに社労党の悲劇の始まりがある。
 
 この悲劇は、マルクス主義同志会がマルクス主義からすっかり足を洗って、リカード主義原理協会、またはブルジョアの作り事普及協会になったところから、本当の悲劇である喜劇へと転化する。
 
 つまり、長く続いた“退却の時代”は、2005年頃に終わり、日本には労働者諸君!退却の時は終わった、今こそ勇気と知恵をもって前進しよう!という声があちこちでこだまするようになったのである。
 
 この声に応えられなければマルクス主義同志会はバスに乗り遅れて、それこそ本当に時代の孤児になってしまうであろう。しかし、それに応えるにはマルクス主義同志会はあまりにもマルクス主義からも、社会主義からも、乖離してしまったのである。
 
 そこで、現在のマルクス主義同志会は、一方では労働者に闘いを呼びかけ、同時に労働者の闘いにつばを吐きかけるという非常に悩ましい、そして、はたから見ると笑えて仕方のない事態となっている。
 
 それもこれも90年代に林紘義氏が時代を読み間違えたことに起因しているのである。
 
 なお、「勇気と知恵をもって前進する」という中身について一言だけいうならば、われわれは「百団大戦」はすべきではないということだけは申し上げておきたい。
 
 1940年に華北地帯には日本軍国主義の監視の目をかいくぐって、「解放区」が深く静かにつくられていたが、朱徳と林彪を指導者とする八路軍115団(連隊)40万人が華北の日本軍国主義に一斉に奇襲攻撃をかけた事件があった。これが世にいう「百団大戦」であったが、これは無謀で意味のない攻撃だった。
 
 確かに、日本軍はこの奇襲攻撃によって大打撃を受けたが、すぐに体勢を立て直して、軍を増強し、「三光作戦」(中国の村々を、殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす)という凄惨な掃討作戦を展開している。
 
 凶暴で強大な日本軍国主義に対して、この時、「八路軍ここにあり」ということを見せるだけの作戦がもつ意味はほとんどなかった。むしろ、日本軍国主義は、突如目の前に現れた、自分たちの真の敵に、恐怖し、前後のみさかいのない大虐殺と根こそぎの略奪と放火に乗り出しただけであった。
 
 日本軍国主義は人類共同の敵であり、撃滅し、殲滅(センメツ)しなければならないというのであれば、その力をまず持つべきであり、そのために無用な争いは避けて自分たちの力を蓄積する時期はあるのかもしれないのである。