安部晋三氏が突然、政権を投げ出した。われわれはすでに9月10日に、今日という日のあることを予告していたので読者の皆さんはさほど驚かれなかったと思います。
なぜ今日なのかという点では、一斉に無責任だという声が上がっているが、もともと国民や議会制民主主義のことなど眼中にない総理大臣だから、いつでもいいといえば、いつでもよかったのだろう。
ただ、野党の代表質問に答えてしまえば、内閣として所信表明演説に実質的な責任が生じるために、やめるのはそれ以前でなければなかった。
では、なぜ安部晋三氏は内閣総辞職を選んだのか?それは新しく誕生した内閣が気に入らないからにほかならない。彼は、新内閣のもとで“飼い殺し”にされるよりも、閣内に残った“最後の小泉派”として、小泉純一郎氏に殉ずる道を選んだのである。
もともと麻生―与謝野の、“庇(ひさし)を貸して母屋を乗っ取る”戦術はうまくいきそうもなかった。というのは、母屋の本当の持ち主は安部晋三氏ではなく、小泉純一郎氏だったからである。そういう点では彼は単なる借家人でしかなかったのである。
参議院選挙で敗北して以来、自民党内の小泉派と反小泉派は綱引きをしていたが、反小泉派の攻勢のなかで、小泉純一郎氏は最後の一手を打って、一発逆転の大勝負に出たのである。
しかし、この一手はもともと禁じ手ではなかったか?主権者である国民を無視して、国会を無視して、内閣を無視して、自分の所属する政党を無視して、「お前はオレの子分だろう、子分だったらオレのいうことを聞くのは当然じゃないか。」などと恫喝していたということが世間に知られたらどうするのか、知られる、知られない以前の問題として、われわれがここでこういうことを書いていること自体、小泉純一郎氏にとっては致命的にまずいことなのではないのか?
ペテン師はペテンが分からないかぎりでペテン師なのであって、みんなの知っているウソを言いふらすのは単なる世間知らずのウソつきにすぎないのである。
そして、小泉純一郎氏は安部晋三氏に内閣総理大臣をやめるといわせることによって、自民党内の“抵抗勢力”の反抗に一矢報いることができたが、しかしこれは自民党の党内闘争を激烈なものにするだけである。
なぜなら、もともと小泉路線というのは、「改革」を掲げて、大資本の政治支配を強化し、同時に反動的な政治を推し進めようとするもので、それ自体に矛盾を含んでいた。
例えば、小泉が靖国神社を公式参拝してアジア諸国との関係を悪化させることは、大資本が渇望しているグローバル化と明らかに相反するものであるし、労働者階級や社会的弱者に犠牲を押しつけて推し進められる「改革」は社会を不安定化させ、労働者階級の政治的な自覚を増進させるという点で、必ずしも大資本の政治支配の強化につながるものでもない。
そして、今回の参議院選挙で自民党が大敗したことは、何よりも人々が安部晋三氏の政治のなかに小泉―安部と続いた一種の詐欺的な自民党の“新路線”の本質を見たからではないのか?だからこそ、麻生―与謝野(彼らの背後には自民党の派閥のボスたちがいる)はここで再度路線を転換しなければ、自民党自体が衰弱化して解党してしまうと考えたのである。
そうだとすると、自民党はすでに一つの党内の中で、二つの相容れない勢力が存在していることになる。
さらに、小泉純一郎氏の今回のあまりにも自分勝手で強引なやり方は、結果として、自民党の公党としての資格すら疑わせるものであり、自民党の政党としての信用の失墜は計り知れないものがある。そしてこれが小泉派以外の自民党をいたく刺激している。
だからもうすぐ行われる自民党の総裁選挙は、非常に激しい分派闘争の場となるであろうし、相当深い遺恨が長く残るであろう。そういう点では、自民党分裂の端緒となるべき出来事なのかも知れない。
どちらが勝つのか、誰が次の首相になるのかは、まだ未定であるが、今回の暴挙は小泉純一郎氏が追いつめられた結果であり、確固たる展望も勝算もあってやっているわけではないので、自ずと勝敗は決まるであろう。
なぜ今日なのかという点では、一斉に無責任だという声が上がっているが、もともと国民や議会制民主主義のことなど眼中にない総理大臣だから、いつでもいいといえば、いつでもよかったのだろう。
ただ、野党の代表質問に答えてしまえば、内閣として所信表明演説に実質的な責任が生じるために、やめるのはそれ以前でなければなかった。
では、なぜ安部晋三氏は内閣総辞職を選んだのか?それは新しく誕生した内閣が気に入らないからにほかならない。彼は、新内閣のもとで“飼い殺し”にされるよりも、閣内に残った“最後の小泉派”として、小泉純一郎氏に殉ずる道を選んだのである。
もともと麻生―与謝野の、“庇(ひさし)を貸して母屋を乗っ取る”戦術はうまくいきそうもなかった。というのは、母屋の本当の持ち主は安部晋三氏ではなく、小泉純一郎氏だったからである。そういう点では彼は単なる借家人でしかなかったのである。
参議院選挙で敗北して以来、自民党内の小泉派と反小泉派は綱引きをしていたが、反小泉派の攻勢のなかで、小泉純一郎氏は最後の一手を打って、一発逆転の大勝負に出たのである。
しかし、この一手はもともと禁じ手ではなかったか?主権者である国民を無視して、国会を無視して、内閣を無視して、自分の所属する政党を無視して、「お前はオレの子分だろう、子分だったらオレのいうことを聞くのは当然じゃないか。」などと恫喝していたということが世間に知られたらどうするのか、知られる、知られない以前の問題として、われわれがここでこういうことを書いていること自体、小泉純一郎氏にとっては致命的にまずいことなのではないのか?
ペテン師はペテンが分からないかぎりでペテン師なのであって、みんなの知っているウソを言いふらすのは単なる世間知らずのウソつきにすぎないのである。
そして、小泉純一郎氏は安部晋三氏に内閣総理大臣をやめるといわせることによって、自民党内の“抵抗勢力”の反抗に一矢報いることができたが、しかしこれは自民党の党内闘争を激烈なものにするだけである。
なぜなら、もともと小泉路線というのは、「改革」を掲げて、大資本の政治支配を強化し、同時に反動的な政治を推し進めようとするもので、それ自体に矛盾を含んでいた。
例えば、小泉が靖国神社を公式参拝してアジア諸国との関係を悪化させることは、大資本が渇望しているグローバル化と明らかに相反するものであるし、労働者階級や社会的弱者に犠牲を押しつけて推し進められる「改革」は社会を不安定化させ、労働者階級の政治的な自覚を増進させるという点で、必ずしも大資本の政治支配の強化につながるものでもない。
そして、今回の参議院選挙で自民党が大敗したことは、何よりも人々が安部晋三氏の政治のなかに小泉―安部と続いた一種の詐欺的な自民党の“新路線”の本質を見たからではないのか?だからこそ、麻生―与謝野(彼らの背後には自民党の派閥のボスたちがいる)はここで再度路線を転換しなければ、自民党自体が衰弱化して解党してしまうと考えたのである。
そうだとすると、自民党はすでに一つの党内の中で、二つの相容れない勢力が存在していることになる。
さらに、小泉純一郎氏の今回のあまりにも自分勝手で強引なやり方は、結果として、自民党の公党としての資格すら疑わせるものであり、自民党の政党としての信用の失墜は計り知れないものがある。そしてこれが小泉派以外の自民党をいたく刺激している。
だからもうすぐ行われる自民党の総裁選挙は、非常に激しい分派闘争の場となるであろうし、相当深い遺恨が長く残るであろう。そういう点では、自民党分裂の端緒となるべき出来事なのかも知れない。
どちらが勝つのか、誰が次の首相になるのかは、まだ未定であるが、今回の暴挙は小泉純一郎氏が追いつめられた結果であり、確固たる展望も勝算もあってやっているわけではないので、自ずと勝敗は決まるであろう。