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労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

踊り場に立たされている革共同中核派

2007-10-08 01:59:30 | 政治
 中核派が“党の革命”で揺れている(らしい?)。
 
 われわれは単なる“外野”だから詳しいことは分からないし、詮索するつもりもないのだが、ここで闘わされている議論は、日本共産党の1950年代やマルクス主義労働者同盟(社会主義労働者党)の1970年代を想起させるものである。
 
 (残念ながらロシアのボルシェビキはこの“革命政党”いつかはたどらなければならない進化の過程をたどることができなかった。われわれはこれを当時のロシアの情況から避けることができなかった不幸な出来事であると考えている。ボルシェビキは陰謀的秘密組織からいきなり単独の支配政党になってしまったので、労働者党にとって何が必要な資質であり、何が重要なことがらなのか、ということを労働者のなかで自らの行動を通じて学ぶことができなかった。そういう点では、労働者党は、公然たる政治闘争という“塩の海”でゴシゴシと洗われて、鍛えられなければならないものなのかもしれない。スネにキズをもつ者が痛くて逃げ出してしまうような苛酷な環境のなかでこそ、労働者党は真に労働者の党として育っていくのである。)
 
 卑近の例からいうならば、われわれの青春時代、全国社研はマルクス主義労働者同盟に進化し、労働者の政党になろうとして、“社会主義と労働運動の結合”と“公然たる政治闘争への参加”を掲げた。
 
 しかし、誕生したばかりのマルクス主義労働者同盟は、単なる新左翼の元活動家の寄せ集めでしかなかった。だから、まだ“陰謀家集団”により近く、同盟員は自分の名前のほかに“組織名”という一種のペンネームを持っていた。
 
 そして、この“組織名”で国政選挙に参加しようとしていたから、選挙のたびにマスコミと一悶着あった。「なぜ偽名で立候補するのか?」「そういうことは有権者をだます行為ではないか?」「君たちは何かを隠している政党であると有権者に見られてもいいのか」等々という質問というよりも批判があった。はっきり言ってこの場合、われわれよりもマスコミの皆さんの方が正しかった。(特に愛知で立候補した人は「2、4が8朗」というとってつけたような“組織名”だったので、立候補を表明するための記者会見の場はまるで「テロリスト」のつるし上げ会場のようだった。そのとばっちりはこっちまで飛んできて、名前を聞かれたので、「夏に山にいくと樹が繁っているという夏山繁樹」と答えたら、「2、4が8朗」と同じじゃないか、「君たちは遊びのつもりで選挙をやろうとしている」と食ってかかって来た新聞記者がいたので、『大鏡』で話の進行役をやっているおじいさんとおばあさんのうち、昔のことは何でも知っているおじいさんの名前も夏山繁樹というんだよと答えたら、それは何の解答にもなっていないと言われた。)
 
 それで、「それならばいっそ」ということで、われわれは“組織名”を全部廃止することにした。公然たる政治闘争は政治組織の公然化を前提とすると考えたからである。
 
 もちろん、機関紙の読者であるとかシンパや支持者、特別の職業に就いている党員や経験の少ない新しい党員など、名前を秘匿することが正当であると認められる場合はあるにしても、各級機関の指導的な地位にある党員は自分の本名で活動しなければならないとわれわれは考えた。
 
 しかし、こういう簡単なことですら大会では大問題となり、「党の公然化」はマル労同の代議員から評判がよくなく、けんけんがくがくの議論が行われた。
 
 評判があまりよくないにもかかわらずこの決議案が大会を通過したのは、われわれの活動がそれを要請していたからでもある。
 
 われわれが労働組合のなかで活動するにしても、すでに労働組合のなかで支配権を確立している“組合主義者”(この組合主義者のなかには左翼政党を自称する組合主義者もいる)であるならば、それこそ裏で画策したり、秘密裏に組合の“指導会議”(実際には指導というよりも支配という言葉が適切であるが)を開いて、組合の運動方針をあらかじめ策定するということも可能であるが、労働組合のなかで公然と労働者の利益を守るために活動するのであれば、その名前は全組合員に周知されるし、周知されなければおかしいし、そういうことを恐れるのはもっとおかしい。
 
 また駅頭や大衆集会でビラをまいたり、演説したりすることも同様である。「あっ、あの人だ」ということは、風よりも速く周囲に広がるのであり、名前を秘匿して活動することの意味はほとんどなくなる。(もっともわれわれは管理職に昨日お前はどこそこの駅頭でアジ演説をやっていただろうといわれて「はいそうです」などということを推奨しているわけではない。正直に答える義務のない者の質問にまで答えることをわれわれは推奨しているわけではない。)
 
 このように、われわれは“気分は新左翼”だが、すでに実質的には別のものになっていたので比較的小さな動揺で「党の公然化」をなしとげたのに対して、日本共産党の「党の公然化」は、分派闘争と大量の党員の除名、脱落という長く続く大きな苦痛をともなう過程として行われている。
 
 周知のように、日本共産党は1951年の四全協(日本共産党の規約では全国協議会は大会に代わって中央委員会が地方の代表を招集することになっているが、この時は中央委員会の主流派のメンバーのみによる不正規な招集であった。もっとも後日、主流派の徳田球一と国際派の袴田里見はモスクワに呼び出されて、スターリンの前で論争をさせられ、スターリンは主流派の見解を支持したので、袴田里見はその場で自己批判書を書き、その後、反主流派であった国際派全体が主流派に寝返った。したがって、四全協は不当であるという現在の日本共産党の見解は当てはまらない。)以来、日本共産党は「軍事方針」を掲げ、「ストライキの武装化、遊撃隊の組織化、パルチザン人民軍の創設」を基本方針に掲げて、極左冒険主義の時代へと入っていく。この頃の共産党は公然面の指導部と地下で非合法な軍事部門を指導する地下指導部の二重の指導部が存在していた。
 
 しかし、日本共産党の武装闘争は労働者の支持を得ることができず、52年の総選挙では、かつて300万票あった全国での獲得票が89万票にまで激減し、衆議院の議席をすべて失った。53年の「バカヤロウ解散」ではようやく大阪で川上貫一が当選を果たしたが、全国での得票数はさらに減少して65万票にまで落ち込んでしまった。
 
 労働者から完全に見捨てられて日本共産党は政党として存亡の危機のなかにあったのだが、この時ようやくスターリンが3月に、徳田球一が10月に死んでくれた(徳田は53年前半には病気が悪化して党の指導が不可能になっていた)ので、9月に地下指導部の伊藤律を「スパイ・裏切り者」として処分し、以後、日本共産党内では「第二次総点検運動」が提起され、敵のスパイや挑発者、堕落・不純分子の摘発運動が行われた。
 
 党内で密告や告発が奨励され、告発を受けたものには厳しい「査問」が行われた。この「点検運動」は共産党のすべての機関、すべての地方組織で行われたので、全国で共産党の監禁事件、リンチ事件が相次いだ。この時、「査問」を受けて処分された党員は1200人を越えており、その半数近くは共産党の各級機関の中堅党員であった。
 
 このように共産党は1年以上も「党内闘争」に全勢力を傾注した後で、1955年1月1日の『アカハタ』紙上でようやく、極左冒険主義を自己批判し、このような誤りは二度とおかさないと誓っている。
 
 以後、地下活動に従事していた党員が続々と公然面に復帰し、7月には「六全協」が開かれこれまでの軍事方針を正式に放棄したことを決定している。
 
 しかし、話はこれだけでは終わらなかった。というのは翌56年1月に共産党の最高幹部である志田重男が突然、失踪してしまったのである。これは志田重男の党費の使い込みやその党費を使っての頽廃した生活、女性とのスキャンダルなどが発覚しそうになったために、党から逃げ出してしまったのである。
 
 そして志田重男の失跡とともにこの間の共産党の事情も次第に明らかになっていった。
 
 つまり、志田重男は共産党の地下指導部の最高責任者であったが、共産党の極左冒険主義が完全に行き詰まるなかで、方向転換を模索していたが、その方向転換によって自分たち地下指導部が失脚するのを恐れて、「党の公然化」の前提条件作りとして、表の指導部を弱体化させ、自分たち地下指導部が共産党の実権を握った上で、地下指導部を解消して、自分たちが表の指導部と入れ替わることを画策し、そのための「査問活動」であったということである。
 
 ところが、公然面に出てきた志田指導部に対して、一般党員の反発が強く、地下活動時代の自分たちの「悪行」まで暴露されそうになったので、志田はたまらず逃げ出してしまったのである。
 
 こうして志田の権力闘争はまったくの徒労に終わったが、それにしても共産党が「軍事方針」というまったく間違った方針を掲げてから、その間違いを修正するまでになんと5年以上もかかり、この間多くの共産党員が犠牲になったのである。
 
 そして現在、革共同中核派は、不思議なことに、この共産党の四全協から六全協への歩みと同じ道を歩いているように思う。
 
 「不思議なことに」というのは、この四全協から六全協への歩みは日本共産党が典型的なスターリン主義の党であったから起こりえたことであるからだ。ところが革共同中核派は「反スターリン主義」を掲げる政党であったはずだからである。
 
 しかしよく考えてみると、これは不思議なことではないのかも知れない。というのは、この政党のかつての代表者であった本多延嘉氏は昔、こんなことを言っていた。
 
 彼は革命家になる決意で共産党に入ったきっかけは四全協だったそうである。
 
 その彼が共産党の活動に疑問を感じたのは六全協がきっかけであったという。
 
 その後本多氏はハンガリー事件をきっかけに黒田寛一氏と合流し、59年に革命的共産主義者同盟全国委員会を設立しているのだが、本多氏が、四全協に共産党の革命性を見て、六全協に共産党の前衛性、革命性の喪失を見、この前衛性、革命性の喪失をスターリン主義と規定するなら、それは大きな事実誤認があるといわなければならない。
 
 というのは、四全協こそスターリン主義そのものであり、スターリン自らが朝鮮戦争時に、日本共産党に後方攪乱のために武装闘争を行えと指示し、権威にしたがうことしか知らない共産党は、武装闘争のための条件もないところで、武装闘争を行い党を破滅の淵まで持っていったのである。
 
 そしてその誤りの修正のしかたもスターリン主義的なもので、非合法活動時の指導部は極左冒険主義は間違いであるといった後も責任を取らず、むしろ路線転換を決意した後も指導権を維持するために無意味な「査問」活動を党員に強要し、自らの競争相手をあらかじめ「粛清」という卑劣な手段で排除した後で、公然面に登場してかたちだけの自己批判を行い党の指導権を握り続けようとしたのである。
 
 六全協に積極的な意味があるとしたら、それは党の指導部の意向とは違って、党員が六全協を契機にして「党の公然化」を本当に望み、全国各地で志田指導部に対する批判の声が上がったことであろう。
 
 四全協こそ革命の原点であると考えていた本多氏によってつくられた革共同中核派は、組織の全歴史をこの共産党の分裂時代に依存している。すなわち、共産党に起こったと同じことをやらなければならないのである。
 
 革共同中核派はすでにかつて掲げた、革命軍の創設という極左冒険主義的な方針を何年も前から実行できなくなっている。自分たちの掲げた方針が実行できなければ、方針を転換するほかないのだが、スターリン主義的な組織原則をいまだ保持し続けているこの「反スターリン主義の党」は、何ごとも「粛清」なしには変えることができない。
 
 それで大規模な「点検運動」と処分者を排出し、「党の革命」を現在遂行中だが、日本共産党が六全協によって死の淵からかろうじて救われたように、革共同中核派にも六全協がなければ、この先待っているのは垂直に切り立った崖なのだから、諸君たちはあと少しで終わりだ。死の淵というのはそういうものであろう。。
 
    

ウクライナの東と西

2007-10-04 01:47:59 | 政治
 現在ウクライナで選挙が行われている。結果は“オレンジ派”(親欧米派)と「地域党」を中心とする親ロシア派がほぼ互角で、“オレンジ派”がやや優勢といわれている。
 
 ウクライナの選挙で興味深いのは、選挙の度にウクライナの東と西の対照的な性格が現れることだ。
 
 基本的に東部は穀倉地帯で、西部は工業地帯という違いが現れているのだが、この傾向はロシア革命以来続いている。
 
 ロシア革命に続く内戦の時代、ウクライナは最初、ドイツ軍が、続いてフランス軍とポーランドが、そして最後にはデニキンの白軍が支配していた。
 
 彼らがウクライナの占領にこだわっていたのは、当然ながら豊かな穀倉地帯を手に入れるためでしかなかった。したがってスコパルスキーを支援したドイツ軍もペトリューラを支援したポーランド軍も白軍のデニキン軍もウクライナの穀倉地帯を徹底的に収奪し、そのためウクライナの東部は長い間ソビエト・ロシアの手の届かない地域だったぐらいであった。(この間、わずかにアナーキスト系のマフノ農民軍だけがウクライナの農民のために闘っていたが、マフノは決定的な瞬間に白軍のウランゲル軍の側についたために、ウランゲル軍とともに滅亡するしかなかった。)
 
 1919年にようやくウクライナを拠点としていたデニキン軍に対して反撃が開始されようとしたが、この時赤軍内部では、トロツキーとスターリンの確執が表面化していた。
 
 軍事人民委員トロツキーはデニキン軍への反撃をソビエトに親近感を持つ労働者が多数居住している西部から労働者を巻き込みながら行いたいと考えていた。
 
 これに対して、スターリン派のカーメネフ赤軍総司令官(政治局員のカーメネフとは別人)は東部からデニキン軍を攻撃することを主張していた。
 
 このスターリンとトロツキーの確執は、スターリンの勝利に終わり、トロツキーの意見は採用されなかった。落胆したトロツキーは軍事人民委員の辞任をレーニンに求めたが、レーニンはそれを拒否した。
 
 それでトロツキーは辞任を撤回して、ウクライナ東部へと向かいウクライナそこからデニキン軍を迎撃しようとしたが、結果は惨憺たるもので、赤軍はデニキン軍指揮下のマモントフ騎馬軍団にいたるところで打ち破られた。
 
 赤軍弱しと見たデニキン軍は西部からモスクワをめざして進撃を開始したので、ようやくトロツキーの戦略が採用されて、赤軍は西部地帯で反撃に出て、デニキン軍を打ち破った。このデニキン軍との戦争において、トロツキーが期待したようにウクライナ西部の労働者は赤軍に合流しデニキン軍を打ち破ってクリミア半島に駆逐した。
 
 そのウクライナ西部のドネツク地方では、今回の選挙で大量の棄権票が出た。ウクライナの労働者は“オレンジ派”(親欧米派)も「地域党」(親ロシア派)のどちらをも選ぶことができなかったのだが、政権を握っている「地域党」(親ロシア派)は姑息にも今回の選挙で大量の棄権者を出した西部の労働者地区で、棄権票を少数派の社会党(親ロシア派)に書きかえているという。
 
 これは社会党(親ロシア派)の選挙での得票数が、2.93%と3%に限りなく近くもう少しで、議席獲得ライン(3%)に達するからであり、社会党が議席を獲得すれば与野党が逆転するからである。
 
 しかし、“オレンジ派”(親欧米派)も「地域党」(親ロシア派)も、今回の選挙ではどちらも選ぶことができないというウクライナの労働者の意志を読み誤っているのではないか?ウクライナという国家自体が広大な国家であり、土地は肥沃ですでに工業もある程度発達している。したがって、欧米かロシアか、そのどちらかに従属しなければならないという議論はまったく根拠のないことであるし、そのような選択を迫る政党のどちらかを選べという選挙は、選挙自体を拒否する者があって当然であろう。
 
 ここにはロシアとヨーロッパの狭間においてつねに両者からのからの干渉を受けて、独自の国民国家を形成できなかったウクライナの悲劇がある。
 
 このウクライナの悲劇をもっともよく理解していたのはレーニンであり、レーニンはウクライナがロシアの一部であると考えたことは一度もなかった。むしろ彼はウクライナは独立すべきであり、そのためにソビエト・ロシアは支援を惜しむべきではないと考えていた。彼は独立したウクライナ・ソビエトとソビエト・ロシアの対等でゆるやかな国家連合をこそ望んでいたのである。
 
 だからウクライナ・ソビエト政府の樹立を誰よりも喜んだのはレーニンにほからなかった。
 
 ところが、1922年末、レーニンが発作で倒れると、スターリンはそれを待っていたかのように、ウクライナをロシアに組み入れてソビエト社会主義連邦共和国を立ち上げてしまい、ウクライナの独立は形式的、名目的なものにすぎなくなった。。
 
 そしてレーニンが死んだ1924年には、スターリンはウクライナ人民委員会議長であったラコフスキーを外交官としてイギリスに追い出してしまい。代わりにスターリンの腹心であったカガノヴィッチを送り込みウクライナの“粛清”(反対派の追放)を推し進めた。
 
 しかし、ウクライナの「地域的排外主義」は決して終息してしまったのではなく、30年代には再びもりかえしている。
 
 これはスターリンがウクライナをロシアに組み入れたこと自体、スコパルスキーやペトリューラやデニキン軍と同じように、豊かな穀倉地帯から農作物を徹底的に収奪するためでしかなかったからである。
 
 30年代のはじめにはこのような強収奪の結果、ウクライナでは深刻な飢饉が起き、1000万人が餓死したといわれる。そしてこのような強収奪がウクライナをスターリンが
「地域的排外主義」と呼んだところの民族主義的傾向へと導いていったのである。
 
 これに対して、スターリンはボスチシェフを全権に任命して、ウクライナの「地域的排外主義」の根絶を命じた。ボスチシェフはゲー・ペー・ウーを使って、ウクライナ共産党の反対派をそれこそ根絶やしにしてしまった。だから彼は「ウクライナの首切り人」と称せられている。
 
 「ウクライナの首切り人」の暴政が一段落つくと、今度はファシスト・ドイツがやってきた。ヒトラーはもともとウクライナの廃墟にした後で、ドイツの植民地とするつもりだったから、手当たり次第に、村を焼き、町を破壊し、住民を虐殺した。
 
 そのヒトラー・ドイツが崩壊すると、今度は、再び征服者として乗り込んできたソ連が、ドイツの協力者を掃討すると称して、ウクライナの人々に襲いかかった。
 
 ウクライナはその豊かさゆえに、つねに強国によって踏みにじられてきた。
 
 しかし、ウクライナにはスコパルスキーもペトリューラもデニキンもスターリンもヒトラーもいらないのである。だからウクライナの労働者が“オレンジ派”も「地域党」もいらない、レーニンのような人こそ現れよ、と考えたとしても不思議はないのである。
 

帝国主義は復活したか?

2007-10-02 01:49:18 | 政治
 こういう設問はわれわれ赤星マルクス研究会以外の左翼党派にとっては、まったく無意味な設問である。なぜなら彼らのなかでは帝国主義はレーニンの時代から今日にいたるまで一貫して存在し続けているからである。
 
 しかし、われわれはこれまで帝国主義という言葉を使うことを用心深く避けていた。安倍内閣が誕生したときもわれわれは「帝国主義」という言葉ではなく、政治的に限定された概念としての「ミリタリズム」(軍国主義)という言葉を使っていたし、アメリカのネオコンに対しても「アメリカの軍国主義者」という言葉を使っていた。
 
 われわれが帝国主義という言葉を安易に使うべきではないと考えたのは、レーニンの時代の資本主義に比べて現代の資本主義はかなり変容を遂げているからにほかならない。
 
 レーニンは、帝国主義の時代は独占資本主義の時代であるとして、独占資本主義の主要な現れとして、四つの種類をあげている。
 
 第一は、生産の集積から資本家の独占体が出現するということである。この現在の資本主義が独占資本であるというのは現在でも当てはまる。
 
 第二は、独占は、もっとも重要な原料資源の奪取の強化をもたらしたというものである。レーニンはその代表的な産業として石炭産業と製鉄業をあげているが、石油、ウラン鉱石、希少金属といった資源をめぐって世界的な争奪戦が繰り広げられている現在の情況は当時と変わらないと見るべきであろう。
 
 第三は、「現代ブルジョア社会の、例外なしにすべての経済機関と政治機関の上に、従属関係のこまやかな網の目をはりめぐらしている金融寡頭制、――これこそ、この独占のもっとも顕著な現れである。」というものである。
 
 レーニンは、帝国主義とは独占資本の支配であり、そのもっとも顕著な現れは「金融寡頭制」であると述べているが、20世紀前半の“帝国主義の時代”とわれわれが呼んでいる時代には、このような「金融寡頭制」は確かに存在していた。どこの国にも銀行を中核とする「財閥」しており、レーニンがいうところの独占団体は存在していた。
 
 しかし、現在ではそれは日本赤軍の重信房子氏ら一部の人々の頭の中にのみ存在するだけである。
 
 むしろ逆に、「村上ファンド」と「阪神電鉄」、もしくは「ハゲタカ外資ファンド」と彼らに狙われた「日本の産業資本」の闘争が連日ニュースとなること自体が、現代では、「金融寡頭制の支配」というものは存在していないか、金融資本の産業資本に対する優越性とか支配とかいうものは確立していないか、むしろそれらはある場合には、敵対関係、競合関係にあることを表している。
 
 さらにトヨタ自動車とトヨタ自動車が金を借りている三菱UFJ銀行の関係にしても、レーニンがいうところの産業資本の“従属関係”は存在してはおらず、三菱UFJ銀行にとってトヨタ自動車は大切な顧客という程度の意味しか持っていない。
 
 われわれがよくなかったと考えているのは、実はこの問題、社会主義労働者党(社労党)が結成されたときの重要な「綱領問題」であり、社労党の結成大会でわれわれは「金融寡頭制の支配」という概念を、「プロレタリア独裁」の概念とともに放棄している。しかし、この時、それでは現代において「帝国主義」の概念はどうなるのか?ということまで議論が進まなかったことである。
 
 したがってこの問題は、われわれ赤星マルクス研究会に“宿題”として残されたままになっている。
 
 第四は、「独占は植民政策から生じた。金融資本は、植民政策の数多くの『古い』動機に、原料資源のための、『資本輸出』のための、『勢力範囲』のための――すなわち有利な取引、利権、独占利潤、その他のための――、さらに、経済的領土一般のための、闘争をつけくわえた。・・・アフリカの10分の9が奪取されてしまい(1900年ごろ)、全世界が分割されてしまったときには、不可避的に、植民地の独占的占有の時代、したがってまた、世界の分割と再分割のための闘争のとくに先鋭な時代が、到来したのである。」ということである。
 
 レーニンは「植民地の独占的占有の時代」、世界の分割と再分割をめぐって列強が相争う時代を“帝国主義の時代”と呼んでいた。これはレーニンの時代を特徴づけるもっとも特徴的なものである。
 
 この「世界の分割と再分割をめぐって列強の争闘」の結果、人類は第一次世界大戦と第二次世界大戦という二度にわたる世界的な規模での戦争を通過しなければならなかったが、第二次世界大戦後の世界では、かつて列強によって分割と再分割された植民地および半植民地がつぎつぎと独立していった。
 
 インドも、中国も、中近東諸国も激しい反植民地闘争を経て戦後あいついで独立し、60年以降はアフリカがこれに続いた。
 
 ベトナムにおけるアメリカ帝国主義の敗北は、「植民地の独占的占有の時代」は世界史的に終焉を迎えつつあることを教えており、南アフリカの白人政権の崩壊と“最後の植民地”香港の中国への返還は“帝国主義の時代”はすでに過去の出来事になったかのように思わせた。
 
 われわれが社労党の活動をしていた20世紀最後の20年間は、とくにこの植民地体制の地球的な規模での崩壊の時期であったので、「帝国主義」という言葉には何かしら抵抗感があった。
 
 実際、レーニンはアフリカの10分の9までが列強によって分割され、植民地化されたことをもって“帝国主義の時代の到来”と呼んだのであるから、アフリカの10分の9が政治的に独立し、植民地支配から脱したことをもって“帝国主義の時代の終焉”と呼ぶことはある程度根拠のあることであろう。
 
 しかし本当に“帝国主義の時代”は終焉したのだろうか?
 
 「金融寡頭制」は資本主義の時代的な変化のなかで解体していったが、独占資本は依然として存在し続けており、重要な原料資源の奪取の強化は資本主義列強の焦眉の課題であり続けている。
 
 そして「植民地の独占的占有の時代」は過去のものとなったが、重要な原料資源を渇望する先進諸国による後進諸国に対する不当な内政干渉まがいの行為は再び現実のものになろうとしている。
 
 独裁、テロ、“人権侵害”は、他国がその国家を滅ぼすことを正当化しない。そのような政府を打倒してよいのはその国家の人民だけである。そういう点ではわれわれ労働者は圧政と暴政のもとで抑圧され、虐げられている世界のすべての国の人民の友であり、その政府を打倒する闘いの協力者たりうるが、重要な原料資源を手に入れるために、後進国に自国の都合のよい政治体制をうち立てようと画策するのは、うち立てようとする政体がたとえ“民主主義的な”政治体制であっても、その地域の住民の意向を無視し、住民が望んでもいない政治体制を強権(軍事力の行使や経済制裁)によって押しつけようとするかぎりは、一種の侵略行為とみなしうるのであり、これも新しい形態での帝国主義の姿にほかならない。
 
 これがアメリカ一国ではなく、他のヨーロッパ諸国を巻き込んだ形式でおこなわれようとその本質は何も変えない。
 
 アメリカはフセインの圧政を理由にイラクを侵略したが、彼らはいまだにイラクにおいて民主的な政府を樹立することができないでいる。それは彼らのいう“民主的な政府”が真の意味での民主的な政府ではなく、彼らの都合のよい勢力をかき集めて“政府”を構成しようとしているからにほかならない。
 
 実際、ハマスはだめだ、ヒズボラとは話ができない、スンニ派はだめだ、シーア派もだめだ、「イスラム法廷」(ソマリアの民兵組織)は許せない、「ジャンジャウィード」(スーダンの民兵組織)とタリバンは殺すしかない、このようなことをいっていたのでは、話し合い自体が成立しないであろう。これではアメリカとヨーロッパ諸国は中近東・北アフリカの石油資源を独占するためにこれらの国々を再植民地化しようとしているといわれてもしかたがあるまい。
 
 そして紛争調停能力のないものが、自国の利益の確保のために、紛争に介入することによって、これらの地域の“治安情勢”は年々悪化し、地域的な紛争はますますこじれて大規模化しようとしている。
 
 そういう点では帝国主義は21世紀にも姿を変えて存続しようとしているのである。
                         

初日からこの様か?!

2007-10-01 19:32:37 | 政治
 今日午後6時すぎ、家に帰ってみると、集合住宅のエントランスでなにやらゴソゴソ動く影があった。
 
 よく見ると、郵便局のおっさんが集合ポストに必死になって郵便物を配っていた。
 
 わが家は名古屋の僻地だから、もともと一日に一回しか郵便物を配ってもらえなかったが、それを今日からは暗くなってからやるというのである。
 
 初日から、残業を強要されている郵政労働者にはご苦労様というしかないが、常識的に考えれば、郵便物は昼間配るものであろう。これでは、その日のうちに郵便物を受け取りたいという人はわざわざ夜に一階までおりてこなければならないではないか。家の中ではパンツ一枚で酒を飲むときもあるだろうから、そういう人間が腹を出して毎夜ふらふらとエレベーターで一階の郵便受けまで降りていったら、風紀上も好ましくないではないか。
 
 小泉純一郎氏は、郵政が民営化されればサービスがよくなるといったが、あれはまったくのウソだった。
 
 現実には、合理化で郵政労働者に大きな犠牲が強要されるとともに、利用者には大いなる不便しかもたらされてはいない。
 
 過疎地ではもっとひどくて、郵便局が統廃合されて、郵便物の配達も遅れるという。
 
 われわれは郵便局が民営化されるときに、「信書の自由」は「その他一切の表現の自由」に含まれるものであり、この「信書の自由」では郵便物を介してすべての人(日本だけではなく世界中の人々)が意思の疎通をはかることを保障している。この「信書の自由」という基本的人権を保障するために郵便法が制定されており、政府はすべての国民に対して「全国一律、格安の値段」でのサービスの提供を約束しているといった。
 
 この約束は守っても守らなくてもよいものではなく、憲法になかで基本的人権として日本国民すべてに保障している以上、政府が自らの責任で守らなければならないものであることはいうまでもないことであろう。
 
 だからこそ政府は郵政民営化法案が国会を通過するときに、公共サービスとしての郵便事業のサービスの質は落とさないと日本国民に約束したのではなかったか?
 
 ところが初日からこの様だ。日本国政府はこの明白な約束違反をどうしてくれるんだ。約束を守れなくてすみませんでしたですむ話ではないであろう。
 
 守れなかった約束をきちんと履行するにはどうするのかという日本政府の明確な回答が求められているのである。
 
 対策ができるまで小泉純一郎氏は毎日、県営伏屋第一住宅に、暗くなる前に、郵便を配達しに来い。お前にはそれだけの責任があるんだ。  

「テロとの戦い」は「資源のための戦い」

2007-09-29 01:15:23 | 政治
 先日、サハラ砂漠でアメリカ軍がアフリカ10ヵ国の軍隊を集めて「テロとの戦い」の予行演習を行っている。
 
 その時、アメリカ軍の司令官はこのように訓辞をした。
 
 「アメリカはこれから北アフリカからも石油を買わなければならなくなるだろう。だからテロとの戦いが重要になってくる」と。
 
 まさにこれこそアメリカの本音というべきものであろう。
 
 イラクに石油資源がなければ、アメリカのイラクへの軍事介入はなかったであろうし、スーダンが産油国でなかったら、“ダルフール紛争”がこれほどこじれることもなかったであろう。
 
 そして、ミャンマーでも天然ガスを産出さえしなければ、アメリカはこれほど強硬な要求をミャンマーの軍事政権に突きつけることもなかったであろう。
 
 では、アフガニスタンは?
 
 アフガニスタンは山国で何もなかった。だからこそ、アフガニスタンは“アヘンの国”にならなければならなかった。現在アフガニスタンは世界のアヘン供給量の90%以上を産出しており、アフガニスタンのアヘンは世界に向かって大量に流出し、莫大な富を生んでいる。
 
 アメリカとヨーロッパは資源を渇望しており、資源を世界に求めている。一世紀前であれば、有無をいわさず軍隊を派遣して植民地とするやり方が採用されたが、現在ではそれらの国々は形式的、すなわち政治的には独立した国民国家を自称している。
 
 したがって現代における“資源のための戦い”は、かつての“帝国主義の時代”とは違う形式で、異なったやり方で、なされなければならない。
 
 だからそれは“独裁国家”を“民主国家”に置きかえるというやり方でなされる。しかし、こういうやり方が成功したように見えるのは「コンゴ民主共和国」(旧ザイール)ぐらいなものである。(われわれは見えるといっているのであってそうだとはいっていない)
 
 リビアではまだ不確定要素が残っているし、イランやベネズエラやジンバブエでは確信犯的な反欧米政権が政権の座に居座り続けている。
 
 そのためにこそ、“資源のための戦い”は戦争によって補完されなければならないのだが、その戦争はどこでも出口を見いだすことができなくなっている。
 
 “独裁国家”を“民主国家”に置きかえるという要求は、それ自体としては正当な要求なのだろうが、問題はそれらの資源国はそれを受け入れるだけの社会的な発展段階に到達していないことである。
 
 そもそも民主国家の土台となるべき資本主義が発達しておらず、部族主義や封建社会の残滓がはびこっている(宗教と政治が渾然一体になっているのも封建社会の残滓の一つであろう)社会で、いきなり“民主国家”を要求しても無意味であり、アメリカとヨーロッパの軍隊はどこでも「民主化」に失敗して、“古い社会の必死の抵抗”に遭遇している。
 
 さらに、アメリカとヨーロッパの“民主主義のための戦い”は、“資源のための戦い”でしかないことは、アメリカとヨーロッパの軍隊が進駐したすべての国で民族主義を刺激して、それぞれの国の戦争に民族解放闘争の性格さえ賦与しはじめている。
 
 だから、イラクでもアフガニスタンでもアメリカとヨーロッパの軍隊は近い将来、決定的な敗退に追い込まれる可能性の方が高い。
 
     

ミャンマーの反軍政デモ

2007-09-27 02:09:05 | 政治
 ミャンマー(ビルマ)で大規模な反軍政デモが起こり、軍事独裁政権はデモの武力鎮圧に乗り出している。
 
 すでに何人(5人?)もの死者と何百人もの負傷者、逮捕者を出しており、ミャンマーの情勢は急速に国際社会の焦眉の問題になりつつある。
 
 今月の20日にはデモはまだ僧侶たちの抗議行動にとどまっていたが、今週に入ってそれに一般市民が合流し、全国で規模が拡大している。
 
 僧侶たちが当初掲げていたのは、今月5日に起きた僧侶への暴力行為についての謝罪や政治犯の解放、困窮する市民生活の改善であったが、僧侶のデモに多数の市民・学生が合流するなかで、軍事政権そのものに対する批判になりつつある。
 
 このミャンマー国民の大規模な軍政批判のデモに対する軍事政権の対応はきわめて硬直している。彼らは1988年のデモを弾圧した時の“成功体験”を忘れることができずに、どんなデモでも弾圧すれば鎮圧することができるだろうと考えているが、今回の事態は当時よりもはるかに深刻である。
 
 かつて「南ベトナム」のアメリカの傀儡政権がベトナムの僧侶たちの抗議行動を見くびったために瓦解していったように、東南アジアでは僧侶たちの社会的影響力はまだまだ大きいものがあり、それはミャンマーでも同じである。
 
 したがって今回の僧侶たちの軍政に対する抗議行動も、6月に灯油の価格が二倍から三倍になったことから起きており、多くの市民たちの生活が破綻しつつあるというミャンマーの厳しい現実が僧侶たちを抗議行動に駆り立てているのである。
 
 われわれはミャンマーの反軍政デモは当然であり、軍事独裁政権はここで去るべきであると考えるが、同時に、どうしても言わなければならないこともある。
 
 それは当たり前のことだが、ブルジョア民主主義は貧困の解決策にはならないということである。
 
 ちょうど、ミャンマーで大規模な反政府デモがあった1988年以降、われわれが国家資本主義と呼んでいる“社会主義諸国”はつぎつぎと崩壊して自由資本主義へと転化し、政治体制も共産党の独裁体制から自由資本主義にふさわしいブルジョア民主主義体制へと移行していった。
 
 このような世界史的な変革をもたらした原動力となったのは、国家資本主義と呼んでいる“社会主義諸国”の経済体制が行き詰まりそこで暮らしている人々の生活が困窮したために人々が変化と救済を求めたことと、自由資本主義にふさわしいブルジョア民主主義体制を求める小ブルジョア知識人たちの“民主化”要求が合流したからであった。
 
 こうして多くのわれわれが国家資本主義と呼んでいる“社会主義諸国”が自由資本主義にふさわしいブルジョア民主主義体制へと移行していったが、人々の貧困と生活苦の問題は取り残されたままだった。
 
 むしろ国有企業の整理統合による失業と社会給付の削減、猛烈な物価高により労働者の生活は破壊し尽くされた。結局、貧しい人々が手に入れたのはゴミ捨て場でゴミをあさる自由か、さもなければ生活苦から自殺をする自由のみだった。彼らは政治的には解放されたが経済的に解放されたわけではなかったのである。
 
 そしてブルジョア民主主義というのはこのようなもの以外ではありえないのである。資本主義的生産様式という経済制度は一方において富める者をますます富ませ、貧しいものをますます貧しくするという傾向があり、一方の極で富の集中があるときには、他方において貧困の集中と集積がなされるのである。
 
 だから先進的な資本主義諸国と呼ばれるアメリカにおいても、日本においても、イギリスにおいても、フランスにおいても、ドイツにおいても、輝ける文明とその影にうずくまっている貧しい人々の群れが常に共存しているのである。
 
 そして、世界の最貧国といわれる“後進国”ミャンマーの突きつけている現実は、実は世界で一番新しい問題でもある。それはいうまでもなく貧困が蓄積され集積されている社会でシンフレが進行し、人々の生活が破壊され、立ちゆかなくなったらどうなるのかということである。
 
 そういう点でも労働者はミャンマーの事態の進行を注視していく必要があるであろう。

革共同革マル派の品格

2007-09-27 00:03:13 | 政治
 通常、闘う政治党派の口は悪い。レーニンも、メンシェヴィキやエス・エルに対して○○○、×××、△△△、という言葉(現在これらの言葉はいずれも『差別用語』として使われていない言葉)を連発しているし、われわれも某党派の会長様をやっている○○○氏に対して「フェティシズム(物神崇拝)に頭をおかされて脳ミソが腐ってしまっている」等々の批判というよりも誹謗中傷に近い言葉を投げつけたこともある。
 
 だからあまり他党派のことは言えないのだけれども、それでも革マル派の機関紙『解放』を読むと不愉快になる。
 
 『解放』の今週号でも、安部晋三氏のことを「解離性障害」だとして笑いものにしているが、革マル派の諸君たちは一体何を笑っているのか?安部晋三氏か?それとも、「解離性障害」という病気をか?
 
 われわれには前者だとは思えないのだ。「解離性障害」という人間なら誰でもかかりうるような“心の病”の症状のいくつかをおもしろおかしく取り上げて、ハッハッハッなどとやっているのはどうみても後者であろう。
 
 これは、麻生太郎氏が「アルツハイマーでも分かる」といい、これに対して田中真紀子氏が「アルツハイマーは麻生氏の方だ」というようなものであり、同じ病気で苦しんでいる多くの人々に対して非常に失礼なことではないだろうか。
 
 たしかに、われわれも安部晋三氏の9月12日(彼が辞任表明した日)の行動は、「異常心理学」や「精神病理学」の領域の問題なのかもしれないとはいったが、同時にわれわれは精神科医ではないのだから余計なことはいうつもりはないともいっている。
 
 ところが、革マル派の諸君は安部晋三氏の人格のあり方そのものを問題にし、追いつめられた人間がとんでもない行動に出たことを「解離性障害」なら仕方がないというのである。
 
 こういう態度はまったくおかしなものである。諸君たちの御教祖様である故黒田寛一氏は、ある文化人が彼のことを「アキメクラ」と言ったことに対して、自分はある文化人に「アキメクラ」と言われたことを一生忘れないと書いている。
 
 革マル派の諸君は故黒田寛一氏の側にいたのだから、黒田寛一氏がなぜ「アキメクラ」という言葉にこれほど憤ったか理解できるであろう。
 
 革マル派の諸君たちの政治闘争(党派闘争)は何かおかしい。ネット右翼じゃあるまいし、革マル派が政権を獲得したら心身に障害を持った人々はどうすればいいのだろうかと多くの人々が疑問を抱くようでは、政治党派としての存在意味そのものが問われよう。     

日本共産党の「テロとの戦い」はおかしい

2007-09-26 23:53:45 | 政治
 共産党はテロを容認しがたい犯罪行為であるとして、「テロ犯罪の容疑者を特定し、逮捕し、裁判にかけるために国連を中心に国際社会が共同して全力を尽くす」必要があるともいい、そのためには「集団的強制措置を含め、国連憲章と国際法に基づいて、国際社会が共同して対応する」必要があるともいう。
 
 これだけ読むと共産党は「テロとの戦い」に賛成であるかのようにも思えるが、その一方では、「テロに対して軍事力で報復することはテロ根絶に有効でないばかりか、地球上に新たな戦争と、それによる巨大な惨害をもたらす結果となり、さらにいっそうテロ行為と武力報復の悪循環をもたらし、無数の新たな犠牲者を生み、事態を泥沼に導く」ともいう。
 
 「テロとの戦い」は必要だが、それをすることは「新たなテロ」を生み出すことにしかならない、というのでは「良いことをすると、悪い結果をもたらすから良いことをすべきではない」というのと同じであろう。だとするなら、そもそも悪い結果しかもたらさないものをどうして「良いこと」と言うことができるのか?
 
 また、「テロ犯罪の容疑者を特定し、逮捕し、裁判にかけるために国連を中心に国際社会が共同して全力を尽くす」というが、合法的にテロを弾圧すれば、テロはなくなるのだろうか?中近東や北アフリカ、ロシアや中央アジアの多くの国でイスラム原理主義者たちは「テロリスト」として、それぞれの国内法によって、裁判で有罪が宣告され処刑されているが、それでテロはなくなってはいないし、むしろ彼らはその影響力を増大させている。
 
 そもそも彼らが「テロリストである」(それぞれの国で武装闘争やテロをやっている)のは、その国の政府の正当性を認めていないからであろう。だから、例えば、アルジェリアの反政府組織のように、合法的に選挙で多数派になったとしても、軍事クーデターで非合法団体とされ、裁判でテロリストとして処刑されるようなことを共産党は正当なこととして認めるのであろうか?
 
 むしろ日本共産党の観点からすれば、認めなければおかしいであろう。
 
 ところが、文明化された欧米のキリスト教諸国がこのような無法(合法的に選出された政府をイスラム原理主義団体であるという理由で転覆すること自体が無法であろう)を容認し、反政府勢力を処刑することを容認しているのは、彼らがイスラム原理主義者であるからにほかならない。共産党はこのようなことを容認するのか。日本共産党の論理からすれば、これは宗教差別というものであり、容認できないものではないのだろうか。それとも日本共産党はこれもまた結構なことであるというのであろうか。
 
 いや、自分たちが想定しているのは国際司法裁判のようなものだといっても、同じである。現在、国際司法裁判所でセルビアの民族浄化主義者が裁かれているのは、その前提として日本共産党がいうところの「集団的な強制措置」が行われた、すなわち、アメリカを筆頭とするNATO軍が、セルビアを爆撃して、セルビアの住民を無差別に虐殺し、セルビアの民族主義政権を軍事的に崩壊させたからであろう。
 
 だとするなら、「テロに対して軍事力で報復することはテロ根絶に有効でない」などという結論は出てこないのではないか。
 
 むしろ日本共産党としては、国際社会(文明化された欧米のキリスト教国)による「集団的な強制措置」を認めているのだから、テロに対して軍事力で報復することはテロ根絶に有効である、そのためには多少無関係な市民が犠牲になったとしても仕方がないという文明化された欧米のキリスト教諸国の政府の立場に立つべきであろう。実際、日本共産党の立場はそのようなものであるのだから、日本共産党が国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)の共同の事業としてのアフガニスタンの軍事占領を認めないのはおかしいのである。
 
 そもそも「無差別なテロリズムに反対する」という立場(これはわれわれの立場でもあるが)と「テロリストを追いつめて処罰せよ」という立場は同じではない。前者は政治団体がテロリズムに対してどのように考えるのか立場を鮮明にしているのに対して、後者は国家に対してテロリストをどのように処遇すべきか要求しているのである。
 
 そして日本共産党は日本国の政府に対して「テロリストを追いつめて処罰せよ」と要求しているのだから、「テロ特措法」に賛成すべきであろう。なぜならこの法律は形式的には「テロリストを追いつめて処罰する」ために戦っている国々を支援する法律なのだからである。
 
 この場合、自分たちは「テロリストを処罰せよ」と言っているのであって「戦争せよ」と言っているのではないというのは単なる逃げ口上にしかすぎない。
 
 というのは「テロ特措法」の9・11のアメリカ同時多発テロの主犯とされるアルカイダのオサマ・ビンラディンは当時アフガニスタンのタリバン政権に“客人”としてかくまわれておりタリバン政権はアメリカの身柄引き渡し要求を拒否していた。
 
 そこでアメリカのブッシュ政権はオサマ・ビンラディンを引き渡さなければ攻撃をするといい、実際に攻撃に踏み切りタリバン政権を軍事的に打倒してしまった。
 
 なぜアメリカがこの戦争を「アフガニスタン戦争」と呼ばずに「テロとの戦い」と呼ぶのかはまったく自明であろう。それはアメリカにはアフガニスタンを攻撃してタリバン政権を倒すどんな正当な理由もなかったからである。ただアメリカは「テロリストを追いつめて処罰する」環境つくるという、それだけの理由だけでタリバン政権を軍事的に打倒してしまったのである。これはアフガニスタンの民族自治権を完全に否定するものであろう。
 
 ところが日本共産党は「テロリストを追いつめて処罰する」環境つくるための「集団的強制措置」さえ認めているのだから、「テロリストを追いつめて処罰する」環境を阻害している国家に対して国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)が「集団的強制措置」の一つとして戦争を選択したからと言ってそれを否定することはおかしなことであろう。
 
 実際、アフガニスタンには“客人”を大切にする習慣があり、“客人”をアメリカに引き渡せば死刑になるから引き渡すことはできないとタリバン政権が考えているとしたら、「テロリストを追いつめて処罰する」環境つくるためは、「集団的強制措置」をもってタリバン政権をアフガニスタンから排除する(戦争によってタリバン政権を打倒する)以外道はなかったであろう。
 
 こうしては国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)はアフガニスタンに軍事介入し、タリバン政権を軍事的に倒すことに成功したが、それは一時的なものではなかった。アフガニスタンにおける戦争は現在も続いているのである。   
 
 これについて日本共産党は「テロに対して軍事力で報復することはテロ根絶に有効でないばかりか、地球上に新たな戦争と、それによる巨大な惨害をもたらす結果となり、さらにいっそうテロ行為と武力報復の悪循環をもたらし、無数の新たな犠牲者を生み、事態を泥沼に導く」といっている。
 
 つまり、日本共産党は現在アフガニスタンの事態が泥沼の状態になっているのは、テロ行為と武力報復の悪循環におちいっているからであるといい、ここからテロとは戦うべきだが、テロと戦ってはならないという不思議な話が出てくるのである。
 
 現在、アフガニスタンで国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)と「テロ行為を行っている」(武装闘争をおこなっている)のは、パキスタンの「タリバン」やアルカイダ、アルカイダ以外のイスラム原理組織等があるが、おもにタリバンである。
 
 国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)が軍事的に打倒したにもかかわらず、タリバンが復活し、南部を事実上支配下に置いているのは、なぜだろうか?
 
 それはいうまでもなくタリバンの構成員が南部の住民(パシュトゥン人)からなっているからであり、彼らは国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)が寄ってたかって征服してしまった自分たちの土地を取り戻そうとしているからであり、殺された自分たちの父母兄弟の報復をしようとしているからである。
 
 そういう点ではタリバンはアルカイダと明確に区別されるべきであろう。
 
 そしてこういう事情はけっして南部だけの問題ではない。去年(2006年)の5月、首都カブールでにおいてラッシュアワーで混雑する時間にアメリカ軍の車両が関係する交通事故が起こり市民一人が死亡した。この事件をきっかけに大規模な反欧米・反政府暴動が起こり、暴動はカブール市全体におよんでいる。
 
 この事件は、現在のアフガニスタンがおかれている現状をアフガニスタンの人々がどのように考えているのかを端的に表している。アフガニスタンの人々が望んでいるのは国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)の“援助”などではなく、それらの国々のアフガニスタンからの撤退なのである。
 
 しかし、住民たちが国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)によって奪われたものを自分たちの手で武力でもって奪い返そうとしているのであれば、それを「テロ行為」というのはいかにもおかしな話である。世界の多くの国々は、一昔前には、そうやって国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)の植民地支配から独立し自分たちの国民国家を建設してきたのだから、アフガニスタンにだけそういうことは認めないというのはいかにもおかしなことである。
 
 そして日本共産党もまた、国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)と同様に、アフガニスタンの自生的な武装組織(アフガニスタンの民族解放闘争)とアルカイダ(無差別テロで欧米と闘おうとするイスラム原理運動)の区別をつけられないので、テロと戦うべきだがテロと戦ってはならないという矛盾した話にならざるをえないのである。
 
 こういう時に、こういった反欧米的な武装組織はイスラム原理主義者たちではないかということはあまり意味のないことである。
 
 20世紀のはじめ中国には、義和団(義和挙)という拳法を練習すれば天をも飛ぶことができるという秘密結社があった。この秘密結社は「扶清滅洋」(清朝を助け外国を滅ぼす)というスローガンを掲げて山東省で蜂起し、外国人や外貨の排斥、そしてキリスト教会の破壊をおこなった。
 
 これに対して、国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)ドイツ・イギリス・フランス・アメリカ・イタリア・ロシア・オーストリアと日本は共同して連合軍を組織して中国に対して軍事介入をおこなったのであった。
 
 この結果、中国政府と国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)の間で結ばれた北京議定書を見ると、この戦争が何であったのかということがよく分かる。中国はこれにより賠償金の支払いと外国軍隊の駐留を認めざるをえなくなり、半植民地的な状態におかれたのである。
 
 20世紀は帝国主義とそれに反対する植民地人民の闘争の時代でもあったが、この植民地からの独立を求める運動はどこでも、その初期にはインドの「セポイの乱」、中国の「太平天国の乱」、朝鮮半島の「東学党の乱」のように土着の宗教的な外観をもっていた。
 
 しかし、植民地からの独立運動の発展とともに宗教的な外観ははがれ落ちて、これらの国々が独立するときには国民国家としてすっかり生まれ変わっていたのである。
 
 そして同時に、これらの国々の独立を阻止しようとした国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)の国々も共同して行動しようがその帝国主義的な本質をおおい隠すことはできなかった。
 
 アフガニスタンにおいても、国連決議があろうとなかろうと、一つの国ではなく多くの国が参加しようが、アフガニスタンの住民の自治権が外国の軍隊によって不当に奪われているという問題の本質は何も変わらない。
 
 アフガニスタンの政治においてアフガニスタンの住民の意思が反映されず、国際社会(文明化された欧米のキリスト教諸国)の軍隊がアフガニスタンで好き勝手にふるまっているという現実こそ、アフガニスタンの治安が回復されない本当の理由なのである。
 
 したがって日本共産党が本当にアフガニスタンからテロを排除しようと考えるのであれば、アフガニスタンに駐留しているすべての外国軍隊の即時完全撤兵をこそ求めるべきなのであって、それこそが言葉の本当の意味での「テロとの戦い」なのであろう。
   

2機目の特攻機出撃か?

2007-09-24 15:32:18 | 政治
 日本は神風の国だから、窮すれば自爆テロに訴えるというのが常道である。
 
 ところが前回の神風特攻機はパイロットが未熟者だったから、敵艦に突っ込む前に緊張のあまり爆弾の爆破スイッチを押してしまい自爆テロどころか、単なる自爆に終わってしまったので、世界の笑いものになってしまった。
 
 そこで今回は老人特攻隊を組織して、再度「カミカゼ・アタック」をやろうというのである。
 
 もちろん敵空母というのは“小沢民主党”であるのだが、“小沢民主党”と取引をするにしても参議院選挙ですっかり貧乏になってしまった自民党が取引の対価として民主党に差し出せるものは、総理の首か解散総選挙の約束ぐらいのものである。
 
 自民党がそこまで(総理の首を差し出すか、解散総選挙を約束することまで)して得たいものというのは「テロ特措法」の延長か、それに代わる新法である。
 
 しかし、この取引は民主党から見ればまったく意味のないものである。というのは、「テロ特措法」が国会を通らなければ、どのような内閣であっても自民党内閣であれば、党内の内紛によって、どのみち解散か総選挙に追い込まれるのだから、民主党は知らない顔をしていればいいのである。
 
 それにこのような「総理の首を差し出しますから法案を通してください」などという非常識な“戦術”は、非常識な小泉純一郎氏によって考え出されたもので、しかも小泉純一郎氏はこれを「安部おろし」の口実として考え出したものである。(むしろ正確には、この戦術は、「テロ特措法」を通すことができなければ責任を取って首相をやめろと小泉純一郎氏に恫喝された安部晋三氏自身が窮余の策として考え出したものであるのかもしれない。)
 
 しかし、この“戦術”の考案者が誰であれ、この“戦術”は今では、“小泉派”の公式な戦術となっており、特攻二番機に指名された福田氏も、総裁選挙の出馬にあたって“小泉派”の支援を受けたのだから、当然この「カミカゼ・アタック」戦術には拘泥されざるをえない。
 
 だが、このように内閣総理大臣を次々に特攻隊員に仕立て上げて、“小沢空母”にぶつけようという無謀なことを試みること自体、すでに戦局の大勢は決しているにもかかわらず、それを受け入れることができないで悪あがきをしていることを表しているだけである。
 
 小泉の時代は終わったとわれわれは何度も言っているが、それは単に経済のみならず、政治の分野においてもそうであるし、何よりも世界の流れそのものが変わっている。
 
 つまり、「テロ特措法」が制定された当時と現在では世界の姿そのものが代わってしまっているのである。9・11当時、アメリカが掲げた「テロとの戦争」は現在ではすでに帝国主義勢力と中東、北アフリカの急進的な民族主義の勢力との戦いへと変質しており、イラクでもアフガニスタンでもアメリカは「テロリスト」とではなく、欧米諸国の侵略に反対する土着の武装勢力と戦っているのである。
 
 自分の村から出たこともない人々がインド洋に進出して他国にテロを輸出するなどというのは単なるブッシュの妄想であり、おそらくアフガニスタンのタリバンの90%以上の人は海さえ見たことがないであろうし、インターナショナルなアルカイダは陸路を通って国から国へと移動している。
 
 またこの「テロとの戦い」に参戦した多くの国々では、戦争に対する反対の声の方が賛成よりも多くなっている。これはアメリカも同じであり、多くのアメリカ人にとって「テロとの戦い」はすでに「ブッシュの戦争」でしかない。だから、今回の安部晋三氏の辞任についてもアメリカの新聞は「テロ特措法」に固執して辞任した安部晋三氏を「ブッシュのあわれな犠牲者」として取り扱っている。
 
 またイギリスにおいても、ドイツにおいても、それぞれの国では国内に強固な反戦運動を抱えており、「ブッシュの戦争」に荷担している政権は支持基盤を喪失させつつある。
 
 こういうなかで日本だけが「テロとの戦争」から抜け出すことは許さないという国際世論が形成されているとしたら、それはイギリスにとっても、ドイツにとっても、パキスタンにとっても、あの日本さえ撤退しようとしているのになぜ自国の政府は撤退しないのかということになるからにほかならない。
 
 つまり、イラクでも、アフガニスタンでも、戦争はとっくの昔にドロ沼にはまりこんでしまっており、勝利の展望が見えないどころか、日々軍事介入の破綻が明らかになりつつあるなかで、有名な国が一国でも手を引いてしまえば、後に続く国がいくつも出て、戦線そのものが崩壊しかねない情況なのである。
 
 われわれはこういう情況のなかで、日本が「テロ特措法」を廃案にすることは、侵略戦争を憎み平和を愛好する世界の多くの人々に向けて大きなメッセージになると考えるが、自民党内の“小泉派”は「テロ特措法」に固執することによって、ますます時代錯誤の団体へと転落しつつある。
 
 最後に、われわれは「発進か?」とクエスチョンマークをつけたが、それはこの福田特攻機、自爆テロを行うという約束で“小泉派”から燃料を給油してもらってようやく飛び立つことができたが、本当に“小沢空母”に突っ込むのかまだよく分からないところがあるからだ。
 
 ひょっとしたら燃料を給油してもらって離陸に成功したことをいいことに、約束を守らず、途中で爆弾を捨ててどこかに飛んでいってしまう可能性もある。
 
 少し前のことだが、ある自民党の議員が自分の党を分析して、自民党議員の2割が確信的な“小泉派”(熱狂的な民族主義者)であり、2割が穏健派、残り6割は政治的な立場などどうででもいいタダの人たちといったが、これはおおむね現在の自民党の勢力図を表しているであろう。
 
 かつては党内で一世を風靡した“小泉派”も現在では党内少数派であり、党を割る力すら持っていない。だから、少数の穏健派でも党内の「政治的な立場など、どうででもいいというタダの人たち」を味方につければ政権を維持することが可能なのだし、前政権のようにどうしても小泉純一郎氏のいうことを聞かなければならないというしがらみもないのだから、特攻2号機となって自爆テロをやらなければならないという必然性はあまりないからである。
 
 だからこの政権がどうなるかはもう少し時間がたたなければ分からない面もあるのである

『朝日新聞』の意味不明

2007-09-21 18:24:04 | 政治
 あいかわらず賢いのか賢くないのかよく分からない『朝日新聞』が、まるで他人事のように、「自民総裁選、飛び交う怪情報」という記事を書いている。
 
 「まるで他人事のように」というのは、この種の怪情報の発信源の一つは『朝日新聞』であったからだ。『朝日新聞』と『テレビ朝日』はどういう関係にあるのか知らないが、『テレビ朝日』は「サンデープロジェクト」でも「報道ステーション」でも、一貫して「麻生クーデター説」を流してきたのである。
 
 だからまるで自分たちはこういうこととは関係がなかったかのような記事を書くこと自体が無責任であろう。
 
 そして、現在飛び交っている「怪情報」について、『朝日新聞』はいう、「党内からも懸念の声」があると。これでは「『朝日新聞』は自由民主党の機関紙か?!」といわれても仕方のないことであろう。
 
そして『朝日新聞』は現在「怪情報」が飛び交っている現状を困ったことだと嘆くのみだ。
 
 ところでこうまでいう『朝日新聞』にわれわれは聞きたいのだが、安部晋三氏はなぜ突然、総理大臣を辞めたのか?
 
 『朝日新聞』は揣摩憶測(しまおくそく)に基づく「怪情報」が氾濫して困っている(誰がこまっているのか?)というのであれば、揣摩憶測に基づかない正確な情報を提供しようとは思わないのか、またそのようにする責務は諸君たちにはないというのか?
 
 現在日本で怪情報が氾濫している理由は簡単だ。ある日突然、一国の代表者が「辞めます」といって、はっきりとした理由も告げずに夜逃げ同然にどこかに逃亡して、政府の責任ある立場の者も自民党の責任ある者も、だれも、どうしてこういう前代未聞の事件が起こったのか説明しようとしないからであり、社会の公器を自認するマスコミが、そんなこと(辞任の真相究明)はどうでもいい、今は、自民党の総裁選挙をやっているのだから、候補者の言うことに耳を傾けましょうなどという欺瞞的なことを言っているからである。
 
 しかし、このような“よらしむべし、知らしむべからず”という自民党のやり方はいかにも封建的であり、自民党の執行部は自分の党の党員すら信じていないと言うことの証しでしかない。
 
 因果関係から見れば、総裁の辞任という原因があって、総裁選挙という結果があるのだから、総裁の辞任という原因は現在の総裁選と密接に結びついている。だから、現在の候補者がなぜ立候補したのかということと安部晋三氏がなぜ辞めたのかということは密接に関係している可能性がある。
 
 とりわけ、一夜にして麻生派を除く自民党の派閥や勢力すべての支持を獲得した福田氏には、“密室の談合”が噂(うわさ)されており、そのような談合がまことしやかに語られていること自体が、安部氏の辞任には自民党内の“暗闘”もしくは権力闘争があったことをうかがわせる根拠となっている。
 
 またそのような“暗闘”がない場合でさえ、候補者の受付と同時に“当選者”がもう決まっていたという世にも不思議な選挙は、世にも不思議な自民党に直結している。
 
 こういうことをやっているようでは、自由民主党は国民にかくれて、こそこそとあやしげなことをやっているあやしげな政党ではないかという自民党に対する国民の疑念は晴れないだろうし、当人たちにそのような疑念を晴らす気持ちがない以上、そのような政党として没落の運命をたどるしかないであろう。
 
 そういう点では、自民党の危機は安部晋三氏の辞任によって去ったのではなく、より深刻化しているのであり、新政権の発足と同時に頓挫する可能性すらあるのである。

 ところがわれらの「朝日新聞」はあやしげな自民党のかたをもって、「かくしごとばかりしている自民党はあやしい。自民党は国民の知る権利を踏みにじり、国民を愚弄しているのではないか」ということ自体があやしいというのであるから、「お前は何者であるのか」とわれわれは問うているのである。

マスコミの「麻生クーデター」説を追う

2007-09-20 02:06:23 | 政治
 何ごとも「政治的」に行動しなければ気がすまない一部のマスコミ(テレビ、週刊誌を含む)が盛んに「麻生クーデター説」を流している。
 
 われわれはこれを見逃すことができない。
 
 なぜなら、第一に、現在一部のマスコミ(テレビ、週刊誌を含む)がやっていることは、明らかに、政党の領域での活動であり、客観性に基礎を置くブルジョアマスコミのやることではないからである。
 
 そして第二に、ことの重要性である。今回の“安部晋三氏の夜逃げ”は間違いなく、日本政治史上の転回点であり、後になって「あの時から、日本は変わったんだ」という事件であるかも知れないし、そういう点では、“満州事変”に似ていなくもない。
 
 戦前の日本は、“満州事変”をきちんと咀嚼(そしゃく)できなかった(事件の真相を探ることをあいまいにしていた)から、中国への侵略戦争と国内の軍国主義体制への強化へとなだれ込んでいった。
 
 つまり、大きな事件があって、その真相を探らないまま、時流に流されることは、将来に大きな禍根を残すのである。
 
 したがって、われわれはマスコミの「麻生クーデター説」をきちんと検証する必要があると考えるのである。
 
 マスコミの「麻生クーデター説」は、①安部晋三氏の続投は無理なのに、続投させた、という部分と②安部晋三氏が辞任を表明しても、とめなかった、という部分に分かれている。
 
 ①の「続投は無理」という判断は、誰の判断か?
 
 マスコミによれば、中川秀直氏と青木幹雄氏と森喜朗氏は参議院選挙惨敗後に福田政権をつくろうとしたが、麻生太郎氏にそれをはばまれたのだという。(このようなことを言っていること自体、マスコミが、中川秀直氏と青木幹雄氏と森喜朗氏という日本の政治を3人だけで悪くしている“三悪人”の立場に立っていることを意味する。)
 
 しかし、8月3日の『日本経済新聞』では、次のようになっている。
 
 「『続けるのも地獄、引くのも地獄、いばらの道だ』。参議院投票日の7月29日夕。自民党の中川秀直幹事長が安部晋三首相と首相公邸で会談した際、参院選の情勢が不利なことをこういう表現で伝えていたことが明らかになった。
 
 中川氏は首相との会談に先立って森喜朗元首相や青木幹雄参院議員会長と今後の政局を協議。三者は自民獲得議席が40議席を下回れば、首相退陣は不可避との認識でいったんは一致した。中川氏がその後、首相に内容を報告したが、首相は『いかなる結果になろうとも首相を続ける』と明言。続投が決まった。」
 
 だから、この安部氏の“続投宣言”を受けて三者は、安部続投を支える立場へと変わり、その日行われたNHK番組で青木幹雄氏は「全面的に協力する」と言明したし、その夜には森喜朗氏と中川秀直氏は都内でホテルで会い、安部続投支持で合意している。
 
 つまり、「福田政権」構想は29日の日中にはあったのかも知れないが、それはその日の夕方にはもう消えていたのであり、「福田政権」構想を幻(まぼろし)にしたのは、安部晋三氏自身の続投への強い決意だったのである。
 
 そこでマスコミは、投票日前に、安部晋三氏と麻生太郎氏の間には続投の密約があった。だから安部晋三氏は続投の決意を述べたという見解を持ちだしてくる。
 
 しかし、マスコミは安部晋三氏と麻生太郎氏の「密約」の前に、もう一つの密約があったことを忘れている。
 
 それは安部晋三氏と小泉純一郎氏の密約である。小泉純一郎氏は安部晋三氏に「勝ってよし、負けてよし、選挙がどのような結果になっても辞める必要はない」と諭(さと)し、その日以降、小泉純一郎氏と小池百合子氏は参議院選挙の応援遊説を全国各地で行っているのである。
 
 つまり、安部晋三氏は小泉純一郎氏にどんなことがあっても続投せよ、といわれて麻生太郎氏に協力を求めたのである。だから、続投が無理なのに続投させたのは誰かという答えは、小泉純一郎氏と麻生太郎氏と安部晋三氏自身というのが正解であろう。
 
 では、麻生太郎氏はなぜ安部晋三氏に続投をさせたかったのか?麻生太郎氏の場合、その理由は明確であろう。安部晋三氏の続投に協力することによって政権を安部晋三氏に禅譲してもらうためである。
 
 しかしこのことはむしろ「麻生太郎氏のクーデター説」を否定するものであろう。麻生太郎氏が安部晋三政権を継続させることによって、次期総理の座が秘密に約束されているとしたら、彼は何も「クーデター」など起こして、安倍政権を転覆する必要などないのであって、むしろ麻生太郎氏は、時いたらば、熟し柿が自然に落ちてくるように、ただ禅譲の時期を待つだけでよいのではないか。そして、麻生太郎氏には、一年も、二年も待つことができないという切迫した事情はなかったのである。
 
 途中で何かが変わったというのはおそらく正しいであろうが、しかしその時期は「朝日新聞」が考えているように、9月ではなく、8月である。
 
 8月上旬にアメリカを訪れた“小泉派”の小池百合子氏は、内閣改造を前にもかかわらず、あたかも防衛大臣の職に留任するか、外務大臣に転身するかのようなふるまいをしていた。
 
 8月15日の敗戦記念日に小泉純一郎氏が靖国神社に参拝した時、われわれは小泉純一郎氏に“生臭さ”、すなわち、権力への意志を感じた。それでこの「労働者のこだま」では、小泉氏を批判することが多くなっていった。
 
 その直後に、防衛省では小池百合子大臣と守屋防衛事務次官との間で、人事をめぐってくだらない対立が起こり、マスコミは連日のように二人を追いかけていた。
 
 この時、一部のマスコミは明らかに小池百合子氏の側に立っており、自民党内部でも、「総選挙で勝とうと思ったら首相は小池氏だ」(中川昭一政調会長?の談)という声さえ聞かれた。
 
 ところがこの人事抗争の終わりは、意外なもので、「留任はしないと言ってるんだよ」(小池百合子自身の発言)という、あまり品のない発言であっさりと幕を閉じた。
 
 一時期永田町を駆けめぐった「次の総理は小池百合子氏」といううわさはあっさりと消えていった。
 
 先に、われわれは、「続投が無理なのに続投させたのは誰かという答えは、小泉純一郎氏と麻生太郎氏と安部晋三氏自身というのが正解であろう。」と述べたが、8月は安部晋三氏に続投を勧めた小泉純一郎氏のもくろみが明らかになりつつある月でもあった。
 
 つまり、小泉純一郎氏も麻生太郎氏と同じもくろみをもっており、安部晋三氏の次は自分の息のかかった子分を後釜にすえようとしていたのである。
 
 (参議院選挙の時、名古屋に来た小泉純一郎氏は「自分も二、三年で辞めたら、とんでもない人物と言われたままで終わっていただろう」という主旨の発言をしている。これは参議院選挙の結果がどのようになろうとも安部晋三氏に四、五年総理を続けるべきだと励ましている一方で、自分は偉大なる業績を残した、偉大なる総理であると思っていることでもある。そして総理の職を辞した後で自分が行うべきことは、自分の偉大なる業績を守る人を育てて総理にすることであるとも考えているのであり、「テロ特措法」は間違いなく偉大なる総理の偉大なる功績の一つなのである。これは“小泉派”の安部晋三氏が「テロ特措法」の継続にあくまでもこだわり続け、「テロ特措法」に代わる「新法」では納得できなかったことの説明にもなっている。)
 
 しかし、小泉純一郎氏の内閣のなかで自分の影響力を残したいという思いは緒戦で麻生太郎氏によってあっさりと否定される。
 
 しかし、8月の時点では、安部晋三氏は小泉純一郎氏よりも麻生太郎氏に頼らざるをえなかった。なぜなら、内閣を存続させると決意し、自民党内に依然残っている“退陣派”に抗するには、安部晋三氏はすでにあまりにも無力化しており、麻生太郎氏と、麻生太郎氏を通じて自民党の大ボス、小ボスを閣内に引き入れるしかなかったからである。
 
 こういうことは小泉純一郎氏にはできなかったのか?それはできなくもないことであっただろうが、小泉純一郎氏はあくまでも“影の人”であり、黒幕が全面に出てくるようなことになれば、それはもう黒幕ではないであろう。「不動の動者」(自分では動かず、他者を動かすもの)であり続けるためには、この時点でも小泉純一郎氏はあくまでも表面に出ず黒子に徹するほかなかったであろう。
 
 したがって麻生太郎氏が中心になって行われた8月27日の安部改造内閣は、時期麻生政権をにらんだ事実上の麻生―与謝野内閣であったが、それは参議院選挙で敗北し、自民党内部での求心力を失っていた安部晋三氏が不承不承でも飲まなければならない人事だったのである。
 
 そしてこの時幹事長に就任した麻生太郎氏は、「誰かが自民党をぶっ壊すといって本当に自民党が壊れてしまったから立て直さなければならない」と語り、小泉路線からの脱却と小泉派の排除を明確にしている。
 
 しかし、転機はすぐに訪れた。それは組閣後一週間もたたないうちに、遠藤武彦農相や坂本由紀子外務政務官が、「政治とカネ」絡みの不祥事で辞任するということが分かり、他にもそのような議員が自民党内にはゴロゴロいることが連日新聞で報道されるようになった。
 
 われわれはこの時、自民党全体が政党として劣化しており、安倍内閣はすでに統治能力を喪失しているといったが、そのように受け止めたのはわれわれだけではなかった。
 
 この時点で安部晋三内閣は政府としての当事者能力を喪失しており、倒れるのは時間の問題となっていた。
 
 ここで安部晋三氏は麻生太郎氏に「だまされた」と語ったとされるが、誰が何をだましたというのであろうか?安部晋三氏は「腐ったリンゴ」を排除して内閣を作れといったが、できた内閣に「腐ったリンゴ」が二個もまじっていたと落胆するのであるが、自民党そのものが「腐ったリンゴ」の集積体なのだ。だから全部「腐っていないリンゴ」で内閣をつくろうとしたら麻生太郎氏は他の政党、例えば共産党や社民党から大臣を連れてくる必要があったであろう。自民党はそこまで落ち込んでいたのである。
 
 そしてこの日以降、小泉純一郎氏の「小泉チルドレン」の組織化が始まる。彼もまたこの内閣では国会を乗り切れないと読んでおり、それならばいっそはやめに瓦解させたほうがいいと考えていた。
 
 そして、9月9日、安部晋三氏はシドニーで「テロ特措法」延長に「職を賭す」と語り、「職責にしがみつくことはない」とすら語った。この時、われわれは海部総理の例を出して、どのような情況下においても内閣総理大臣が「職を賭す」などといえばその通りになるといったし、安部晋三内閣の終焉は迫っているともいった。
 
 しかしわれわれは重要なことを見落としていた。それはブッシュ大統領は安部晋三氏のことを一貫して「ミスター・プライム・ミンスター」と呼んでいたことである。これは外交上、非常に失礼なことで、「敬して遠ざける」(うわべは敬って、内実はうとんじて親しくしない)というものであり、アメリカの大統領がこのようなその国の国民にケンカを売るような非常識なことをしてもいいと思っているのは、相手が敵対国、もしくは準敵対国の代表者か、その人がもうすぐその国家を代表する地位にないことを知っているかどちらかである。
 
 今回の場合、明らかに後者であろう。このことは「職を賭す」発言以前に行われていることであり、ブッシュ氏はそれ以前に「安部辞任」が近いことを知っていたということになる。アメリカにはいくつもの情報機関があって世界中の国々の情報を収集しているが、政権の中枢で極秘に進んでいるこの種の情報を情報機関が補足することは困難を伴うから、むしろブッシュ氏への個人的なタレコミの可能性の方がありうることである。(アメリカ合衆国の大統領であるブッシュ氏に、日本の政権中枢の内幕を知り、かつ、それをタレ込むことができる人物は一人しかいない)
 
 そして運命の9月10日、この日は国会の所信表明演説の日。「10日午後、参院本会議での所信表明演説が始まる直前の参院議員応接室。首相はイスに腰をかけて机に両ひじをつき、しばらく物思いにふけった」(『日本経済新聞』、9月11日)
 
 おそらくこの時、安部晋三氏は辞意を固めたのだろう。それを麻生太郎幹事長に伝える。
 
 しかし、この時「辞める」といわれれば、当然、だれでも「テロ特措法」が国会を通らなかった時に辞職するというように考えるであろう。だから麻生派はその日の夜についにもうすぐ政権が転がり込んでくると大喜びして“祝勝会”まで開いているのである。
 
 ところが、安部晋三氏の「辞める」という意味は、おそらく違っていたであろう。偉大なる首相の偉大なる業績を守ることが安部晋三氏の使命であるとするなら、「テロ特措法」はそのままのかたちで(新法という形式ではなく)国会を通過させる必要があり、そのための「辞任」なのだということである。
 
 最近、いわれるのは彼の祖父の岸信介氏は「安保条約とひき替えに首相を辞任した」ということである。これは、岸信介氏が国民と国会の圧倒的大多数の反対を押し切って安保条約を自然承認させたために首相を続けることができなくなって辞任に追い込まれたということを意味しているだけなのだが、安部晋三氏はこれを文字通りの意味で解釈しようとしていた。つまり、民主党に自分の首を差し出すから、「テロ特措法」を国会で通してくださいと取引をもちかけようとしていたのである。もちろん民主党がこのようなバカげた取引に応じるはずもないのだが、安部晋三氏はそれを真剣に考えていたのである。
 
 これはもう「異常心理学」や「精神病理学」の世界の領域の話であり、われわれはその方面に詳しくはないのだが、安部晋三氏はすでにかなり強度の強迫観念にとりつかれており、それが彼の精神を徐々に狂わせていた。その強迫観念とは、いうまでもなく、自分はどうしても偉大なる総理の偉大なる業績を守らなければならないというものだ。
 
 この日、「小泉チルドレン」たちは国会のなかで「国民本位の政治を実現する会」の初会合を開いている。
 
 翌11日には、安部晋三氏のもとを公明党の太田氏と中川秀直氏が訪れている。麻生太郎氏は二人とも辞任の話を聞いているはずだというが、それはわからない。
 
 むしろ、中川秀直氏は辞任の話をきいてわざわざ官邸にやってきたと考える方が自然であろう。もちろんそれは「テロ特措法」と引き換えに自分は辞任するということであり、普通の人がこういう話を聞けば、ああ、この人は「テロ特措法」が国会を通過しなかったら辞任するんだな、と思うであろう。
 
 そして12日を迎えるのだが、われわれはこの日の出来事は言葉の本当の意味で「異常心理学」や「精神病理学」の世界の領域の話なのだから、専門家が分析するしかないと考えたので分析はしないことにした。

 政治的に大局的に見れば、安部晋三政権は参議院選挙で敗北して、政権を維持できなくなった、という総括でいいのだと思う。
 
 そしてわれわれが予想していた小泉派の反乱はなかった。われわれはどうやら彼らの力を買いかぶっていたようである。             

間違えました

2007-09-18 12:00:46 | 政治
 もちろん、漢の劉邦(高祖)と楚の項羽が正しいです。時代はBC200年頃です。

 蜀の劉備、呉の孫権、魏の曹操は三国時代で、『三国志』の時代、(3世紀の中頃)です。

 蜀の劉備に「天下三分の計」を説いたのは、諸葛孔明です。諸葛孔明は「かいとう」に習って劉備にこれを言ったのですが、この辺のところで混乱しました。すみません。

 なお、「かいとう」の「かい」の字はむずかしすぎてHTMLでは表示できませんでした。

 またこれは余談ですが、最初に韓信が呂后のはかりごとで捕らえられたときには、彼は死罪にはならず、国王の座を追われ、彼の故郷であった淮陰(わいいん=今の江蘇省)の候(地方官僚)へ格下げされただけでした。それでも韓信は劉邦を憎み、いつか仕返しをしようと考えていたのですが、BC197年に他の国の反乱に乗じて、彼も決起しました。ところが、この頃には彼の勢力もすでに弱体化していたので、すぐに反乱は鎮圧され彼は殺されています。

 誤りを指摘してくださった方々には、感謝申し上げます。

 また、夜勤明けで先ほど帰ってきたばかりなので、誤りを訂正することが遅れたことを心よりおわび申し上げます。

今戦えないものは、将来においても戦えない

2007-09-17 00:39:28 | 政治
 参議院選挙以来、われわれの主張は一貫している。
 
 影でこそこそ蠢(うごめ)いている小泉純一郎氏に対して、「秘密の政治闘争などという陰謀そのものであるからよろしくない。何か言いたいことがあったら政治の表舞台に出てこいよ」と、われわれは言い続けている。
 
 われわれ赤星マルクス研究会が、誕生して最初に主張したことは、「労働者を愚弄(ぐろう)する者とは断固として闘う」という決意表明だった。
 
 だからわれわれは、準備はできているから、いつでもウェルカムだ、われわれが、最初に、お相手いたしましょうといっていたのである。
 
 ところが、“小泉純一郎氏の反乱”はいつの間にか、どこかに消えてしまっている。
 
 われわれの漏れ聞くところによると、「今は勝負の時ではない」そうである。
 
 まったく人騒がせな男である。彼が首相に就任中は「一将功なりて、万骨枯る」で、日本中いたるところで小泉純一郎氏のペテン政治によって「骨」にされてしまった人の憤怒の声が聞かれたが、今回は、「一将逃亡して、百骨枯る」なのだそうだ。被害者の数が「万」から「百」へ百分の一に減ったのは喜ばしいことだが、この「百骨」はみんな小泉氏の子飼いの子分であるから、われらの親分は自分の子分をちぎっては投げ、ちぎっては投げることによって、ようやく安全地帯にまで逃げおおせたことになる。
 
 これでは小泉氏の側近であった飯島秘書が愛想をつかせて辞表を出すのも無理のないことであろう。
 
 自民党の片山さつき氏は、麻生太郎氏の反小泉戦略を知って「ぶち切れたのは小泉氏だけではない」などといわなくてもいいことを暴露しているが、そもそもの発端は小泉氏が麻生氏に対して「ぶち切れた」ことにあるのであろう。
 
 だから、武部氏と中川秀直氏と飯島秘書は早い段階から「小泉チルドレン」の組織化に取り組んできたのであるし、安倍政権そのものを葬り去ることによって、麻生太郎氏を葬り去ろうという陰謀が進行していた。   
 
 だから、「安部おろし」は起こるべくして起こってきたのだが、それにしても代表質問を目前にして夜逃げ同然なやめ方というのは、あまりにも非常識で理解に苦しむ。
 
 小泉純一郎氏は本当にそこまで要求したのだろうか?
 
 われわれは当初、そうだと思っていたが、よく考えてみるとそれもおかしな話である。安倍首相が辞任を表明した前日、すなわち、9月11日に中川秀直氏が首相官邸を訪れている。彼は小泉派だから当然、麻生を排除するために安部晋三氏を政権から引き抜く、すなわち、内閣総辞職をさせるという陰謀に荷担をしていたのだが、果たしてそれは翌日(9月12日)のことであろうか?
 
 いくら何でも、それは相当無謀な行為ではなかろうか?実際、今回の“夜逃げ総辞職”で安部晋三氏の政治生命はほぼなくなってしまったというべきであり、このような一人の総理大臣を“廃人”化してまで、政治的な目的を遂行しなければならないような、切迫した政治状況はどこにもなかったのである。(もっとも小泉純一郎氏自身が破滅的な人格の持ち主なのであるから、このような破滅的なことはやらないという保障はないが・・・)
 
 この頃、われわれもこのブログで、連日(10、11日)のように小泉純一郎氏による「安部おろし」始まったので、安部晋三氏の総辞職は近いという観測記事を書いていたが、その「近い」という意味は、決して明日、明後日の話ではなかった。
 
 その点について、今日(9月15日)、『週刊現代』と『赤旗』を読んで、ようやく分かったような気がする。
 
 そうではなくて、安部晋三氏は言葉の本当の意味でパニックに陥っていたのである。年金問題が明るみに出た当初、安部晋三氏がわずか半日の審議で年金の時効撤廃法案を強行採決したときのように、いや、むしろあの時以上に、恐怖のあまり浮き足だって、われを忘れ、誰に相談することもなく、あらぬ方向に突進してしまったのである。
 
 『週刊現代』も『赤旗』も、安部晋三氏の三億円の脱税疑惑を取り扱っているものであり、これは今後問題になるかも知れない重要な疑惑ではあるのだが、それに加えてそういう疑惑を『週刊現代』と『赤旗』の記者が追いかけているということが、これはもう10階だろうが、20階だろうが、今ここで飛び降りるしかないと安部晋三氏に思わせたのである。
 
 こういうことは普通の人には理解できないかもしれないのだが、どういうわけか、われわれがもう忘れてしまった昨年末のあの“事件”以来、安部晋三氏の頭の中には、「週刊現代」=「赤星マルクス研究会」=「日本共産党」=「朝鮮労働党」=「恐ろしい悪魔」というヘンな等式がこびりついている。等式は何か等しいものがあるからこそ、「=」で結ばれるのである。ところが、「週刊現代」、「赤星マルクス研究会」、「日本共産党」、「朝鮮労働党」、「恐ろしい悪魔」の間には、何の関係も、何の等しいものもないのだから、それぞれ別個のものとして考える必要があるのに、われわれが何度言っても安部晋三氏にはこういう簡単なことすら理解できなかった。(実際、善良な読者にすぎないわれわれは、三億円の相続税の脱税疑惑のことを今日、両紙誌の記事を読んではじめて知ったのである。)
 
 おそらく、安部晋三氏は突然訪れた『週刊現代』の編集者=「赤星マルクス研究会」の誰か=「日本共産党」の誰か=金正日の使者=自分に破滅をもたらす「恐ろしい悪魔」の軍団に、「12日までに疑惑についての解答を」といわれて、死刑執行人がついに自分の独房の前に立ってしまったように錯覚したのであろう。それで「局面を転換する必要がある」(「敵」の攻撃が激しく、自分は劣勢にたたされており、「敵」の先兵が本丸にまで乗り込んで来ようとしており、このままでは本丸の落城は時間の問題だ、この困難な局面を何とかしなければならない)、「自分が局面を転換させる障害になっている」とうわごとのように語って政権を放り出したのではないか。
 
 だから、小泉氏の「安部おろし」のXデーは、やはり巷(ちまた)でいわれているように、テロ特措法が失効する11月10日だったかも知れないが、それ以前に、政治的な重圧から情緒不安定になり、意味不明な妄想と疑心暗鬼にとりつかれてしまった安部晋三氏が、『週刊現代』に少し肩を押されただけで倒れ込んでしまったとすれば、それは小泉純一郎氏にとって大きな誤算というべきであろう。
 
 小泉純一郎氏は、安部晋三氏の辞め方があまりにも無様(ぶざま)であったために、こんなことに自分が荷担していたことが世間に知られると、信用をなくすと考え、一転して、内閣総辞職→小泉派の立ち上げという当初の計画を放棄し、古き悪き自民党の中へと逃げ込んだ。
 
 かくして自民党は、麻生太郎氏一人を悪者にして、後はなだれを打って一団となり、福田氏を担ぎ回ることになり、小泉純一郎氏は鉾(ほこ)をおさめて、「勝負の時」を待つことになった。
 
 しかし、決起を中途半端なかたちで終息させ、戦場に多くの部下を残したまま、一人戦線を逃亡した小泉純一郎氏が、再び決起する日はあるのだろうか?
 
 中国の『史記』には「天の与うるを取らざれば反(かえ)ってその咎(とが)を受く」(天が与えてくれたものを受け取らなければかえって天のとがめを受け、好機が来たのに行わなければ、かえってわざわいに見舞われることになる。)という言葉もある。
 
 これは斉の軍師?通(かいとう)が斉王となった韓信に進言した言葉である。韓信は韓の有名な武将で劉邦のもとで働いていたが、その活躍により劉邦に斉王となることを認められた人物である。
 
 ?通(かいとう)が斉の国王となった韓信に進言したことは、当時、中国が漢の劉備と楚の項羽が相争うなかで、漢の劉備から斉を独立させ天下三分の計をたてることだった。
 
 しかし、韓信は自分は劉備に大切にされているという理由でそれを断った。?通(かいとう)はそれでも「世の中に、主君の声望をしのぐことほど危険なことはないのです。」と再考をうながしたが韓信はそれを聞き入れなかった。
 
 ところが、漢が天下を統一すると、劉備は天下統一に功績があった武将を次々と粛清していき、韓信も劉備の妻であった呂后の奸計にはまって捕縛され、斬罪に処せられることになる。
 
 この時、韓信は「?通(かいとう)の計を用いなかったことが後悔される。おかげで女にあざむかれることになってしまった。これこそ天命というものであろう。」と語ったとされる。
 
 そこでわれらの小泉純一郎氏だが、彼もまた決起を中途半端なかたちで終わらせてしまい、天の与えた時を有効に使うことができなかった人だ。彼は現在でも「時いたらば」と強がりをいっているが、時はすでにいたっていたのであり、彼はその好機をうまく生かすことができなかったのである。
 
 したがって彼もまた、「女」にだまされて、首を切り落とされることを天命としなければならない人になってしまったのである。
 
 かくして、一つの時代は終わり、新しい時代が始まろうとしている。        

マスコミと自由民主党は何か大きな誤解をしていないか?

2007-09-14 01:10:19 | 政治
 自民党が、総裁選で盛り上がっている!そうである。
 
 誰がどのような政策を掲げて立候補するのか、連日のようにテレビやマスコミで報道している。
 
 しかしだ。どうしてこういうことになったのか、彼らは考えているのだろうか?
 
 今回の事件を、「飛行機が飛行中に乱心した機長が飛行機から飛び降りてしまったようなもの」といった人がいるが、まさにその通りだろう。誰も運転する人のいなくなった飛行機は、現在迷走中で、乱気流でもあれば、そのまま地面に激突して日本国は爆発炎上ということにもなろう。
 
 ところが自由民主党の議員センセイ方は、それでもいい。よれよりも大切なことは最初にパイロットを誰にするのか選挙のやり方から話し合わなければならないというのだから、自由民主党の国会議員のセンセイたちの頭の中はいったいどうなっているのかと首をひねらざるをえないし、それを連日、おもしろおかしく伝えているマスコミも何を考えているのかといわざるをえない。
 
 どうやら、自由民主党のセンセイ方もマスコミの諸氏も、議会と政治は自民党のためにのみあり、野党やら、議員を選出した有権者である国民のためにはないと思っているかのようである。
 
 総裁選で政策議論を深める必要があるだって?!何を寝ぼけたことを言っているのか!!今回の自民党の総裁選挙は通常の総裁選挙なのか?そもそもなぜ自民党は今なぜ、ここで総裁選挙をやらなければならなくなっているのか?自分たちの選んだ総裁が、ことの理由はともかく、突然、どこかへいってしまったからであろう。職場放棄をするような人物を総裁に選んだ責任は自由民主党にはないというのか?諸君たちの7割の支持をえて総裁になり、内閣総理大臣になった人物が国会の会期中に夜逃げしたのだぞ。これが個人の事情ですむことか!
 
 参議院選挙の惨敗に続いて、今回の事件で、自由民主党は、政党としての適格性があるかどうかすら分からない状態になっているというのに、どうやら自民党のセンセイ方は自分たちが現在置かれている立場すら理解できないようである。
 
 ところでマスコミはどういうつもりで連日のように自由民主党をまともな政党のように扱っているのであろうか。おもしろければいいというのははなはだ無責任だし、実際、バカな連中がバカなことを言うのは何もおもしろくはないのである。
 
 自由民主党は党として、主権者たる国民に背信行為を行ったのだから、総裁、すなわち、党の代表になりたいという人物がいるのだったら、まず国民に対して謝罪し、このようなことは二度とやりませんと約束させることが先であろう。
 

再度、分裂か?溶解か?

2007-09-14 01:08:16 | 政治
 われわれは何度も、安部晋三氏の「職責を賭す」決意の背後には、自民党内の深刻な路線対立があったということを指摘したが、われわれはある意味で重大なことを見落としていたといえる。
 
 それは、われわれは長い間、左翼組織に属していたので、知らず知らずのうちに、左翼組織的な発想に陥っていたということである。
 
 左翼であるなら、原則的な問題で重大な食い違いがあれば、激しい議論が行われ、それでも納得ができなければ、どちらかが党を出るというのが一般的である。
 
 これを左翼の悪いところであると見る人は結構多いようだが、われわれはこれを悪いことだとは思わないし、われわれの美徳といってもいいとさえ考えている。
 
 ところが、ところがある人々にとっては、これは必ずしも美徳ではなく、“大人”の解決法というのもあるということである。
 
 今回の事件にしたがっていえば、麻生太郎氏は先走って、小泉純一郎氏の大いなる怒りを買ったのである。われわれならば、重大な問題で違うというのであれば、とことん気がすむまで路線闘争をやれといって、機関紙の一面を提供して議論の場をつくることも考えられられるし、自分も何らかの形で論争に参戦したいと考えるのだが、この場合の大人の解決というのは、「ケンカ両成敗」であり、成敗、つまり、罰則もごくごく軽いものにして、事件そのものをなかったことにしようという解決法である。
 
 したがって麻生太郎氏には反小泉路線を進めようとした罰として総理になるのを少し待ってもらって、その代わりに小泉純一郎氏にはこれ以上の反自民党活動をやめてもらうという“大人の解決”である。
 
 対立点を明らかにしないで、まあまあ、そんなにむきにならないで、円満に、円満にというのは確かに“大人のやり方”ではあろうが、これはずるさを身につけた老人の知恵であり、活力の衰弱でしかない。
 
 そういう点では、自民党は政党として老衰の域に到達しつつあるのであろう。老いてますます極端という政治的人間も困るが、老いて闘争心すら萎(な)えてしまった政治的人間というのも困りものである。
 
 自民党のようなだらしのない党の引力圏から脱出するにも、それなりのエネルギーが必要なのだが、残念ながら小泉純一郎氏も中川秀直氏も武部氏もそれを持ち合わせていなかったということであろう。
 
 もっと情けないのは派閥の大ボス、小ボス連中で、もとはといえば彼らが麻生―与謝野ラインをつくりだして、小泉外しの流れをつくろうとしたのだが、今では、その彼らが麻生追い落としの急先鋒になっていることである。彼らは党の分裂を死ぬほど恐れているのである。
 
 確かに、ここで自民党が割れれば、自民党はおしまいであろうが、たとえ割れなくとも彼らは徐々に活力を喪失して老衰死を選ぶ道を選択したのだから同じことである。