今日は「平成十七年度 琵琶湖若狭湾快速鉄道建設促進期成同盟会」が小浜市文化会館で開催され参加してきた。会場には約八百人の関係者や沿線住民の参加があった。
この新線鉄道実現は、若狭地域住民の「百十年の悲願」だ。
この新線(滋賀県高島市~福井県若狭町間約二十キロ)が実現すると、小浜から京都まで五十五分、大阪まで一時間半で行けることになり、以下の効果が期待できる。
①通勤通学などの「生活行動圏の拡大」
②嶺南地域の主要な産業でもある「観光・リゾートの振興」
③時間短縮や費用節減効果などの「鉄道整備による広域ネットワーク強化」
など地域の活性化に欠かすことの出来ないものだ。
若狭地域の将来のためにも、なんとしても実現しなければならない新線である。
新線実現には福井県の積極的な事業推進が不可欠な要素だ。にもかかわらず、西川知事のご出席をいただくことが出来なかった。お忙しい知事のことであり、他にも公務があることは理解できる。しかし、知事が本当に地域を理解しているのなら状況も変わっていたと思う。
この鉄道は、前の栗田知事の時代からの運動であり、栗田知事は三期目の知事選にあたり、「工事の槌音」を公約していたはずだ。にもかかわらず、あれから六年以上が経ってしまった。現在の西川知事も前回の知事選において、嶺南地域の票で当選できたはずだ。福井県知事として本当に若狭地域をご理解されているのか、はなはだ疑問に思う。また、関係自治体選出の県議会議員の見識にも疑問を持たざるを得ない。すくなくとも、政治家は住民に「夢」を与えなければならない。そして、その夢の実現に向かって最大限の努力をしなければ住民の代表としての資格は無いと思う。にもかかわらず、洩れ聞こえてくるのは後ろ向きな発言ばかりである。
私たちの「若狭」は、明治十四年までは「滋賀県」であった。廃藩置県により、石川県の一部と一緒になり現在の「福井県」となった歴史がある。福井県は大きく嶺北と嶺南のふたつに地域区分される。この北と南では歴史、文化そして経済圏がまったく違う。言葉もまったく違う。同じ「県」扱いしていることが不思議でならない。
若狭地域住民の悲願が、県当局に届かなければ、明治十四年にさかのぼり、我々は滋賀県へ帰る運動のために立ち上がらなければならない。
今日はでした。今日もとても蒸し暑い一日でした。
今日も衆議院選挙福井三区候補者のため、選挙カーに随行してきました。
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