その知人は四十にして長年勤めた建設会社を退職し、魚の養殖業に転じた方です。
岩魚(いわな)や山女(やまめ)そして鮎を河内の山奥で(小浜から30分位)養殖されています。
いま特に一生懸命取り組んでいるのが「アラレガコ(おこぜの様な感じ)」という魚だそうです。このアラレガコ、味はさっぱりして好評のようです。
アラレガコは絶滅種(?)にも近い魚種だそうで、国や県をあげて養殖技術に取り組んできて、ここにきて養殖の目途がついたので民間にその養殖を開放したのだそうです。
こんにちまでの努力は大変なものであったそうですが、このアラレガコの養殖技術を確立させ博士号まで取得したのが福井県庁に勤める人物だそうです。その人物がなんと私の義兄なのです(私はこの方面にあまり興味がないので今日まで知らなかったのですが…)
私と同じく四十にして新たな人生を歩む知人の成功をこころより祈りたいと思います。
今日はでした。
松崎先生は私の高校の恩師であり、初代後援会会長でもあります。
松崎先生と年に二~三回、一時間半から二時間位昼食をご一緒させていただきます。
政治の話し、小浜市に関する話し、そして巷の話などが話題の中心でしょうか。
以前のブログにも書かせていただきましたが、先生は青年期を中国で過ごされ、その後東京大学に進まれた方です。
県立高校の校長先生をお勤めの後、一時期小浜市の助役をお勤めになられたこともあります。
現在は公認会計士として税務に精励されておられます。
先生とお話しをさせていただくと、とても時間の経つのが早く、それだけ中身が濃く楽しいということだと考えています。
今日はでした。
今日は「山下春夫さん失踪日のつどい」に参加するため田烏小学校へ行ってきました。
山下春夫さんは昭和49年8月17日、小浜市一番町の漁港岸壁へ釣りに行き、以来三十二年間行方が分からなくなっています。
現場の状況や当時の山下さんの環境を考慮すると自殺や自ら身を隠す必要がないことなどから゛北朝鮮゛に拉致された疑いが濃厚な特定失踪者の一人なのです。県内には他に旧三方町の宮内和也さんと敦賀市の山下貢さんの2人が特定失踪者となっています。
山下さんがいなくなった毎年この日に集会を開き、この事件を風化させないようにしています。
山下春夫さんの兄の寛久さんも今年で八十歳を越えられました。一刻も早い救出が望まれます。
今日のつどいで、市民の会代表の村上市長をはじめ各代表により「アスナロの木」と田烏小学校児童により「つつじ」の植樹が行われました。これも事件を風化させないためです。
今日はです。あいも変わらず蒸し暑い日です。
私がブログに書き始めてからこれで3日連続になりました。
季節の花は本当に美しく私達を癒してくれます。
四女と一緒にあさがおと記念撮影をしようといっても「イヤ」と言って応じてくれません…
今日はのようです。いずれにしても暑くなりそうです…
今日はでした。暑い日々が続きます…
今日は「福井県操法大会」が福井市で開催され「小型ポンプ操法」に出場する若狭消防組合小浜消防団第八分団(中名田地区)の応援に行ってきました。
この大会は本当は7月22日開催の予定だったのですが、福井県嶺北地方を襲った豪雨のため開催が延期され今日になりました。
出場選手は7月22日に照準を定め、技と集中力を高めていったはずです。ところが、大会が二週間延びて8月5日になったのですから全出場選手とそれを支える関係者は大変であったと容易に想像がつきます。
にもかかわらず、我が小浜消防団第八分団は堂々の県大会優勝を成し遂げてくれたのです。
この優勝は若狭消防組合18年ぶりの快挙です。
二週間の延期と延べ五十二回にわたる練習を乗り越えてくれたのです。
第八分団の皆さんに心から拍手を送りたいと思います。
今日の福井市はでした。焼けるような暑さでした。
例年ですと妻と子どもで夜店を見に行き花火を見ているのですが、今年は三重県名張市に駐在する朝日新聞記者がおみえになり一献を交わしました。
この記者は平成十三年ころまで小浜通信局に勤務をされていた方でそれ以来のお付き合いになります。
小浜から高知、愛媛そして三重と転勤されていますが、本当に小浜を気に入ってくれているらしく、年に数回訪れてくれます。そしてそのたびに一献を交わすのです。
当時小浜市の各通信局に勤務されていた新聞記者(朝日、毎日、読売、福井)の記者も年に一度くらい小浜に集結し一献交わしながら互いの近況などを語り合っています。
それこそ全国各地にちらばり、日々を忙しく飛び回っている新聞記者が小浜を目指して来ていただけることの不思議さを感じています。
全国各地を知る彼らが感じている「小浜の良さ」をもっと多くの人に知っていただきたいと思います。
今日はでした。