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バイク好きオヤジのひとりごと

東海道

2019年06月25日 | トリッカー
通勤で毎日東海道を通ります、
知らない人もいると思うけど、横浜って、旧東海道の宿場町で言ったら

品川宿の次 神奈川宿、保土ヶ谷宿、戸塚宿の 3つの宿場町があります。
ひとつの市町村で江戸時代の主要街道の宿場が3つもあるなんて
多分横浜だけだと思います。

それだけ宿場町があると それなりの歴史的史跡も残っているわけで

通勤途中の道脇にこんなものがあります。

武相国境之木 保土ヶ谷宿まで1里って書いてあるので

昔、武蔵国と相模国の境の目印になる木と一里塚があった場所でしょうか?
確かに、この場所の住所は境木です。

場所は 保土ヶ谷宿から京都に向かって 権太坂を登りきったところ
ここから道が下りになって しばらく行くと戸塚宿です。


と、ここまでは以前から知っていたんですが
実はこの場所の少し保土ヶ谷寄り 旧東海道権太坂の急坂が終わったあたりから
旧東街道から外れて谷底に向かって100m位のところに
「投込塚」という史跡を見つけました。
今は、新東海道(国道1号線)から権太坂頂上に上がる道の脇で
住宅地のど真ん中なんですが、昔は現東海道の場所に道は無かったので
地形を考えると、当時は旧東海道から目に付かない谷の途中だった場所でしょう。

で、何を投げ込んだのかと言うと
実は 箱根に次ぐ東海道の難所だった権太坂で行倒れになった「旅人」だそう
「戸塚の投込穴」って呼ばれていたそうで

以前、箱根駅伝の中継でアナウンサーが権太坂の辛さを表現するために
「昔、東海道には 急坂で行倒れになった牛馬の死体を投げ込む穴があった」
って言ってたのを思い出しました。

牛や馬なら革や肉などを有効利用出来るので捨てる訳ないよな~と思っていたら
ネットで検索すると本当は穴に捨てられたのは牛や馬ではなかったみたい。

私の通勤路の横にあるし場所も判っているので 写真を撮ることは簡単ですが
場所が場所だけに写真撮るべきではないでしょう!ってことで 写真はありません。

知らなかったなら それはそれで良かったんですが
既に知ってしまった以上 通る度に目が行くわけで…
夜中に通る時、誰か、実態が無い人達と目が合ったらどうしよう?って
毎日ビビりながら通っているのは 事実です。

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