弱者と呼ばれるようなひとを、まもったり、尊重するべきと訴えるひと
本人、他人、家族、その他、
私にはその言葉たちがまるでわかりません、、
こんなことを書くと批判をくらいそうだけど、
思っていることだから。
私はどうしても抗えないのです
私はこの社会では生きていくことが難しい立場
仕事ができなければイコールお金がないということなので
国民の義務である年金を払うこと税金を払うということ、
自分のために使った借金、奨学金を返すことすらできない状態
それでしんでしまわないように、と、
いまの日本にはいろいろな制度がある。
有り難い、のか。
有り難いと思わなくちゃいけないということも、
きっとへんだよね。
貴志祐介の新世界よりを、大学生のときに読みました
その世界では、能力を発揮することができない人間(?)は
その時点で存在まるごと、消されてしまう
ふと主人公が思う場面がある、
この世界には障害を持っているひとがいないかもしれない…
そういうものはきっとずっと在るものだし、
これまでも、これからも。
人間の価値というもの、レベルとか、在るでしょう
就職に有利とか、不利とか、そういう身近なことがたくさん。
そんなの当たり前のことで。
非常事態のときには、弱者から、価値のないものから
排除する。
それを、同じ人間なのに…
と、素直に言えますか
都合がいいなあとか思っちゃいます。
みんな同じ人間、と言ったり
あのひとは性格が悪い、とか
勉強ができなくてもきみは運動ができる、とか
極め付けには、個性が大事。
ものは言いようなのかな、そんなこと、たくさんあるけれど
それをね、自信まんまんに主張するひとが私にはわからない
障害があるならあるでいいじゃない
障害、病気、性格、いろいろあるけれど、
何かしら生活に支障があるひと、と思う
そこにも程度の差はあって
子どもは弱い、女は弱い、
それもそうだとおもう。それでいいとおもう。
生まれた環境がそうだった。
それだけのことなのに、偉そうなひとたちは
人間であることを利用して
なんだかわけのわからないことを言っているなあ、
ハートネットTVの障害者と戦争というブログラムを見ながら
まとまらないけどふわーっと考えてた。