最近読んだ「定年後」(岩波新書 加藤 仁著)にこんな文章があった。「資格は、足の裏についた米粒にたとえられる。取らないと気持ちが悪いし、とっても食えないということである」
また私が20代の頃良く一緒にお酒を飲みに行った先輩は上司から「資格を取れ」と言われると「私は四角(資格)張って生きるのは嫌でまあるく生きます」と冗談で切り替えしていた。
私が若い頃は金融関係の資格や試験はそれ程なかったので皆丸く生きていた。また仮に資格を取っても生涯使わないことも多い様だ。私も若い時に不動産鑑定士の二次試験を取ったが、ついぞ鑑定の仕事をすることはなかった(少なくとも今までのところは)。いわばペーパードライバーの手前で終わっている次第だ。
だが「定年後」によると定年後地域で活動する場合に、自己紹介し信頼を得るために「資格」は役に立つこともありそうだ。
私の中に「退職後はボランティアで地域の山好きな人達をガイドしてみたい」などという漠然とした思いがある。そのために「簡単な山を歩くガイド」の資格でもとってみようかしらんと思いインターネットで検索してみた。そうすると何と沢山の関連する「資格」が出てくることか!
「国際山岳ガイド」「上級登攀ガイド」「登攀ガイド」「山岳ガイド」「登山・山地ガイド」「里山ガイド」・・・・・またその隣には「インターネット旅行情報士検定」「旅行地理検定」など余り聞いたこともない資格・検定が並んでいた。「登山・山地ガイド」位なら受験条件は満たしそうだが、平日に数日間の実地訓練があるのでチト今は難しい。
秘境・乗鞍山麓五色が原のガイドさんに聞いたことだが、お客さんはガイドをポーターと履き違えチョット疲れると「カメラの三脚など重いものを持ってくれ」というそうだ。その挙句ガイドさんの方が三脚数本を抱えてバテてしまう羽目に陥るということだ。・・・・・・ガイドなんて名乗ると碌なことはないかもしれない。
ということでガイドの資格を取るという構想も急に萎んでしまった。私の場合やはり四角(資格)ばって生きることは向いていない様だ。
それにしてもこんなに沢山資格があるが、一見して内容や専門性の程度が分からないものが多過ぎる。こんなものを取って消費者や地域の人の信頼を得ることができるのだろうか?と疑問が沸いてくる。
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