追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

同じ穴の貉(2)

2024年06月17日 | 政治・経済

 

同じ穴の貉(2)

同じ穴の常連客と言うべきか、寧ろ今や(ぬし)に近い(公明ムジナ)が、穴から顔を出し、世の中の風向きを伺っては、金の亡者・泥棒集団の自民ムジナに、上辺だけでも好いから信者向けに恰好を付けて欲しいと哀願し、何とか共同提出の法案が纏まった。これを見た維新ムジナ、好機到来、遅れてはならじと、抜け道だらけの無責任な提案引っ提げて同じ穴に飛び込んだ。此処に日本の3大ムジナが穴に集結、維新と言う助っ人を得てムジナの連帯が一段と強化され、ムジナ3兄弟と言うおぞましい風景が出現したのである。彼等の頭には元々、政治改革、身を切る改革などと言ったものは皆無、如何にして抜け穴を張りめぐらし、国民の目をたぶらかして、既得権益を守り抜き、今迄の優雅な生活を享受するかだけである。

維新が提案した「月百万円の旧文通費の使途公開と、残金返納」案には実施時期の明記は一切無し、案の定、岸田は合意文書に期日記載は無いと維新の合意違反の主張を無視する構え、元々やる気は皆無なのだ。

又政策活動費の廃止は見送りとなり、使途公開も10年先、しかも政策活動費の領収書の公表は、政党本部から活動費を受けた幹事長、幹事長が使ったお金の領収書しか制度として対象にしていない。国会議員に(支出された分などの)領収書の条文の規定は一言もないし、領収書も黒塗りもOKとの声さえ出て来る始末、議員の使途公開はブラック・ボックスの儘である。更に収支報告書の保存義務は3年なので、改正案そのものが意味をなさない代物である。又「政策活動費のチェック機関の設置、年間上限額の設定」も改正法が実施される2026年1月までに行われる確約も無い状態、検討、検討でその内有耶無耶にする魂胆が見え見えである。

「政治家への厳罰化」も議員が収支報告書に確認書を交付することになって居り議員が責任者ではない。虚偽記載の場合に議員が確認を怠っていれば公民権停止となるが、会計責任者に騙されたと言えば、責任回避可能である。

立憲民主党が求めていた企業・団体献金の禁止は法案に盛り込まれず無視、政治資金パーテイ公開基準を公明ムジナの泣き落としで20万円超から5万円超に引き下げたが、年に何回でも開催可能という抜け穴が用意されている。

「資金移動の透明性確保」を図る為、「国会議員関係政治団体」から公開基準の緩い「その他の政治団体」に1千万円以上の資金移動があった場合は収支報告書を公開することを義務付ける事としたが、その他の政治団体を幾つも作り1千万以内に分散すれば公開する必要が無く抜け穴となる。政治家個人だ、その個人が造った政治団体だと世間の目をたぶらかして「脱税を図るシステム」、よくこんな悪知恵が働くものだと感心する。悪党・安倍が政治団体に残した資金を政治家でもない未亡人・昭恵が相続税も払わず引継ぐようなことが堂々と行われている。

以上の通り、3大ムジナの賛成多数で衆議院を通過した政治資金規正法改正案は抜け穴だらけで、ネットでは「裏金維持法案」と呼ぶのが妥当であり、「3大ムジナは口先・悪徳3兄弟である」というのがトレンド入りしている。

そもそも維新が得意げに打ち出した「政策活動費10年先に使途公開」というのは、何の意味があるのか、贈収賄や脱税の罪も10年経てば時効である事を踏まえたうえで期限を設定したのだとすれば、こんな浅知恵で国民を騙せると考える維新も浅はか極まりない悪党である。10年先には維新が残っている保証がない事を見越しての法案なのかとの疑念すら湧く。パフォーマンス一辺倒で実の無い政党であることは周知だが、国民を欺いて法案通過に力を貸した維新の責任は重大である。そう言えば維新が自慢げに自主公開した政活費、多くは「塗りつぶし領収書」で高額会食のオンパレード、 大半は飲食代で維新の「代表室」「幹事長室」「国会対策委員会」などが、それぞれの会合費を支出しており、飲食を共にした相手は「政治関係者や有識者など」と言うのだが、半数以上が10万円超、「宛名」や「但し書き」の抜けた領収書も複数あり、一般の感覚とはズレまくった高額領収書ラッシュだ。まさに『政治にカネがかかる』と言い張る自民の補完勢力そのものである。

こんな抜け穴だらけの法案に対してすら、民主主義にはどうしてもコストがかかる、将来に禍根を残す改革だと批判するのが自民党副総裁の阿呆(麻生)だ。安倍・甘利・麻生は政界3バカとして有名だが、麻生の場合は放言・失言の多さで群を抜いて居り、本人はまともな発言だと考えている節があり始末が悪い。その内容は単なる知性・品格の欠如、皮肉などとして片付けられるものではなく、差別意識、社会経済弱者蔑視、歴史認識の誤りなどに根ざしたものが多い。要する甘やかされて育ち、きちんとした教育を受けていないのである。こんな人物が派閥の長として君臨し、それを支える人間が百人単位でいる自民党は全く理解の外である。

麻生の言う民主主義とは自分達が生き残り、失業しない事を意味する。民主主義にコストがかかると言うのは、失業しない為に多くの秘書を雇い、地元の事務所の運営や後援会活動に注力する為の経費が掛かるという意味であり、それは個人の選挙活動費であって、大多数の国民の声を聴く事が民主主義であるという視点が欠けているのである。安倍の「桜を見る会」が地元選挙民の買収活動であったように、秘書による後援会活動、此処に明らかにされない多くの無駄金が費消されているのが明白である。地元の声を聴く為に、多くの秘書を雇い、事務所を設けるなどは昭和の遺物、ネットを活用する等知恵を働かせば簡単に出来る筈である。

金のかからない政治の為に創意工夫が出来ない様な頭の凝り固まった人間は即刻引退すべきだ。

カネのかからない政治を目指さなきゃいけないのに、カネがかかるのを前提にしか物が言えない麻生は政治家として失格。

法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学によれば、麻生は、愛人と噂されたマダムが経営する銀座のクラブの飲み代にまで政治資金を使っていたような人物(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)。  麻生の資金管理団体「素淮会」の2022年分の政治資金収支報告書には、「会合費」が280件も記載され、総額は1934万円に上る。料亭や高級レストランなどがゴロゴロあり、毎月約161万円、毎週約37万円を使った計算だ。 これが麻生の言う民主主義のコストなのかと問いたい。政界で言いたい放題言いたいのなら、手弁当、ボランテイアで国会議員をすればよい。

兎に角改革マインドの無い3大ムジナを政界から放逐することを真剣に考えないと日本の未来は無いと肝に銘ずるべきだ。

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郷土富士…(2) 控え書き

2024年05月31日 | 旅行

郷土富士…(2) 控え書き

日本語には自然の景観の素晴らしさを称える美しい表現が数多く用意されている。風光明媚、山紫水明、一望無垠むぎん)、山容水態、花鳥風月等は一度は目にしたことがあるような気がするが、時に応じて、これを的確に使い分けるには中々骨が折れる。

間違いを恐れず挙げてみれば、「眺望の素晴らしさ」の意味合いの強い「風光明媚」は日本の宝、富士山に与えても異論は出ないだろう。

次に「山紫水明」は「日の光の中で山は紫にかすみ、川は澄みきった風景が清浄で美しい事」を意味するが、これにピッタリなのが、「西の富士、東の筑波」と言われる程、多くの人に愛される紫峰・「筑波山」である。

茨城県の故郷富士と呼ばれるが、富士山は青く見えるのに対し、筑波山は日に映えると紫色に見える事で知られ、万葉集や小倉百人一首(註)、その他数多くの歌や俳句に採用され、芭蕉の高弟・服部嵐雪は「雪は申さず先ずむらさきの筑波山」と詠んでいる。富士山は夕日には逆行となる為、輪郭しか見えないが、筑波山は東京から見通しが良く、麓から山頂まで夕日に紫色に映える美しい全容が見えるのも人気の理由だと言われている。 標高877m、日本百名山の中で最も低いが、雅称(別名)筑波嶺(つくばね)で知られ万葉集にも詠まれる様な由緒ある山であった。歌川広重は江戸の風景画を描く場合、西方の場合は富士山、北東の場合は筑波山を背景に取り入れるのを常とした程である。尚筑波山は(関東富士見百景)の一つに数えられている。

(註);【百人一首;得意だった札二つ……①「筑波嶺(つくばね)の、峰より落つる男女川(みなのがわ),恋ぞつもりて、淵となりぬる」、又富士山の場合は…②「田子の浦に、うち出で見れば、白妙の富士の高嶺に、雪は降りつつ」…が最もポピュラー、 富士山は今も昔も静岡(田子の浦)辺りから見るのが一番美しく、感動的な事が伺い知れる

 河口湖、富士パノラマロープウエイからの眺望

最後に「花鳥風月」、辞書によれば  「自然の美しさ、風情を表わす言葉で、花は春の美しさ、鳥は秋の哀愁、風は夏の涼しさ、月は冬の寂しさを夫々象徴している。又これらの自然現象を通じて人間の感情や心情を表現することも多く、日本人の自然観や美意識を反映している」と記されている。しかし此の言葉,聞き慣れたようでいて実際にどのように使われているのか、残念ながら余り記憶がない。

其れよりもテレビ・タレントのタモリがNHKテレビの「ブラタモリ」 で、人間は老化すると、自然と花鳥風月が好きになるという花鳥風月論を語っていたのがいたく興味を惹いた。曰く、人は初老に達すると最初は花など植物に魅力を感じ、花を愛ではじめ、更には季節の移ろいを感じるようになる。そして、その時期を過ぎると、今度は鳥にも興味を示しはじめる。身近な鳥に対して何となく愛情を感じ、鳴き声、飛び方等の違いに詳しくなり、庭に巣箱を置く人も居る。鳥の後は風、風も四季によって変化する。春先、少し冷たい春一番、梅雨時期のじめじめした湿気の多い風、晩秋から初冬にかけての木枯らし等、風から季節の変化を感じるようになる。そして最後に、月を愛でるることを楽しいと思うようになる。最後の風と月は、室内からでも十分に楽しむことができるし、病気や怪我などで寝たきりになっていても窓から入って来る風や窓越しに月の様子も楽しむことが出来る。月の満ち欠けや色の変化、模様などにも興味を持ち始め、「綺麗だな」「いいなあ」と思うようになってくる頃に、そろそろ「お迎え」が来ることを感じ出すと言うものである。タモリのこの話を聞いて、南米時代から星や月を眺めて遠く故郷を想ったりしたことが、よくあったと思い出し、何やら背中から寒気を感じた次第である。

最後に美しい世界の故郷富士の追加版。

① トルコ富士、ご存じキリスト・イスラム・ユダヤ教の聖典に登場する「ノアの方舟」が辿り着いた事で有名なアララト山、5137mの名峰、観光大国トルコの大きな観光資源の一つである。

② ニュージランド富士、先住民・マオリ族が「輝く山」と名付けたタラナキ山・2518m、トレッキング等エグモント国立公園の中心的存在である。

③ フィリピン富士,日系移民には「ルソン富士」と呼ばれるマヨン山・2463Ⅿ。国立公園の中心的存在であるが、環太平洋造山帯に存在する活火山の一つ、17世紀から21世紀初頭までの400年に50回の噴火が観測され、火砕流等による多くの犠牲者、大きな被害をもたらしている。

環太平洋造山帯;日本は勿論だが北米・南米・ニュージランド、の故郷富士も全てこの造山帯に属している。

 

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郷土富士

2024年05月25日 | 旅行

郷土富士

世界中の人を魅了して止まない富士山、2013年に世界文化遺産に登録されてから更に人気に火が付いた。訪日観光客が体験したい事のTOP10に挙げるのは、「3位の京都観光」、「2位の着物・浴衣体験」を抑えて「富士山観光」が常にトップを維持して居り、オーバーツーリズムの悲鳴も聞かれ始めている。山梨県富士河口湖町のコンビニ・ローソンが富士山撮影の名所として話題を呼び、観光バスまで繰り出して観光客が殺到、マナー違反も手伝って、付近の住民から何とかしろと苦情が出る始末。挙句、これに答える形で撮影できない様にと黒幕設置の異常事態となった。しかし此の黒幕から約1キロ西にある「ローソン富士河口湖町役場前店」でも、店舗の上に富士山がのったような写真が敷地前の歩道から撮れると言う事でこちらに観光客が殺到し始めていると伝えられて居る。

SNSの一枚の写真が火をつけたらしいが、コンビニと富士山、何処が良いのか、サッパリ理解できない。コンビ二建物のブルーの色と富士山のブルーが良くマッチすると言う事らしいが、余談ながら、北欧系の人に多いグリーンやブルーの目の人にも空気が澄んでいる時の富士山がちゃんとブルーに映っていると分かって黒目の人と同じように色が識別されている事が証明され興味深かった。何れにせよ彼等の付和雷同性は日本人を遥かに上回るかのようだ。   兎に角、外国人が富士山を単に景観として眺めているのとは異なり、多くの日本人にとっては、心の故郷と言った様な、もっと心情的な存在として見ているような気がしてならない。物心ついた頃から幼児期を経て少年・少女の期間を通じ、銭湯のペンキ絵や、絵本、更には唱歌や国語の教科書等でも富士山に接し、百人一首や竹取物語、富岳百景と言った古典文学・芸術等を通じ、身近ではあるが、何処となく特別な存在として畏敬の念で眺める習慣がつき、独特の心情が日本人の心の奥底に刷り込まれた結果であるような気がする。

南米の勤務を終え、5年振りに帰国して羽田に付いた時にはヤレヤレと言う安堵感しか無かったが,新幹線の車窓から雪を頂いた孤高の富士山を見た時、無事日本に帰り着いたと言う思いと、何故か年老いた母親の姿とダブって涙が止まらなくなってしまった記憶がある。

清潔・秀麗、凛とした(雄姿・佇まい)が文学・芸術の素材を提供し、日本の象徴としての地位を確たるものにしているのだろう。 其のせいか、富士の名前を冠した地名が非常に多い。元々富士山は霊山(神)として信仰・崇拝する対象で、日夜眺めて手を合わせるのを常とした。其の為、富士見町、富士見が丘、富士見台、富士見橋、富士見坂と言った地名が全国各地に散在する栃木・埼玉・茨城・東京・長野・静岡・愛知からは富士を望むことが出来るが、その他の地域では円錐形で山容が富士山に似た山を「ご当地富士=郷土富士」と呼び、北海道から沖縄まで全都道府県に存在し、その数、何と340以上あると言われている。  有名なところでは九州・指宿の開聞岳は「薩摩富士」とか、北海道 ・倶知安町の羊蹄山は「蝦夷富士」と親しみを込めて呼ばれ、九州・北海道の人に愛され大切にされている。

私の故郷・和歌山にも「紀の川富士=竜門山」が有名だが750mと低く、富士山の様に何回もの火山活動で出来上がった成層火山ではない為、成層火山が持つ特有の美しい山体ではなく、この辺りが蝦夷富士等とは異なる処である。寧ろ私にとっての「故郷富士」は「ペルー富士」と「チリ富士」と言うことになる。どちらも円錐形の典型的な美しい成層火山で、日本の富士と姿・形が 良く似て居る為、南米に多い移民の人や在留邦人が遠い故郷への想いを込めて「富士」と呼んでいる。

「ペルー富士」は、白く輝く世界遺産の街・アレキーパから眺める5,800mを超すアンデス山中のミステイ山、アレキーパへの出張の大きな楽しみの一つだった。

アンデス山脈には成層火山が多く隣国エクアドルにも富士山に似た山があった。

「チリ富士」はチリ南端のパタゴニアに近い風光明媚な湖水地帯に聳えるオソルノ山(2,660m)、西麓にはジャンキウエ湖を湛え、山頂は万年雪に覆われる活火山である。ドイツ系移民が造った美しい「プエルトパラス」の街やホテルから湖越しに見る山容は息を飲むような美しさである。ホテルの料理はドイツ料理で頂けなかったが、バームクーヘンだけは本物だった。

ホテルで購入した絵葉書

最後にアメリカ日系人に親しまれた「タコマ富士」を挙げて置きたい。アメリカ西海岸の北部ワシントン州にあり、カスケード山脈の最高峰、成層火山であるレーニア山、高さは4,392m1935年(昭和10)に日米親善のしるしとして、この山と富士山頂の石を寄贈しあったという逸話が残っている。

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腐敗自民の金権政治

2024年05月18日 | 政治・経済

 腐敗自民の金権政治

高等小学校と夜間高校、通信教育の肩書だけで地盤・看板・鞄も持たず、「巧みな官僚操縦術」、「膨大で明晰な知識」、「徹底してやり抜く実行力」を武器に総理に迄上り詰めた田中角栄氏は「コンピュータ付きブルゾーザ」と呼ばれ、庶民宰相として人気を博したが、一方総理になってからは、金権政治家として強い非難に晒された。

しかし田中政治には確たる政治理念・哲学があり後世に残る幾つかの実績に照らし、無知・無恥・無能・無教養・無反省を絵に描いた様な安倍に始まり岸田に至る私利私欲、保身しか見当たらない様な薄汚れた金権政治とは全く異質のものであったと言えるだろう。

田中は通産大臣時代、戦後初の日米貿易摩擦とされる「日米繊維交渉」ではアメリカに対して国益第一と粘り強く交渉し、貿易戦争の瀬戸際になるまで妥協しなかったことも語り草となった。アメリカ一辺倒で無かった事は、「日中国交回復・正常化」「アラブ寄り外交」として現れ、其の外交スタンスがニクソン・キッシンジャー政権の不興を買い、ロッキード事件に繋がったとの見方もある。又国政では「雪の降らない太平洋ベルト地帯」を工業化すると言う従来の方針を一変し、そういう温暖な地域こそ農作物が育ち易い、寒い農作物の育ち難い地域にこそ工業を誘致すべきであるとして地方創生を政治哲学とした。要はどの地域にも農業・畜産・工業を発展させる、其の為には高速道路網の整備を行い農村近代化を図ると言う「日本列島改造論」に結実したのである。

過って小泉元首相は自民党をぶっ壊すと叫び、安倍・麻生の様な漢字もまともに読めず、橋にも棒にもかからない様な無知・破廉恥でバリバリの世襲議員を重用した結果、自民党どころか日本をぶっ壊す事態となった。 阿保(安倍)のミクスのお陰で円は大暴落、国の借金は1200兆円にも膨れ上がり、少子高齢化対策に手を打たなかった為2050年には総人口は3300万人減の9500万人迄落ち込み、又高齢化率は20%から40%に跳ね上がる事が確実視されている。GDPも既にドイツに抜かれ、早晩インドに抜かれ5位に後退するのも目に見えている。成長が見えず株価も30年前と変わらず、全ての面で2流国への坂道を転がり始めている。年金問題等も含め日本の若者に明るい未来があるのだろうかと危惧される。

東大名誉教授・上野千鶴子氏は雑誌「世界3月号」の「安倍政治の罪と罰」と題する論評の中で標題を「安倍政治の功と罪」を考えたが、功が思いつかなかったので「罪と罰」としたと述べ、安倍が数々の罪を犯した「天罰」で銃撃を受けたと言う意味ではなく、愚か者(=安倍の支持者)が安倍長期政権を維持させた罪でその罰を今日我々国民が受けているのだと指摘されている。  安倍の死によって臭い物の蓋が外れた。国連の勧告にも拘わらず、選択的夫婦別姓を棚晒しにした為、ジェンダーギャップは150か国中125位と低迷しているが、その背景には、安倍の応援団である統一教会やその他の宗教保守の不合理な守旧主義の主張がある事が明らかに成った。選挙で票を得る為には悪魔とも手を結ぶのも厭わない証左である。 安倍政権でとりわけ際立つのは、国政の私物化とモラル崩壊である。

安倍本人と妻の昭恵氏が関与した疑いの「森友学園」「加計学園」疑惑に続き、大問題になっている「桜を見る会」の疑惑は、その典型である。税金を使った公的行事「桜を見る会」に後援会員らを多数招待し“接待”したとされる「桜」疑惑は、マルチ商法で批判されているジャパンライフ元会長に首相推薦枠とされる区分番号「60」の招待状が送られていた問題まで浮上するなど、文字通り底なしであった。 安倍は、臨時国会の予算委員会での審議に応じず、政府も招待者名簿を廃棄したと主張するなど隠蔽姿勢をあらわにしたが、国会閉会後の野党の結束した追及と調査で、招待状の「60」が首相枠だったことが公文書ではっきり示され安倍得意の嘘とごまかしが明白となった。(嘘・ごまかし・はぐらかし・隠蔽・改竄)等国民を欺く手法が自民党の重要な政治手法となった。

 首相が任命した閣僚の「政治とカネ」の問題も深刻で、菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相を含め、第2次政権発足後辞任した閣僚は10人に上り、カジノをめぐる収賄容疑で自民党所属だった秋元司衆院議員が逮捕されモラルは地に落ちた。税金をあたかも自分の財布の如く使い放題・やりたい放題、この風潮が自民党内に蔓延し、現在の裏金事件に発展した。裏金をバラまいて選挙に勝てば、経済界や医師会等の支援業界団体から巨額のカネが転り込む、それを又裏金として党内で配り、選挙で仲間を増やす、当に裏金の再生産システムである。この様に裏金をもとにして権力基盤を築き上げるのが自民党の体質であり、権力の源泉である事は、自民党政治刷新本部座長の鈴木馨祐衆院議員が5月12日のNHK「日曜討論」で、抜け穴だらけの政治資金規正法改正の与党案を野党議員に批判されると、「野党の意図は自民党の勢力を削ぎたいのだ」と明言している。裏金作りのスキームを手放すことは「権力基盤を失い、勢力を削がれる」と自白し、「語るに落ちる」を地でいくことになった。如何に悪知恵を絞って抜け道を作り国民の目をそらす、自民党にはそれしか無い事が明白となった。

兎に角、政界を浄化し公平公正な選挙制度を作るには、既に巨額の政党交付金(税金)を与えているのだから、「企業献金、政治家のパーテイによる集金システム」を禁止し、受け取った政党交付金の使途を明確にすることを義務づける必要がる。自民党の最終目標は、『企業献金』『政治資金パーティー』『政策活動費』--この3点セットを死守することにある。其の為には規正法改正の争点が此の3点に向かわないよう、少しでも議論を3点セットから遠ざけるのが得策と考え、ごまかしの規正法改正の自民党案を提出しようとしているのである。常日頃、教育勅語の重要性を説き「愛国心」や「道徳教育の重要性」をぶち上げる彼等に愛国心や道徳心の欠片も見られない。それどころか献金・パーティで集めた資金を裏金として貯め込み、選挙の買収資金や乱痴気パーティ資金に流用する。更には税金を使って、海外視察名目で観光地に出向き、エッフェル・ネーさんたちの様に観光や同僚・支援者にお土産と称してネクタイ等のブランド品を買い漁る、浮気のホテル代もそこから出ている可能性すらある。何に使っても政治活動費用だと主張する。

岸田は政策活動費をオープンにすることは政治活動の自由の妨げになる。使途を広く公開すれば、自民党の活動と関わりのある個人のプライバシー、企業団体の営業秘密を侵害するし、党の戦略的な運営方針が野党や諸外国に明らかになったりすることで不都合が生じると述べたが、公金の不正使用が表沙汰になるのを恐れているだけである。

中国新聞は9日から連日1面トップで、自民の公認候補者が13年の参院選で個室で安倍元首相から直々に現ナマ100万円入りの封筒を貰ったと当事者である候補が匿名を条件に証言しており、政治資金収支報告書に記載がない裏金である為、同紙はその原資が官房機密費から出た可能性を指摘している。これは官房機密費の目的外支出、背任・横領に該当する。安倍が選挙に強かったのはこのような金の力、統一教会の様な反社勢力の利用があったからである。安倍が裏金を止めようと言ったと言われているが眉唾も好いところ、当時自分の周辺に調査の力が伸びつつあったことを敏感に察知して一時的にやめようと言ったに過ぎない。

 ロシアの諺に「魚は頭から腐る」と言うのがあるが、棄民党と揶揄される自民党、ボケ症状顕著な(頭)部分に相当する派閥の領袖や同年代の高齢者達は勿論だが、青年局・女性局を含む腸(ハラワタ=胴体部分)、地方組織の(尻尾や鰭部分)、更には医師会・財界等の利権集団、公明党の様な(金魚の糞)の部分に至る迄、腐り果て悪臭・腐臭を撒き散らしている。

安倍、麻生、二階の様な腐った頭の派閥に50100人にも上る議員が「しもべ」となって何故集まって来るのか全く理解できなかったが、その胴体部分や尻尾自体がすでに腐りきっている事が分り、合点が行った。安倍派の萩生田・世耕等の5人衆を見ても、腐りきった様子が顔に迄現れている。

金が無いと政治活動が出来ないと言うのが「腐った頭や胴体」の口癖だが、高級料亭で会食したり、破廉恥パーテイーを開いたり、エッフェル観光や不倫を楽しんだり、多量の蟹やブランド・ネクタイを同僚や支援者に配る事等は政治活動と何の関係も無い。彼等には「有り余る暇」と「濡れ手に粟」の脱税資金がそれを可能にしているのである。

経団連は自民党を堕落・腐敗させた張本人だが、経済人個人の集まりである「経済同友会」が最近、「政治行政改革委員会」の名前で政治不信の解消に向け、政治改革のモメンタムを高める為の5つの提言を行ったが、下記の様な有意な内容となっている。

  •  政治資金の可視化…「会計責任者を国会議員とする」事を含む。
  •  実効性ある政党ガバナンスコードの制定とその公表…「候補者選定、議員の登用基準、資金配分のルール化」等を含む
  •  官僚の働き方改革…国会質問の通告・質問取りに関する情報公開等
  •  国会審議の充実化、国民への可視化
  •  政党法の制定…政党ガバナンスの適用義務化、政党交付金の使途制限・返還ルールの厳格化、倫理規定の標準化

基本は政治資金については金額の如何に拘らずガラス張りにする事が大前提。税務申告同様、法人・個人を問わず、収入・支出先、日付、金額、支出内容の詳細を明確にすることで、国会議員の特権は一切認めなくする必要がある。

国会議員一人に要する経費は歳費を含め約8千万円。官僚のメモが無いと答弁も儘ならない、記者会見も補助者のサポートが必要な老人、政治屋以外に生活の術を知らない世襲政治家、自民国会議員の大半がこれに該当するが、こんな連中に真面目に収めた税金が原資になっているのである。

緩み切った自民党には政権交代が唯一の薬、国民は政権交代無くして政治改革等は「夢の又夢」と肝に銘ずべきである。

 

 

 

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同じ穴の貉(ムジナ)

2024年02月06日 | 政治・経済

同じ穴の貉(ムジナ)

破茶滅茶元首相の銃撃死によって、パンドラの函が開いたかのように一挙に各界の汚物が噴出した。統一教会問題、オレオレ詐欺、自民党の裏金詐欺等止まるところが無い。悪事の限りを尽くした破茶滅茶のお陰で日本はモラル無き国家に成り果ててしまった。悪事の薫陶を受けた安倍派幹部7人衆を筆頭に、「金の亡者」と化した醜い連中が国会議事堂の内外を右往左往し、魑魅魍魎もかくやとばかり、百鬼夜行の様相を呈している。ブログ「安倍神社建立」で触れた通り、本居宣長の(神)の定義によれば、「悪事をしてもそれが他を圧倒する程の悪事であれば、神に成れる」として居り、この様な神は祟りをもたらすのを常とするので、これを慰撫する為に祀られる事が多い。破茶滅茶の場合も奇特な御仁が居て長野県の白樺林の中に【安倍晋三大人のみこと(命)】を祭る神社を建立し、神として祀っているので、「死人に口なし」とばかりに安倍に全責任を押し付けた幹部7人衆、流石に祟りを恐れたのか、国民の方はそっちのけ、安倍さんの名前を汚し申し訳ないと、平身低頭謝罪する始末、薄汚れた名前を更に汚すとは、ひっちゃかめっちゃか、最早支離滅裂である。

この様な魑魅魍魎が跋扈する穴倉を覗くと、彼等は(ムジナ)に姿を変えて居り、罪人集団・自民党を支援する(ムジナ)でごった返している浅ましい光景が手に取る様に見て取れる。公明党、財界、検察、国税、医療業界団体、宗教団体、一部メデイア、甘い汁に群がる選挙民、と言った(ムジナ達)が犇めき合い、見返りを求めて我先にと自民ムジナを支えるおぞましい光景である。

公明党は過去、自民党に(暴力団とのスキャンダル問題)を握られ、更には(政教一致政党)だ、と脅迫される等叩きまくられた結果、それ以来自民党から離れなく成って居り、創価学会の強力な集票力が自民党の悪政を支える大きな源泉となって居りその責任は重大である。

次に責任が重いのが財界である。国民政治協会と言う自民党の政治資金団体がある。同党への年間25億に昇る政治献金の受け入れ窓口だが、総務省が開示したこの団体の政治資金収支報告書を見ると、どのような団体・企業が毎年、幾ら寄付をしているのか一目瞭然である。例えば日本医師連盟は2.5億と断トツ、日本自動車工業会8千万、を筆頭に電機、鉄鋼,石油、不動産その他の業界団体、薬剤師連盟等の顔も見える。更に業界団体とは別に個別企業としてトヨタ、住友化学各5千万、日立、キャノン、5大手商社等と続く。彼等は何の見返りも無く寄付などするわけがない。補助金や自分達に有利になるような法律制定等寄付金以上の見返りを得ているのである。

これとは別に現在、集団巨額脱税事件である裏金問題の温床となった政治資金パーテイー(政治資金を集める目的で会費を徴収して行なわれる宴会)がある。派閥と政治家の裏金資金荒稼ぎの手段である。政治家個人に対する企業・団体献金は禁止されているので、政治家個人の政治団体や、政策集団(=派閥)がパーテイを行う。パーテイ費用は売上げの2割程度、丸儲けである。派閥の場合はパーテイ券の販売ノルマを議員ごとに設定し、ノルマ以上の分は政治家にキックバックする、或いはノルマ以上の分は派閥に上納せず手元に留保する。これ等が派閥や政治家個人の裏金となる。裏金とは「経理上、正式な出入金記録簿に記載せずに蓄財された金銭の事、銀行口座に残って居ようと、事務所の金庫や引き出し或いは懐の財布に保管していようと、或いは又使用済みであろうと、正式な出入金記録が為されていない金は全て「裏金」である。裏金は犯罪であり、後で記載しても裏金であったことに変わりはないし、犯罪を犯した事実は消えない。ぬすっとが盗品を返せば済むと言う話ではないのである。裏金を公表して収支報告書を修正すれば、政治活動費だから使途を明らかにする必要が無いという理屈は成り立たない。政治活動費は政党から交付されるが、派閥が交付する物は政治活動費ではなく(パーテイ収益金)なので、その使途を明らかにする必要がある。

この様なマネーロンダリングを検察は不問に付したが、我々は決して許してはならない。

この様に自民党を堕落させたのは、唯々諾々と何のためらいも無く資金を提供する財界に大きな責任がある。経団連の十倉雅和会長(住友化学の無能会長)は、自民党への政治献金について「その負担は企業の社会貢献だ、何が問題なのか」と開き直ったが、物事の本質が全く分かっていない。そもそも30年前、企業団体献金を禁止する代わりに、毎年300億円以上の政党交付金が配られ自民党には約半分交付されている。激変緩和の為、5年間の猶予期間がおかれただけである。献金を許すなら交付金は取止めるべきである。政策をカネで買うかのような財界・企業と政治献金の関係を見直すべき時が来ている。両者の関係は愚かな母親が自制・反省の効かない息子に金をせびられ、唯々諾々と金を出し続け、息子を堕落させる構図と全く同じである。

次のムジナは検察と国税である。彼等は内閣をトップとする行政機関の一部門、法務、徴税と言う巨大な権力を与えられているが、彼等に公正な法の番人としての機能を期待するのには無理がある。彼等は国民の公僕であるが、そんな意識は皆無、先輩たちの生きざまを見て、如何に出世し優雅な生活を送ろうか、其の為には内閣に忖度する事はあっても、彼等の意向に反する行動など所詮期待できない。過って小沢民主党代表や村木厚子厚労相局長の冤罪事件にある様に政権に不都合な人間を抹殺し、或いは成績を上げる為には平気で文書の改竄等の不法行為を厭わず、しかも組織を挙げて組織防衛に走る、国民の公僕としての矜持等全く期待できない連中である。検事総長の超一流企業役員への天下りを見ると、多い人間で10社、少ないので4社と目も眩むばかりである。今回検察が捜査を中途半端な状態で打ち切った不可解な行動の裏には、財界意向を酌んだ検察OBの差し金があったとの噂も飛び交っている。財務省も裏金に課税する気配すら見せず、やり過ごす気配が濃厚である。

政党交付金が政治家個人に政策活動費として支給されるが、政策活動に使われていると言う理由で一切公表されず、しかも非課税となっている。しかし使途を公表しなければ、政治活動に使っているかどうか不明である。私用に使っていたとすればその分は課税対象であるし、選挙の買収資金として使われている可能性が極めて高い。何れにせよ一幹事長に50億円もの巨額資金が供与され、その使途が一切不明の儘等と言う様な事が許される訳がない。

更に国会議員の給与とは別に支給される「調査研究広報滞在費」(旧・文書通信交通滞在費)の使途公開も自民党の抵抗で手つかずのまま放置されている。世界一高い国会議員報酬に上澄みされた儘である。今政権与党は国民の怒りの矛先をかわす為、派閥の解消を声高に叫んで居り、政治資金の透明化や、金塗れの政治を正そうとの考えは全く無い。立憲民主党は政治資金の相続・贈与を禁止し世襲を抑制を図ろうと、政治資金規正法改正案を準備しているが、世襲議員の集団である自民党が賛成する可能性は皆無に近い。この様に自民党がやりたい放題をやっているのは政権交代の緊張が無いからであり、その責任は選挙民にある。日本の国政選挙の投票率は50%前後を行き来しており世界の順位は139位と極めて低く、その理由は(興味がない、行っても何も変わらない、魅力的な候補者がいない)等の投げやりな言葉が目に付く。結局国民のモラールの低さが政治を劣化させ,その結果が国民自らにブーメランとなって帰ってくることに思いが至らないのである。棄権は罰金の対象となるシンガポールやオーストラリアが90%超の投票率となっているが、そのような制度は自民・公明が受け入れることは絶対にあり得ない。国民は自衛手段として、選挙では立候補者の好き嫌いは考えず、兎に角、目をつぶって自民・公明以外の人間に投票する事しか無いのではなかろうか。

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