梅祭りが開かれていました。


ここの筆使いは秀逸です。さすが、学問の神に仕える売り子さんです。

牛さんの頭を撫で更に祈願してきたので、全員合格です。

湯島天神は5世紀中頃、もともとこの地の神だった天之手力雄命(たじからおのみこと)を祀ったのが始まりとされています。この神様は神話の中で天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れてしまった天岩戸を開いて天照大神の手を取り引き出した神です。
これらの神々は天上にいるので天神(てんじん)とよばれていました。
後に土地の人々が、同じく天神さまとよばれた菅原道真公を祀りはじめ、江戸時代に入ってますます信仰を集めるようになり、湯島天神は湯島天満宮とよばれるようになったのです。
本来、菅原道真公が祀られたのは流刑地、九州の太宰府天満宮で、政敵に追われ悲運のうちに没した道真公の怨霊を鎮めるためでした(これを御霊=ごりょう信仰といいます)。
そこで朝廷は道真公を火雷天神として京都の北野天神にも祀りました。
しかし現代では勉学にすぐれて異例の大出世をし、学者であり書家でもあった道真公の類い希なる才能にあやかるという意味で、学問の神様としての信仰を集めているわけです。
政敵に妬まれ、流刑された道真公は死後、雷神となって御所に落雷を落とし、疫病を流行らせ、天候不順や飢饉を招き、何年もかけて政敵を次々と呪い殺しました。
じつは、現在では想像もつかぬ悪霊だったのです。つまり恐ろしいからこそ畏れられ祀られたわけですね。
しかし疲れました。