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建国記念の日に雛街道スタート

2023年02月08日 13時07分00秒 | 郷土史
2月11日 雛街道スタート



もうすぐ建国記念の日です。この日平成4年度の雛街道がスタートします。

是非皆さんおいでください。
2月11日は国民の祝日ですが、1945年の敗戦までの日本では「紀元節」として国家の最も重要な祭日でした。
維新政府は、神武復古をかかげ、徳川政府を否定し、万世一系の天皇の下にある国の建設をめざします。
日本の原点は、日本書紀に天皇が「辛酉年春正月庚辰朔(かのと とりどし はるしょうがつ かのえ たつ ついたち)」に橿原(かしはら)の宮で即位し、「元年」としたという記事をもとに、神武即位を紀元としたことによります。
新政府は、1872(明治5)年11月9日に万国暦として太陽暦を採用したことで、11月15日に太政官は神武即位を紀元となし、太陽暦による新年(明治6年)の1月29日が旧暦の「正月朔日(ついたち)」にあたるので、祝日として祭典を執行するように、との布告を出しました。
この神武即位日は、宮中で毎年祭典を行い、天皇が遥拝(ようはい)する重要な祭事であるので、年々上下一同も遥拝するようにと命じられたのです。
1873年1月4日には、改暦により五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)(※1)を廃止して神武天皇即位日と天長節を祝日とすることが布告されます。
3月7日には神武即位日が紀元節と名づけられます。しかし太陽暦のいつが「正月朔日」になるかは年により一定しません。
そこで政府の天文局は固定するために、日本書紀の「辛酉の年」を西暦紀元前660年とみなし、「正月朔日」を2月11日とするとの報告をしました。
ここに2月11日の紀元節は、11月3日の天長節(天皇誕生日)とともに、最も重要な国祭日と位置づけられ、休業日とされ、国民が仕事を休み、奉祝することを課しました。
ここには神武復古を掲げた新国家創立の理念がみごとに実現したのです。
国家が創設しようとした祝祭日は日本の生活文化とは異質なものだけに、国祭日が定着して行くには時間がかかりました。そのため明治政府は、1891(明治24)年に小学校祝日大祭日儀式規程を制定し、教育勅語やご真影と一体化し、学校行事を営むなかで、国家創成の記憶を国民の身体に鋳込み、日本国民たる自覚を養成することにつとめねばなりませんでした。
まさに「建国記念の日」は、敗戦により紀元節が廃止されたものの、講和独立後に紀元節復活が叫ばれ、やっと1966(昭和41)年に決まり、翌67年に敬老の日、体育の日と合わせて「国民の祝日」に追加されたものです。
何気なく国民の休日で休んでいますが、幕末の国民統制に天皇イコール神である事を洗脳させるためのものであったようにも思われる。
流石に国旗を掲げる家は少なくなってきたが、私は2月11にちは休みたくないね!

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