中村哲医師のことは、恥ずかしながら、あの悲しい事件が起きるまでは知りませんでした。
いつか中村さんに関する本を読んでみようと思っていたところ、いつもの図書館の新着本リストの中で見つけたので手に取ってみました。
著者は、中村さんと親しくお付き合いのあった歌手の加藤登紀子さん。中村さんの見事なまでの足跡を伝える彼女の穏やかな筆致が、中村さんが大切にしたアフガンの人々への想いとともに心に沁み入ります。
加藤さんが紹介する中村さんの人となりを顕す言葉やエピソードからいくつか書き留めておきましょう。
中村さんは、1984年、パキスタンのペシャワール・ミッション病院に派遣されました。1986年、中村さんの片腕として活動を共にすることになるアフガン人医師から「なぜここで働いているのか」と問われたときの中村さんの答えはこうでした。
(p38より引用) 「偶然と呼ぶならそれでもよい。君をペシャワールに留めている、そのものと多分同じだろう。
確かに我々はこの困難の前には虫けらだ。巨象を相手に這いずり回る蟻にすぎない。しかし、どんなに世界が荒れすさんでも、人の忘れてならぬものがある。そのささやかな灯りになることだ。これは我々のジハード(聖戦)なのだ。」
中村さんの珠玉の「言葉」は、加藤さんが、本書の第3部に「生きるための10の言葉」として紹介してくださっています。
その中で、特に私の心に響いたものを1・2、紹介します。
ひとつめは、医学生から「将来海外で医療に携わりたいと考えているが、それに向けた覚悟」を尋ねられた際の中村さんの答えです。
(p163より引用) 水を差すようですけれども、だいたい「こうしたい」と思ってその通りになることはあんまりないんですね(笑)。仕方ないよなあと思って、したくなかったことを、ずるずるとやることの方が多いのです。・・・そして「犬も歩けば棒に当たる」(笑) という気持ちでよいのではないかと思います。
(p164より引用) 「たまたま運が悪くて、縁が無くて、そのせっかくいい種なのに、石の上に落ちた。いつまでたっても風が吹き飛ばしてくれなかった。そういうときは石の上で上に伸びていくしかないのではないでしょうか。」
こういった“達観”“諦観”チックな言葉も、中村さんの凄まじい実体験を思うにつけ、その含意には桁違いの重みや緊迫度がありますね。
もうひとつ、中村さんの活動を支えてきたペシャワール会の「三無主義」。「無思想」「無節操」「無駄」。その中の「無駄」について。
(p192より引用) 「無駄」というのは、ちょっとあれっ?て思うかもしれませんが、この言葉にこそ深い思いが込められているように思います。
組織というと、やたら意義深さを連ねたり、無駄なく資金を活用しているかと説明を求めたり、活動の成果を示さなくてはならなかったり。そうしたことへの哲さん独特の含羞ですね。
人間の行いに、無駄でないことってあるのか、と。
全てが「無駄」に見えるけれど、どうしてもしなければならないことがあり、意義あることと思い込んでいても結果が無駄に終わることもある。
「無駄」でいいんだ、と赦す気持ち。哲さんらしいです。
こういった気持ちの持ち方、これが人々の自然な営みの中での実感覚なんですね。
本書には、中村さんとの交流の思い出と併せて、加藤さんが環境省・UNEP国連環境計画親善大使としての行動をはじめとした様々な国際貢献活にまつわるエピソードも数多く紹介されています。
2018年、サハリンのチェーホフ劇場でコンサートを開催したときのこと。
加藤さんが「ペレストロイカ」というたびに地元の人々の顔が厳しいものに見えたと言います。
(p152より引用) 通訳の人に「どうしてかしら」と聞くと、「ここではペレストロイカでみんなすごくひどい経験をしたので、大好きな『百万本のバラ』と一緒にしてほしくないんです」と。これは大きな衝撃でした。
やっぱり私たちは西側の人間として全てを見てきたのだなあ、と深く反省。この極東の島でソ連時代は、職場と家を保障され、医療も学校も無料で、食料の配給もあった。その全ての補償を失ったのが「ペレストロイカ」だった、というのです。
哲さんが、アフガニスタンに2002年以降アメリカが入って、民主化という解放をアピールした時、人々が手にしたのは、「麻薬をつくる自由。逼迫した女性が売春する自由。貧乏人がますます貧乏になる自由。子供たちが餓死する自由」だったと表現したのと、似ているかもしれません。
真にその地の人々の望むことを行う難しさです。それだけに、かの地の人々に心底愛された中村さんの献身の崇高さが際立つのです。
中村さんは、こうも語ったそうです。
(p171より引用) 「弱い者にこぶしを振り上げて自分の利益を守るというのは、人として下品な行動だと思います。」
完全に脱帽です。