1922年~1923年、アインシュタインが日本・パレスチナ・スペインを訪れているのですが、その旅程の途上に記した日記や書簡等を再録したものです。
一次情報に近いものなので、一貫したメッセージやストーリーがあるわけではありませんが、その分、アインシュタインのストレートな感想や思想を垣間見ることができます。
アインシュタインの旅は、1922年10月から1923年3月までの長期にわたります。往路の船の中で抱いたアインシュタインの「日本(人)感」はあまり芳しいものではありませんでした。
(p162より引用) 11月3日・・・午前11時頃にようやく出航し、緑の島々のあいだの絶景のなかを航海。
中国人はその勤勉さ、倹約ぶり、子孫の多さで他のすべての民族を凌いでいるかもしれない。シンガポールはほとんど完全に彼らの手中にある。彼らは商人として尊敬されている。その点、日本人は信用できないと見なされていて比べものにならない。日本人の心理を理解するのは困難だ。私は日本人の歌があんなに訳がわからなかったので、日本人を理解しようと思わなくなった。昨日、他の日本人がまた歌っていたので目がくらんでしまった。
しかしながら、日本に滞在して様々な場面で日本人と接するうちに、その意識も変化していきました。たとえば、12月10日、京都を訪れていた際の日記の一文です。
(p187より引用) 外国の師への尊敬の念は、今も日本人には見られる。ドイツで学んだ多くの日本人はドイツ人の師を敬服している。ことによると細菌学者コッホを記念して殿堂が建てられるかもしれない。皮肉や疑念とはまったく無縁な純然たる尊敬の心は日本人の特徴だ。純粋な心は、他のどこの人々にも見られない。みんながこの国を愛して尊敬すべきだ。
そして、11月20日、東京滞在中にアインシュタイン夫妻は明治座で歌舞伎見物しました。その時の日記にはこう記されていました。
(p172より引用) 山本および改造社の社員たちとホテルで夕食。それから、歌と踊りのついた日本の芝居。女役を男が演じる。観客は家族みんなで、床に区切られた狭い囲いに座り、生き生きと参加している。一階席を通って舞台に行く通路が複数あるが、その通路も舞台の一部。役柄は明確に定型化。男性三名の合唱が絶え間なく続くのは、ミサの聖職者に似ている。オーケストラは舞台後方にいて一種の籠のなか。舞台装置はまるで絵画のよう。音楽はリズムと感情を表現する鳥のさえずりのようだが、管弦楽のような論理性とまとまりには欠ける。俳優たちは感情過多に演じていて、見た目の効果に専念。
歌舞伎のアインシュタイン流の描写ですが、何か読んでいて楽しくなるような筆致です。
最後に、アインシュタインが日本滞在中に記したとても印象的な文章を書き留めておきます。
(p232より引用) 日本には、わが国よりも個人間の助け合いが容易な理由がもう一つあります。本来日本には、自分の感情や情緒を表に出さず、いかなる状況でも落ち着いて平然としているという伝統があるのです。だからこそ、心情的に合わない大勢の人たちが一つ屋根の下で住むことができ、気まずい摩擦や対立が生じることがないのです。このことこそ私には、ヨーロッパ人にとって謎である日本人の微笑みの深い意味だと思えます。
アインシュタインの洞察の鋭さを感じるコメントですね。さらにこういった評価も開陳しています。
(p234より引用) 日本人は将来に生きるのではなく、今を生きているのです。その陽気さは繊細で、決して騒がしくありません。日本人のジョークは私たちにはすぐわかります。彼らにも滑稽さやユーモアに対するセンスはたっぷりあります。私は、こうした心理的に深いところで日本人とヨーロッパ人のあいだにさほど差がないことを確認して驚いています。ただしここでも日本人の優しさに気づきます。日本人のジョークには皮肉がないのです。
続いて語られた「日本の印象についてのおしゃべり」の締めのフレーズは感動的です。
(p236より引用) 日本人は正当にも西洋の知的業績に感嘆し、成功と大いなる理想をめざして科学に没頭しています。しかし西洋より優れている点、つまりは芸術的な生活、個人的な要望の簡素さと謙虚さ、そして日本人の心の純粋さと落ち着き、以上の大いなる宝を純粋に保持し続けることを忘れないでほしいのです。
「自信を持て」との力強い応援メッセージ、アインシュタインから日本人への素晴らしい贈り物ですね。