話題の本ですね。
著者はあの北野武氏ですから、いろいろな意味で大いに期待しつつ手にとってみました。でも、かなり予想していたものとは違っていましたね。
テーマは“道徳”。まずは、昨今の小学校での「道徳教育」が俎板に載せられます。
(p21より引用) 俺が子どもの頃は、年寄りに席を譲るのが当たり前だと教えられた。・・・前に年寄りが来たら、子どもは有無をいわずに立つ。そこに理由なんて必要ない。
ところが、今の道徳では、年寄りに席を譲るのは、「気持ちいいから」なんだそうだ。
席を譲るのは、気持ちがいいという対価を受け取るためなのか。
・・・
年寄りに席を譲るのは、人としてのマナーの問題だ。美意識の問題といってもいい。
マナーにわざわざ小理屈をつけて、気持ちいいから譲りなさいなんていうのは、大人の欺瞞以外の何ものでもない。
道徳の授業が、こういった人としての行為を「理屈」や「損得勘定」で教えられるようになると、教える側に「伝えようという意思」が欠けてきます。理屈で推し量れないような価値観は、伝える側の「信念」や「熱意」により相手に伝わっていくものです。
(p44より引用) 人に何かを伝え理解させるために必要なのは、巧妙な話術でも、甘いお菓子でもなくて、伝える側の本気度だ。・・・
道徳っていうのは、つまり誰が、どんな気持ちで話すかが重要なのだと俺は思う。
人に何かを伝えようとする行為は、伝える側の全人格的行動でしょう。それと同時に、伝えようとすることに「普遍的な納得感」がなくては相手には届きません。人に「道徳」として伝えるのであれば、その内容はすべての人にとって受け入れられるもの(価値観)でなくてはならないでしょう。とはいえ、世の中には、さまざまな考え方の人がいます。その中で、全ての人に受け入れられるようなテーゼであろうとすると、畢竟、それは極々当たり前のものになってしまいます。
(p133より引用) 人間は一人ひとりみんな違う。・・・ただ、ひとつだけ誰にもあてはまることは、みんな幸せになりたいと思っているということだけだ。
「ほんとうの意味で、傷つきたいと思っている人は一人もいない。だから、自分が傷つきたくないなら、他の人を傷つけるのはやめよう」
教室の子どもたち全員に教えていい道徳は、これくらいしかないんじゃないか。
今日の道徳教育は、「限られた一部の大人」が重要と考えている価値観を、あたかも絶対的な価値であるかのように粉飾して押し付けていると北野氏は考えています。
そういった、言われたことを「無条件」に受け入れる姿勢は、結局のところ、結局は今の子どもたちのためにはならない、これからますます厳しくなる環境下において、自立した思考・行動が取れるような人に育てることが最大の課題だとの主張です。そして、そのためにはどうすべきなのかを北野氏なりの語り口で説いているのです。
(p180より引用) ほんとうのことを知れば、子どもの心は動く。どう動くかは、子ども次第だ。・・・
そして子どもは考える。
その「考える習慣」をつけてやること以上の道徳教育はない、と俺は思う。
さて、本書を読んでの感想ですが、正直なところ、かなり予想していたものとはかけ離れていました。これが“たけしさん”が書いたものなのかと思うほど、切込みが甘く迫力が感じられないのです。
書かれていることが「当たり前」というのともちょっと違います。もっと、ぐりぐりと抉るような“たけしさんならでは”の肉厚のメッセージを期待していたのですが・・・。かなりガッカリです。
本書での「たけしさん的口調」を普通の言いぶりにしてみると、新たな切り口からの独創的な指摘がほとんどないことに気づくでしょう。
たけしさんの本なら、だいぶ以前に読んだ「下世話の作法」の方がお薦めですね。
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新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか |
北野 武 | |
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