会議や打合せを主催した場合は、必ず「議事録」を残します。
明確に事務局が決まっている場合は、当然「事務局」が作成し、出席者に意見照会を行ったうえで確定させます。
重要な案件を決定する打合せの場合は、この議事録確認が非常に重要になります。あとあと議事録しか共通の証跡になりませんし、「関係者への意見照会→確定」というプロセスを経ていると、「このときの趣旨は、そういうことではなかったのだが・・・」と言ったところで後の祭りになります。
また、打合せの場での発言に関していえば、「自分が訴えたつもりのこと」が「議事録という他人の文」に置き換えられると、時折、あれ?こういう話じゃなかったのに・・・ということがあります。
往々にして、「他の人が聞いて理解した(つもりの)こと」は他人勝手?な解釈になるものです。この点の補正も、議事録の意見照会の回答時点で行っておかねばなりません。
意見調整のための打合せは、「議事録の確認」まで息を抜くことはできません。
打合せで明確に事務局が決まっていない場合は、出席者の誰かが議事録をまとめることになります。
こういう場合は、(その案件が自分に直接関係がある場合は特に、)自ら議事録の取りまとめを買って出るべきです。
自分で整理すると、(自分が発言した部分について)前述のような発言趣旨の取り違えは生じません。また、議事内容の取捨選択のイニシアティブもとることができます。
当然のことながら議事内容を曲げることは絶対厳禁(関係者への意見照会は行うのでそもそも不可能)ですが、議事録のまとめ方ひとつで、もう一回打合せをやったような効果を現出することができるのです。
明確に事務局が決まっている場合は、当然「事務局」が作成し、出席者に意見照会を行ったうえで確定させます。
重要な案件を決定する打合せの場合は、この議事録確認が非常に重要になります。あとあと議事録しか共通の証跡になりませんし、「関係者への意見照会→確定」というプロセスを経ていると、「このときの趣旨は、そういうことではなかったのだが・・・」と言ったところで後の祭りになります。
また、打合せの場での発言に関していえば、「自分が訴えたつもりのこと」が「議事録という他人の文」に置き換えられると、時折、あれ?こういう話じゃなかったのに・・・ということがあります。
往々にして、「他の人が聞いて理解した(つもりの)こと」は他人勝手?な解釈になるものです。この点の補正も、議事録の意見照会の回答時点で行っておかねばなりません。
意見調整のための打合せは、「議事録の確認」まで息を抜くことはできません。
打合せで明確に事務局が決まっていない場合は、出席者の誰かが議事録をまとめることになります。
こういう場合は、(その案件が自分に直接関係がある場合は特に、)自ら議事録の取りまとめを買って出るべきです。
自分で整理すると、(自分が発言した部分について)前述のような発言趣旨の取り違えは生じません。また、議事内容の取捨選択のイニシアティブもとることができます。
当然のことながら議事内容を曲げることは絶対厳禁(関係者への意見照会は行うのでそもそも不可能)ですが、議事録のまとめ方ひとつで、もう一回打合せをやったような効果を現出することができるのです。
自分自身の論点整理にもなりますし、特に会社対会社の会議の場合、議事録の積み重ねが交渉の過程であり結果となります。
相手の真意を正しく文章化するのは当然ですが、少なくとも自社側の立場で重要な事項について漏らさず明確に記載できるメリットは計り知れません。ただ、こういう場合は通常は交互に議事録を取ったりしますよね。
また、議事録を取るということは実は当該トピックに関する深い知識と理解が不可欠です。新人社員がレコーダーのように書いた議事録はピントが曖昧ですぐにわかります。一方でよくわかっている人が書く議事録は簡潔でポイントを押さえています。
議事録は基本ですが、奥が深いものですね。