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裏切り者の中国史 (井波 律子)

2024-09-03 10:32:09 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本リストで目についた本です。

 インパクトのあるタイトル、“裏切者” というかなり気になるモチーフに惹かれて手に取ってみました。

 登場する “裏切者 には、”中国史のなかで超有名人もいれば脇役クラスもいますが、一風変わった切り口で深堀りしてみると、いずれもなかなか興味深い人物ばかりですね。
 紹介されている数々のエピソードの中から、特に私の関心を惹いたところをいくつか覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「第4章 持続する裏切り―司馬懿」。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」との故事成語に登場する “司馬仲達” という名前の方が有名かもしれません。魏王朝内に居て簒奪を図り「西晋」の礎をなした人物です。

(p136より引用) 司馬懿の周到さを受け継いだ息子たちは、魏王朝簒奪にピタリと照準を当てつつ、念入りにプログラムを進めた。・・・
 まさに三代四人がかりの裏切りの意志の持続―。代を重ねるごとに腐蝕の度を増す、この裏切りの土壌に咲いたあだ花、西晋王朝が、成立の当初から救いがたく陰惨なものを含み、すでに根底的に深く病んでいたのは、むしろ当然のなりゆきだったのかもしれない。

 「西晋」自体、中国史の中ではその存在は重く扱われてはいませんが、その成立までの経緯は、なかなかに沈潜した凄まじさを感じるものでした。

 もうひとつ、こちらは、毛色の違った気づき。異民族王朝の成立が “大衆文化の揺籃” に影響した例です。
 モンゴル族の侵攻により漢民族は南宋に押し込まれます。そして、元の時代、従来からの中国社会における官吏登用法であった科挙制度の運用も途絶えがちになりました。

(p250より引用) 従来、知識人の間で、正統文学と目されてきたのは、あくまで詩および文(文語で書かれた散文)であり、戯曲や小説といった俗文学は、まともにとりあげるべき対象ではなかった。しかし、科挙が廃止されて社会進出を阻まれ、経済的に困窮した元代の知識人は、そうした伝統的な価値観にこだわってなど、いられない。かくして大衆向けの戯曲の台本を書き、語り物のタネ本を書いて生計を立てる知識人が続出、結果的に俗文学のレベルアップに貢献することになったのは、皮肉といえば皮肉なめぐりあわせであった。

 自ら習得した知識の出口を失った文人の転身、「西遊記」「水滸伝」「三国志演義」といった超有名な小説の原型が次々形を整え始めていったのはこの時期からだということです。

 さて、本書を読んで思ったこと。

 本書ではタイトルにあるように中国歴代の「裏切者」を取り上げ、裏切りに至った背景・経緯、エピソード、人となり等を紹介しています。ただ、そもそも、すべての王朝の為政者たちが演じた権力抗争そのものが “(時の王権や対抗勢力への)裏切り” という行為の集積に他ならず、その行為に至った動機は必ずしも “悪” とは限らないのです。

 中国史における王朝の変遷は、異民族の侵攻によるものもありますが、内乱や謀反によるものも見られます。そして、それらの誘因の多くは、権力者の無能や堕落、政権の腐敗等でした。
 “私怨による裏切り” とみえるものも、実態は世情の不満の反映であり、政権の刷新という意味もあったということですね。

 

 

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