より適切な判断をするためには、いろいろな知識をもっていることは有益なことです。
ですが、「知識の質・量がそのまま判断の適否と相関関係があるか」といえば、必ずしもそう簡単なものではありません。
知識はある意味、すべて過去の情報であるか、もしくは二人称・三人称の情報です。したがって、「現在の我が事としての課題」に対して、そういった知識をそのまま単純にあてはめられるとは限らないのです。
たとえば、ベンチャー企業の成功手法を「知識」として知っていたとしても、それがトラディショナルな企業にそのままあてはまるとは限りませんし、また、外国の著名な経営学者の指摘をそのまま鵜呑みにして金科玉条のごとく崇め奉るのもいかがか、というわけです。
(かなり無理やりの例ではありますが)織田信長が今川義元を桶狭間にて奇襲戦法で破りましたが、太平洋戦争の日本軍はガダルカナルで夜間奇襲戦法を採り大敗したのです。
そこには、今回の案件にそれらの知識が適用できるかの「チェック・推論のステップ」が必要です。
このステップなしでは、折角の豊富な知識も判断を誤らせるノイズになりかねません。
知識は材料であり、判断はプロセスなのです。
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