私は最近テレビをほとんど見ないので、典型的な「ダメな議論」論者と言われている「コメンテーター」の活躍ぶりは分かりません。
が、いろいろな手練手管で、自分の主張を正しいと思わせているのでしょう。
本書で、例示のひとつとして挙げられているのが「排中律もどき」の論法です。
「あなたの主張は誤りであり、(だから)わたしの主張が正しい」というパターンです。
(p101より引用) 排中律の関係は、命題Aが「彼の名前は鈴木である」で、命題Bが「彼の名前は鈴木でない」というような場合に成り立ちます。この場合、Aが偽ならばBは真ですから、Bが正しいことを示すためにAが誤りであることを証明するのは正しい手続きです。しかし、Bが「彼の名前は佐藤である」という言及であったなら、Aを否定したところでBが正しいことを論証したことにはなりません。
もちろん、この論法だけ単独で使われると誰でもおかしいと気付くのでしょう。
しかし、その前に、すでに「(論者の考えは)自分の考えと同じだ」といった同意の下地ができていると、多くの人は簡単に納得してしまうようです。
著者は、こういった単純な「ダメな議論」に踊らされないために、分析的思考にもとづく「情報リテラシー」の重要性を説きます。
この「情報リテラシー」が「社会インフラ」となり得るという著者の主張は、まさに当を得た指摘だと思います。
(p50より引用) 経済学では、ある個人の行動が(市場を経由せずに)他の人に影響を与えることを外部性・外部効果と呼びます。この場合、Aさんが学校教育を受けたことで、一緒に働くBさんも、「連絡がスムーズになり、技術の伝達も容易になる」という便益を得ることができます。このように、教育の果実には教育を受けた個人のものにならない外部効果が含まれているのです。・・・
個々人にとってはペイしない学校教育の普及が国民経済によい影響を与えたように、正しい常識の判断や誤った議論を見分ける力といった情報リテラシーが共有されることは、社会にとって重要なインフラとなり得ます。
ダメな議論―論理思考で見抜く 価格:¥ 714(税込) 発売日:2006-11 |
視聴率を上げるためには、視聴者の大多数である凡夫の関心を惹かなくてはならないので、そういう方々が食いつきやすいように、それはそれは、変なことを言います。それで視聴者が喜んでいるのですから、これも市場原理なのでしょうね。
相手が同意しやすい内容を早口でまくしたてて、そしてすぐ次の話題へ。相手に考えさせない。それを聞いた方は、自分の意見と同じだ、自分もそう思っていたと満足する。そんなことの繰り返しですね。
コメントありがとうございます。
自分の売り物に責任をもたなくてもよい不思議な商売だと思います。