いつも聴いている大竹まことさんのpodcastの番組に著者の森山至貴さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
そこでのやりとりを聴いて、最近のジェンダーや●●ハラスメントに関する社会的問題を考えるにあたっての基礎的な知識を改めて確認できそうだったので、早速読んでみたというわけです。
本書で紹介されている“問題のある言葉や考え方”の中にはもちろん既知のものもありましたが、“なるほど”と新たな気づきになるヒントやアドバイスも数多く得られました。それらの中から特に印象に残ったくだりを少々書き留めておきましょう。
まずは、「××やっておいてあげたよ」という言い方。
そこに「本来はあなたのやるべきことなのに・・・」といったニュアンスが少しでも感じられると完全に“地雷”になるのは(私の長年の経験からも?)十分理解しているのですが、さらに森山さんはさらにこう指摘しています。
(p95より引用) 共同生活において誰かの代わりをすることはすでにメンバー全員の「義務」 でもあるわけです。「やっておいてあげたよ」という表現には、この「義務」にあたる行為をあくまで「善意の行為」ととらえる発想、言い換えればやってもやらなくてもいい自発性にゆだねられた行為ととらえる発想が隠れています。だからこそ、それは共同生活を営む者としての「義務」から 逃れているとも考えられるわけです。
なるほど、こういった切り口には気づいていませんでした。確かに森山さんの言うとおりですね。
あと、同じ項で触れられている「名もなき家事」にも大いに心当たりがあります。
(p95より引用) 家事をめぐる男女のディスコミュニケーションの大きな原因のひとつに、「ゴミ出し」や「風呂掃除」などのわかりやすいもの以外の細かな作業を男性は家事として認識できていないことが挙げられます。
そうなんです、こういった細々としていてかつ逃れられない作業については、情けないことにいまだに気づかないんですね。
さて、タイムリーなテーマを取り上げた本書を読んでつらつらと思ったこと。
ひとつは、課題認識の姿勢について。
「こういった考え方・話し方の当否を判断するには、(本書の解説で示されているような)精緻な論理性や厳密な語義・文法等の知識を駆使して精査するという方法が必須なのか」という疑問です。
望ましいのは、“常識”とか“当たり前”といった感覚で捉えられるようになる状態かもしれませんが、それも「個々人の違い」を認める立場からは違うようにも思います。
もうひとつは、本書で紹介された「ずるい言葉」の“ずるい理由”や“相応しくない理由” と「伝統的なマナー」との関わりについてです。
「伝統的なマナー」、たとえば、“女性がテーブルにつく際に椅子を引く”とか「レディーファースト」といわれる“ドアの出入りの譲り”といった振る舞いも、本書で論じられている考え方では「相応しくないもの」ということになるのでしょうか。
どうも私の場合、本書の考え方を理解した(つもりになった)うえで、人間関係の潤滑油的な役割を果たしている “マナー” であれば、その存在意義もあるように思えるのですが・・・、どうやら、そのあたり、まだ私の理解が至らないのでしょうね。
あと、まったく蛇足ですが、「オレンジ色の小さい活字」はとても読みにくかったです。(この「オレンジ色」を使っているのも、論考のテーマになりますね)