いつも聞いているpodcastの番組に著者の茂木誠さんが登場したとき話題になった本なので、気になって手に取ってみました。
茂木さんは、駿台予備校の人気講師とのこと、その切り口と語り口には期待大です。
ですが、第一章の「そもそも日本人はどこから来たのか?」の解説はちょっとくどかったですね。DNAの分析からの説き起こしは珍しくはありません。ただ “縄文人と弥生人の平和的共存” という指摘は興味を惹きました。
また「第7章」での “「武士」の意味づけ” は、なるほどと首肯できましたね。
(p154より引用) 「律令国家体制」という東アジア・グローバリズムをそのまま古代日本に導入することは木に竹を接ぐような無理な試みでした。竹は木の幹から養分を得られず、枯れてしまいます。律令国家もたちまち形骸化していきました。
それに代わって、土台の「木の幹」から、新たな技が伸びてきたのです。
武士(サムライ)の台頭です。
「サムライ」が日本の象徴とされるのは、これが他の東アジア諸国には見られない現象だからです。
中国・朝鮮にも、もちろん兵士はいますが、日本本の武士とは似て非なる存在です。サムライは、むしろ中世ヨーロッパの騎士階級とよく似ています。
「武士階級の出現」こそが、日本史を東アジア史と決定的に分かつ現象といえるでしょう。
そして、戦国時代から、織田・豊臣・徳川の時代になると、大航海時代のヨーロッパの国々との関わりが生まれてきます。
端緒は、ポルトガル・スペインによるキリスト教布教とセットになった征服活動です。イエズス会やフランシスコ会の宣教師によりキリスト教に改宗したいわゆる“キリシタン大名”は、戦での捕虜や改宗を拒む領民たちを対象にした「奴隷貿易」に加担していたとのことです。
(p252より引用) ポルトガル人が編み出した奴隷貿易のシステムは、じつは日本でも稼働していました。彼らがもたらした鉄砲の普及は戦国大名同士の戦いを激化させ、キリシタン大名は捕虜をポルトガル商人に売却したのです。
これは、本書で初めて知りました。驚きですね。
さて、本書を読み通しての感想ですが、世界史との連関のなかで日本史を読み解くとの視点はとても意義深いもので、私にとってもいくつもの新たな気づきがありました。
とはいえ、はるか昔(今から40年以上前)の私が高校生だったころにも、日本史と世界史が合体した「年表」がありましたし、「世界史地図」を広げると、同時代のヨーロッパ・アジア・日本の様子が一覧できていました。
なので、私の感覚では、日本と世界を“時間軸と空間軸の二軸”で理解することは、むしろ普通であり当然でしたね。
ただ、確かに、そういった俯瞰的な視点に立った教材は世界史の授業での必需品であって、日本史の授業ではお目にかからなかったかもしれません。