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信念の言葉 (一日一言―人類の知恵(桑原武夫))

2009-05-19 22:25:07 | 本と雑誌

Masaoka_shiki  人の記憶に残る箴言は、語る人の強い信念の表出でもあります。

 まずご紹介するのは、1904年2月9日の日露戦争開戦に際しての「平民新聞」の主張です。

 
(p24より引用) 不忠と呼ぶ、可なり。国賊と呼ぶ、可なり。もし戦争に謳歌せず、軍人に阿諛せざるをもって不忠と名づくべくんば、我らは甘んじて不忠たらん。もし戦争の悲惨、愚劣、損失を直言するをもって国賊と名づくべくんば、我らは甘んじて国賊たらん。
 世は平和をとなうるを効果なしとす。しかも我らはただ一人の同志を得ば足る。今日一人を得、明日一人を得、三年、五年、十年、進んで止まず、我は必ず数千、数万の同志を得るの時あるを信ず。

 
 平民新聞は、幸徳秋水・堺利彦らが興した「平民社」が発刊した週刊新聞でした。その主義主張の当否・是非はともかくとしても、当時のジャーナリズムには明確な信念にもとづく強烈なメッセージがありました。

 もうひとつ、黒岩涙香の「万朝報」発刊の辞です。
 こちらの新聞は、明瞭・痛快を編集方針とし、社会派的な暴露記事で読者を獲得していきました。(ちなみに、当初、幸徳秋水や堺利彦も万朝報の記者でした)

 
(p166より引用) この頃の新聞紙は「間夫がなくては勤まらぬ」ととなう売色遊女のごとく、みな内々に間夫を有し、その機関となれり。・・・ああ我社はただ正直一方、道理一徹あるを知るのみ。もしそれ偏頗の論を聞き陰険邪曲の記事を見んと欲する者は去って他の新聞を読め。

 
 言論が、自らの存在に誇りを持っていたのでしょう。我れが「輿論をつくる」という気概ですね。(今の新聞は、「世論(あるいは、スポンサー)につくられている」感がありますが・・・)

 あわせて、海外の例もご紹介しましょう。
 フランス革命期のジャーナリストのマラーは、「人民の友」紙でこう訴えています。こちらは、冷静でシニカルです。

 
(p86より引用) 不幸な人びとの階級(高慢な金持どもは賎民という名でよんでいるが)は社会のもっとも健康な部分である。この汚辱の世紀において、なお真理、正義、自由を愛している唯一の部分である。・・・なぜなら、生きるためにはたえず労働せねばならず、堕落する手だても暇もないので、彼らは、諸君よりもずっと自然に近いままに止まっているからである。

 
 さて、次にご紹介するのは、すでに江戸時代中期において「人間の平等」を思っていた安藤昌益の「自然真営道」のなかの言葉です。

 
(p54より引用) 上みなければ下責め取る奢欲もなし。下なければ上に諂い巧むこともなし。・・・金銀銭の通用なければ上に立ち富貴栄花をなさんと欲を思う者もなく、下に落ちて賤しく貧しくわずらい難儀する者もなし。

 
 封建的身分制度の世の中に対し、ひとり異を唱えた社会批判でした。

 最後は、正岡子規の「病牀六尺」より、病苦と闘いながら語った青年の力への期待の言葉です。

 
(p156より引用) 何事によらず、革命または改良ということは、必らず新たに世の中に出てきた青年の力であって、従来世の中に立っておったところの老人が説をひるがえしたために革命または改良が行われたという事は、ほとんどその例がない。

 
 

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